2020年のクリスマスは病院だった。 サンタクロースがケーキとプレゼントを持って、15分の面会に来てくれた。 本を読むのも文字を書く体力も気力も続かなかったから、寝るか、動画を観るかの毎日だった。 寝る前の日記を書くことだけはずっと続けていた。 毎日の経膣エコー、破水の疑いが強かったので、感染症を防ぐための膣内洗浄。 入院を経て(この時は3ヶ月弱も入院すると思ってなかったけれど) 足を広げる内診台は何とも思わなくなった。 妊娠以外の婦人科検査もどんとこい。どうぞ何でもしてく
私たち夫婦にとって、19週は緊張。 また入院って言われたらどうしよう。 強いて言えばおりものが増えたなと思ってたくらい。 自覚症状もなかったので診察のたびにドキドキしていた。 12週までほぼ寝たきりで、だんだん食べれる、動けるようになって 16週以降は疲れやすいくらいで普段通り食べれる、動けるようになった。 急に私が動けなくなって 延長保育が増えたりして、癇癪が増えたり 夫じゃなく、あえて私に抱っこと甘えたり 息子なりに思うことはたくさんあるんだろうなと 出来る限り穏やか
4年前はコロナ禍で 病院にも入れなかったのに 「お父さんもどうぞ〜」と言われて 内診台の隣で、夫が はじめて赤ちゃんの心音を聞いて感動している。 「つわり辛いってことは、赤ちゃん元気ってことだからね、効くかわからないけど吐き気止めのお薬出しておきます。」 そう言ってもらえて、私も心音を聞けて安心した。 お薬をもらって、その足で母子手帳を貰いに行った。 保健師さんとの面談を受けたら いろいろ特典がもらえると聞いて また外出するの面倒だしとその場で面談を受けた。 でもやっ
ものすごいスピードで私の身体の中で赤ちゃんは成長していってくれてるんだろうな。 1日中、吐き気がして 喉から食道が酸っぱい。 吐きたいのに吐けない。 昔から吐くことは苦手で我慢してしまう。 息子から年明けに移った胃腸炎で、夫婦共倒れになってトイレの取り合いになった時、小さい頃ぶりに吐いて パニックになったくらい。 寝たら身体のしんどさはマシになるし 寝てる間は吐き気は感じないから ひたすら横になってぎゅっと目を閉じて 時間が過ぎるのを待っていた。 何も食べたいと思わず
東京に越してきて、3ヶ月と少し。 まだ3ヶ月しか経ってないのかと思うほど、ここでの生活に慣れた。 引っ越してきてすぐは 夫の風邪、息子の後追い(!) ドアも鍵も開けられる、会話もできる3歳児の後追いは精神的にきつかった。 大きく環境が変わって、家族3人とも心身ともに戸惑っていたんだろうと思う。 近所の子育て広場を探して、2人きりの時間を少しでも減らして、幼稚園が始まるのをただただ待っていた。 5月は新しい生活を自分に落とし込んでいった。 勝手に理想を描いていた新生活と違
3月、息子が3歳になった。 両手に収まって、呼吸の練習から人生が始まった子が、3年経つとこんなにしゃべるのか。 自分の気持ちを言葉で伝えられるようになって、わがままに疲れる日はあるけど、少し先の未来を一緒に見通せるようになって、ずいぶんと楽になった。 歩ける、話せる。 それだけで漠然としていた不安が、ただ泣き叫ばれていた頃の苦しさが薄れていく。 そして、夫が転職。 3月末に大阪から東京に引っ越してきた。 それに伴って、私は退職した。 大学生の頃から 生きづらさの側に、た
NICUで息子は呼吸器の助けを徐々に減らしながら、ゆっくり着実に成長してくれた。 授乳練習も毎日少しずつ練習して、おむつ替えや沐浴も私ができることを増やしていった。 産まれてからちょうど2ヶ月後にGCUへ移動。 GCUに移ってからも最初の頃はたまに呼吸忘れちゃうらしく、つけてたりつけなかったりしていた。 6月に入って、もうそろそろ生後3ヶ月、お世話もできるし、ミルクも母乳も飲んでくれる、呼吸ももう忘れてない。 退院できる。 やっとやっと3人での生活が始まる。 最後の日に
風を感じる。 12月21日から3月20日まで。 約3ヶ月、閉じ込められた清潔な空間にいた。 全然できない身体だけど、踊りながら帰りたい気分だった。 病院の自動ドアが開いて、深呼吸。 すごい街中だけど、外の空気にときめいた。 すぐにタクシーに乗って帰る。 私、今から家に帰るんです〜!!!!!!!! と街行く人々に手を振りながら帰りたい。 産婦人科の先生方、助産師さん看護師さん、清掃スタッフの方々、ご飯調理の方にも全員にお礼を言ってまわりたかった。 馴染みの薄い土地で、人生初
