静岡の母親刺殺事件。悲しい事件がまた起きてしまいました。スマホをめぐってのトラブルのようです。この事件のストーリー上、スマホの問題、子どもが殺人を犯してしまった時の刑法の問題などに話題が集中するのは仕方がないと思います。しかし私は、現代子ども論から考えてみたいと思いました。今の子どもたちが抱えている「生きづらさ」について考えてみたいのです。ちなみに、彼女がそうであったという話ではありません。彼女が起こしてしまった事件を入り口にして、今の子どもたちがおかれている状況を考える義務
●個性を出す勇気を同じであることは安心を生む。 個性を出すことには勇気がいる。 安心を得るためにきまりやマニュアルを求める。 「そんなもの必要ない」と主張することには、さらに勇気がいる。 それでも、教育においてみんな同じ方法をとること…、 とっているふりをすることについては批判的に考えている。 それを主張するのには、勇気がいるのだけれど。 「普通じゃないよね」は悪口になる。 「みんなやってないから」は、やらない言い訳になる。 「普通」は誰が決めたのか、 「みんな」とは一体
千葉市で感染した教諭がパラ観戦の引率をしたことがわかり問題になりました。このことがきっかけで、ようやく千葉市は観戦を中止しました。 組織委員会の武藤敏郎事務総長が30日、「観戦前に発熱の症状があったと聞いている。事前に分からなかったのか。反省すべき点がある」と述べました。 発熱時期や報告日について組織委員会と千葉市教育委員会との見解の相違はありますが、それは横においても、あいかわらずこういった問題が起こるたびに責任は現場に押しつけられるのだと思いました。 そもそも観戦は
オンライン授業の必要が叫ばれています。オンライン授業に取り組まない教育委員会や学校、教師に対して批判の目も向けられています。 しかし一言で「オンライン授業」と言っても、色々あるので、使っている人のイメージと聞く側のイメージがずれているような気がして仕方がありません。 世間の多くの人たちがイメージしているのは、教室に教師だけがいて、子どもたちは各家庭でタブレットでテレビ会議でつないで授業を進めているイメージでオンライン授業を語っているのではないでしょうか。それを実行するため
感染力が強い変異株が広がる中の学校再開。 その間、教師の健康と人権は守られてきたのでしょうか。 緊急事態宣言下でも部活動は行われ大会があれば引率……。 職域のワクチン接種も新学期には間に合わない地域が多いです。 新学期が始まればもちろん子どもたちの健康と安全優先です。 熱中症と感染に気をつけながらパラ観戦の引率をしなければならない学校もあります。 そして抗原検査キットの件。 抗原検査キットが幼小中にも配布されることについては明らかに準備不足です。 養護教諭の感
文科省は各自治体や教育委員会まかせ。 教育委員会は自分達に火の粉が降りかからない限り学校任せ。 学校や教師は上からの指示待ちで責任は各家庭に。 そんな事態になっているのなら、 どこかが闘う覚悟で子どもを守るべきだと考えます。 忠誠競争や忖度、自己防衛ばかりでは子どもたちを守れないと考えます。 文科省が子どもたちを守らないのなら教育委員会が守れ。 教育委員会が守らないのなら各学校で守ろう。 各学校が守らないなら担任が闘って守ろうではありませんか。 担任が守らな
この時期、Twitterで主張してきた三つのことがあります。 一つは、夏休み明けのコロナ対応を急ぐべきであること。 二つ目が、子どものパラリンピック観戦を止めてほしいこと。 三つ目が、この時期自ら命を落とす子どもたちが多いことから、この時期には特に子どもの思いに心を寄せてほしいということです。 まずは一つ目のコロナ対応の問題です。 感染力が強くて、子どもたちにも簡単に感染が広がる変異株が広がっています。しかし学校は、その対応が全くできていなかったので、このまま学校を
教育委員会から子ども同士の席は1m〜2mあけるように指導がきているようだが現実問題として無理。 体の大きな高学年ならなおさら。 ほとんどの教室が密。 感染力が強く子どもたちの間にも広がる変異株が広がっている中、夏休み明けの学校はとても心配。 教室の人数を20人程度にする事を本気で考えたらどうか。 変異株は、子どもたちにも簡単に広がる新種のようだ。 夏休み明けは分散登校、オンライン授業、やむを得ない場合は休校にしたらどうか。 今の時期、何も話し合いがないことが信じ
