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妄想爺のとんでも史観 (29) 倭の五王
妄想爺のとんでも史観 (29)
倭の五王
宋書に登場する倭国の五代の王、讃・珍・済・興・武 を倭の五王と言うそうです。
有力な説としては、讃は応神か仁徳か履中、珍は反正か仁徳、済は允恭、興は安康、武は雄略の各天皇にあたるとされています。
一文に、「東は毛人を征すること五十五国、西は衆夷を服すること六十六国、渡りて海北を平ぐること九十五国」とあり、明らかにこの国とあの半島を勢力圏においていると、おっしゃったようです。
西暦420年頃から500年頃に朝献して『肩書下さい。』とお願いしていたようです。
この頃は、日本海側には出雲越の国勢力がいて、後にヤマトと呼ばれた内陸では広大な奈良湖の農地、水路の造営に邁進していたころです。
その技術を持って、東北から九州まで指導と交易をしていた時代です。
通説の様な戦いの歴史、しかも人と人、地域と地域、国と国の争いをしている暇があれば、雨や風、地震や噴火をどうにかしろ。と怒られていたと思うのです。
誰に怒られていたかと言うと、民衆です。生産も交易も民衆の協力がないと成り立ちません。
今の様な流通経済に近いとすれば、貨幣は鉄が担っていたと思います。
宝飾品も威信財も有ったとは思います。しかし民衆の生存の為の食料や道具、設備、土木工事が進まなければ、民衆は離れていきます。鞍替えします。新たなリーダーを推し立てます。
協力してくれなくなるリスクを取ってでも、戦いを推し進めますか?
そんな中、半島ではこの国と変わりない民衆が豊かに暮らしていたと思います。
すると、北方面から『ちょっと頂戴。』って、常識外の人たちがやってきます。
守ってほしい。追い払ってほしい。代わりにほら、鉄あげるから。って頼まれれば行きますよねえ。仲間ですもん。
彼の国の広開土王と言えば英雄視されているみたいです。ぺ・ヨン〇ュンとか言う俳優さんが主演でドラマも作られていました。
その王も、自国の民衆の為なら侵略しますわよねえ。交易しようにも生産物が無ければできないし。
この国の日本海連合から順番に、持ち回りで、渡った先に居る同じ一族の代表が海を渡り防衛していたと思うのです。
ヤマト政権の、しかも天皇が自ら全国各地を制圧した。なんて事はありません。まだこの頃に天皇はいませんし。
中央に居座って、指示を出して、報告を待ち、次の一手を考える。なんて事もありません。
伝言ゲームって有ったじゃないですか。正確な情報伝達って難しいですよ。
それに、現代から数十年前、あの大規模な戦争の時も臨機応変に、詳細は現地判断で、大きな方向決めのみ最初に言われて。みたいな感じだっと思います。
即応性、状況判断が大切だとなれば、ある程度の規模以上にはなれないものです。
問答無用、乱暴狼藉、勝手次第で好きな様にやれや。なら、規模が大きく、人数が多い方が良いでしょうけど。
守る。追っ払う。が目的なら、深追いもしないでしょうし。
雄略天皇の4代後に武烈天皇がいて(実在したか不明論あり)、継体天皇へと続きます。
この継体天皇、近江の国、もしくは越前の国のヲホド王と言う応神天皇5世孫なんだそうです。日本海連合です。
ヤマトの大伴金村、物部麁鹿火らに呼ばれて20年くらい後にやっとヤマトを統治した。って事なんだそうです。
古事記とか日本書紀に軽く書いてあるそうですから、本当のところは全く違う状況だったのでしょう。
なんせ記紀は、大長編ノンフィクション風ファンタジーですから。
奈良湖の干拓、水路の発展で人の集まる都になっていたヤマト。色んな所からの移民や流入で収拾が付かなくなってきたのかな?って思います。
しかしそこは、この国を生まし賜うた神の中の神、イザナギイザナミ、スサノオ、大国主、天の火鉾、猿田彦、豊受大神、神宮皇后らの由緒ある一族。
全ての人たちの祖先として、その神を祀る大役を担える権威としてお迎えしたのが、天皇や皇室の始まりだったのかな、、、、と妄想しています。
継体天皇と一緒にやって来たのが、蘇我氏。って言うか、ヲホド王の家族だったりして、、、と思うのです。
新羅国と越の国は、本来同じ一族だったと思います。交易して、人が行き来して、家族を作り、補い合う。
助けた亀に連れられて、、、、浦島太郎。
イザナギイザナミの長子、蛭子、、、脱解王。
金の国から、木の国へ、、、スサノオ。
あれ、蘇我氏、、、われよみがえり、、、、だってさ。
由緒正しき、正当な、、、王家?
ではまた、お会いしましょう。
ごきげんよう。
やまとやじろべえでした。