午前4時に目が覚めた。 昨日はそのまま薬が効いて、夜中も2回くらい?痛み止めの薬打ってもらって、 疲れ果てて泥のように寝てた。 産後のテンションで朝早くから、いろんな人に報告の連絡。 おはようございます!昨日産みました! NICUで頑張ってます!かわいい男の子です! 人間ってどこにどうやって力を入れて起き上がってたんだっけ? どうやって体を動かせば歩けるんだっけ? と、不思議でしょうがない程に、体が痛い。動かない。 今日の目標は部屋の中のトイレまで!と助産師さんに言われ
2021年3月13日、午後3時44分。 産声を聞かせてくれるなんて思わなかった。 妊娠31週2日。 週数的にも、羊水過少ということでよりお腹の中で肺が充分に育っていない可能性がある。 産まれてきた時に、どういう状態なのか誰にもわからなかった。 想像より元気な産声が聞こえてきて、涙が出た。 そして少しだけ顔を見せてくれた。 忘れもしない (((〇〇くん!))) 夫の弟の顔にそっくりだと思った。 その次に私の兄にそっくりだと思った。 1395gの男の子。 1500gに満た
LDR室の中で、10分間隔くらいの陣痛の中、 子宮口は4cmほど。2、3回の内診。 噂には聞いていたけれど、痛い。先生が怖く見えてしまうほど。 「このまま下から産むために陣痛に耐えるのもひとつ。 産まれる時に赤ちゃんは旋回しながら産まれるけれど、 羊水が少なくてうまく回れていないと思う。 もしかしたらうまく進むかもしれないけれど、 帝王切開するなら、夜になる前に、今決めたい。」 もっと詳しく優しく説明してくださったけど、こういう様なことを言われて、 入院してからずっと経膣
2月の終わりはこの生活が永遠に続くような、もうずっと妊娠するより前からこの病室で過ごしてきたような、遠くを見るような感覚で。 本当にこのまま4月まで、正産期までいくと思っていた。 3月4日、30週0日目。 先生たち、助産師さんたち、すれ違う人みんなに褒められる。 エコーしてもらったら、1250g! 入院した時は235gだったのに… 変わらず毎日赤っぽい羊水は流れてる。 30週かと感慨深く思っていたら、これが張りかと認識できるくらいたまに痛みのような、お腹が張って硬くなるよ
2021年2月18日、妊娠28週。 子宮の上のほうを切る帝王切開じゃなくて、通常通り子宮の下のほうを切る帝王切開が可能になった。 私が妊娠後期と呼ばれる時期を迎えられるなんて。 破水がわかって2ヶ月。もうずっとこの病院にいる。 痛みはないけれど、お腹の張りも感じることも増えてきて、羊水は出血混じりに相変わらず毎日流れていて。 日に日に本番が近づいている高揚感が増していた2月。 なんとか冷静に、毎日同じように繰り返される入院生活を穏やかに楽しもうとしていた。 29週も変わら
1月が終わる。 25週入ったあたりから、破水もオレンジやピンクがかって、出血混じりになっていた。 毎週採血して、血液検査して、毎日膣内洗浄とエコー。 破水している以外は何も問題なく、赤ちゃんも順調に成長していた。 痛みやお腹の張りがない限り、先生や助産師さんの反応も、私の気持ちも、様子見でいきましょうと落ち着いていた。 朝起きて、朝ごはん。 診察があって、NST(赤ちゃんの心音やお腹の張りを診る)をして、お昼ごはんを食べて、買ってきてもらってるおやつを食べて、シャワーを浴
毎日ぼーっとしてるだけ。 ただベッドの上にいて、好きなように過ごすだけ。 高校生の頃の引きこもり時代を思い出す。 あの頃は親が何時に帰ってくるかを気にしながら、負の感情が渦巻いていた。 今はお腹の中に仲間がいる。愛に溢れた時間。 もうこんな愛おしくて静かな時間は2度とやってこないんだろうな。 あ、そっか、私は破水してるのかと改めて実感したのは 入院から1ヶ月が過ぎた1月24日。妊娠24週3日。 その日の夢は生理中で、ナプキンからはみ出して漏れちゃう、汚れちゃう、嫌だなって
お雑煮は白味噌に丸餅。 砂糖を混ぜたきな粉にお餅をつけて食べる。 夫と過ごした年末年始でさらに気持ちを固めた私は1月4日に再入院した。 ずっと不思議な感覚。 静かでどこかふわふわするような、全てが鮮明に映るようだった。逆に全てを見透かされるような。 緊張していた。 2021年1月4日、21週4日。 羊水の量も少ないまま、検査の結果破水している。 赤ちゃんは変わらず元気。少し小さいかな、くらいで何も問題はない。 19週に破水していたとして、21週まで保ったことに驚かれた。 と