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「子ども理解」と「集団指導スキル」が授業のベース
1.外注授業の問題点
より専門的な学びを提供してもらうために、学校では、教師ではない人たちに来校してもらって、話を聞く機会を設けることがあります。
内容によっては、お金を払ってこのような外注授業をしてもらうこともあります。
しかし大変失礼なのですが、どの外注授業も「授業」として成立していない、というのが素直な感想です。
そして、あらためて日本の教師の専門的な力量に注目することにつながりました。
ではいったい何がいけないのかというと、それは "情報提供のみに終始している" ということです。
外注授業はそれぞれその道の専門家の方たちが進めているので、情報の質としてはAランクだと思うのですが、その情報を一方的に提供しているだけなので子どもの興味・関心が継続せず、さらなる学びの意欲がわいてこないのです。
それがたとえば教師であれば、発問をして、子どもの意見を出させて、それぞれの理由を発言させ、時には意見をたたかわせて考えを深め、さらに新しい課題を持つように導きます。
外注授業はなぜそれができないのでしょうか。
理由の一つ目は「子どもを知らない」からです。
そして二つ目の理由は、「集団指導スキル」を持っていないからです。
2.子ども理解
私たち教師は、目の前の子どもが、どのような考え方をしてどんな発言をするのかを知っています。
知っているからこそ、意見交換を "学びが深まる方向で" 「瞬時に」プロデュースすることができるのです。
教師は子どもを知るために学校生活のあらゆる場面で子どもとコミュニケーションをとり、子ども理解につとめています。
私は、ロビー活動と称している休み時間でのコミュニケーションを大切にしていました。子どもが本当の自分を出してくれるのが休み時間だと思うからです。
他にも、掃除をしながら、給食を食べながらの時間も利用しました。個人ノートでのやりとりもしていました。
このように学校生活のあらやる場面を使って日本の教師は子ども理解につとめています。
そしてそれが授業の一つのベースになっています。
ちなみに、他校に来て飛び込み授業をするような名人教師は、授業を進めながら子どもを知る作業をしています。
授業をしながら、この子はどんな子なのかが見えてくるように意識しています。ここまでくると名人技です。
そんな名人技の授業は、長い教員生活の中で私は一回しか見ていません。
全く違った思想をお持ちの方ですが、その方は私の中の "授業名人"です。
3.集団指導スキル
子どもを理解しているからと言って、それだけでは授業として成立させることはできません。
子ども理解をベースにして、集団指導スキルを使って"学びが深まる方向で" 授業をプロデュースする必要があります。
ここで言う、集団指導スキルとは。
立ち位置から始まり、視野の確保、教師自身の身体の使い方、応答スキル、評価の方法とタイミング、資料提供方法、板書方法……と、多岐にわたります。
教師ではない人がなかなかできないのが子どもとの応答スキルです。
たとえば、一人の子が質問したとします。教師ではない人は、ついついその子との一対一の対話を続けてしまいます。
それに対してほとんどの教師は、その子との対話を一度集団に返す作業を入れ込みます。
〇〇さんがああいっているけど、みんなはどうかなぁ
というふうにです。
もっと言えば、その子に応答している形をとりながらノールックで他の子どもたちを見ている場合もあります。
こうした集団スキルは、日本の教師のほとんどが、意識はしていないけれど、身につけていると言えます。
4.意識して磨く
授業成立のベースは間違いなく子ども理解と集団指導スキルです。
そしてもったいないのは、ほとんどの教師がこれらを持っているのにそれを自覚できていないことです。
まずは子ども理解を日常的に進め、集団指導スキルを持っていることに自信を持ちましょう。そして子ども理解と集団指導スキルを意識することでそれらを磨いていきましょう。
そうすれば、授業の腕があがるだけでなく、子どもや保護者との信頼関係も深まること、間違いなしです。
(*ᴗˬᴗ)⁾⁾