オリンピックが終わりました。 新型コロナ感染拡大の視点からの振り返りが大切です。 オリンピックが始まる前から感染は広がっていたようです。 だからといってオリンピックと感染拡大は無関係だとは言えません。 感染が拡大しているのに人が動いたり医療が手薄になったり対応が遅れたり…、が考えられるからです。 そして何よりも問題なのは、国民の目が感染対応からそらされたことでした。 選手にとってオリンピックは開かれた方が良かったし、国民も感動と元気をもらえたことは事実だと思います
新型コロナ中等症でも入院できない政策を国や都が打ち出したことについて批判が続出しています。国や都はついにコロナ対策を放棄したのか、それともすでに医療体制は崩壊してしまっているのか……。各種装置は準備するとは言っていますが、病床の確保や機器の操作は自己責任。家族の生活の保障はなし。 もし私の家族が感染したら、 ・全ての部屋の消毒 ・病床とする部屋の確保 ・自分治療スキルの取得。装置操作含む ・濃厚接触者対応 ・感染していない家族の生活場所確保 ・その他 これらのことを自己責任
もう半歩でいいから子どもに近づいてみませんか? 子どもと仲良くすることは悪いことではありません。 「なめられる」なんて心配しなくていいのです。 教師の方から子どもにはたらきかけてみてはどうでしょうか? あいさつをする、声をかける、良い意味でちょっかいを出す。 きっと笑顔で迎えてくれるはず。 教師が自分自身の生きづらさを語ろうとするとき 子どもの生きづらさと出会えることがあります。 子どもの生きづらさに気づくとき 教師の生きづらさと出会うことがあります。 教
忙しいことに異議を唱えるとやる気がないと思われるのでしんどい/ちゃんとやらせるよりも子ども理解が大切と主張すると指導力がないと思われるのでしんどい/こんなことをするために教師になったんじゃないとひとり言をつぶやきながら笑顔で子どもの前に立つことがしんどい/しんどい....しんどい.... 「でなければならない」といった決めつけが嫌い/普通は~といった「ふつう」はだれが決めたの?と思う/人間は多様であり自由/自由であることが多様性を生み出す/多様であるからこそ高めあえ進化でき
理不尽・不自由な権利剥奪に対しては笑い飛ばせ/笑えない者は 怒(いか)れ/怒れない者は仲間に愚痴れ/愚痴る仲間のいない者は一人で ぼやけ(謐け)/一人でぼやけ(謐け)ない者は逃げてしまえ/腹の中で舌打ちOK/そして....、時には「面従腹背(めんじゅうふくはい)」も悪くない。 うまくいかないことを子どものせいにしてはいけない/親のせいにしてもいけない/前の担任のするのも的外れ/自分だけで責任をかぶる必要なし/保護者や仲間と相談して前に進めばよい/仲間が悩んでいた時にも/一緒
天皇陛下から勲章をもらった祖父、塩崎光蔵について調べてみました。 マイ・ファミリーヒストリーですね。 祖父は、成蹊大学敷地内の広い庭のある一戸建てに住んでおり、私の本籍地は、今でも成蹊大学の住所のままです。 まず、「成蹊大学 塩崎光蔵」で検索してみました。 すると次のようなブログが出てきました。 ▼川口仁「日本アメリカンフットボール史-フットボールとその時代-」 http://kawaguchi-kgfighters.sblo.jp/article/241045
今どきの子どもや若者のコミュニティーは、 強い力に従い、 多数の意見に同調し、 本音でやりとりせず、 キャラを設定して安心できる場所を確保している ......ように見えますが、 実はそこは同時に、いつ排除されるか常におびえている「安心できない安心空間」であると言えます。 では、その生きづらさについて一つずつ考えてみましょう。 【強い力や多数の意見に合わせる関係】 強い力や影響力のある者の意見 、そして多数派の意見に合わせなければならない生きづらさがあります。合わせ
教員免許更新制度。ようやく廃止の方向で動くようだ。 2000年頃からの学力低下論争や、教員の質の問題などを受けて、第一次安倍内閣が導入した制度だ。 その後政権交代した民主党は見直しのマニュフェスとを掲げながら、とりあげは後回しになり、結局は継続。教育現場、教員に対する関心の薄さが露呈した。 結果、更新手続き漏れにより教員免許状の期限が切れ失効・失職する事例が続いた。 そんなことは本人の責任なのだから、失効する非常識な教員が悪いと言ってしまえばそれまでだが失効・失職する