受け止めるということ
私は中学1年生の時にいじめを受けていた。
もう思い出さないようにしているからあまり覚えていないけれど、最初の私の転機だった。
死にたいと思ったし、死のうとしていた。
でも、私は想像力がまだ働いていた。
私にも笑えるはず。
私を傷つけて笑っているあの子たちみたいな気持ち悪い笑顔じゃなく。
もう学校生活はどうでもよかったから、授業を受けているふりをしてノートに物語や歌詞をずっと書いていた。
そうやって私は違う場所に行けた。
転校して、今でも仲が良いくらい友達に恵まれて、高校でまた転機が訪れた。
親の言っていることが全く理解できなくなった。
仕草が、私への接し方が全部無理になってしまって、
ひどい時には作ってくれたご飯も喉を通らなかった。
私は今でも、大きな喋り声と足音を大きく立てる人がとても苦手。
大人になって、一人暮らしを経て、月に1度程会うのがちょうどいい。
高校3年間は引きこもりだった。
世界と視界がどんどん狭くなって、とにかく自分と向き合って、自分のことで精一杯だった。
その中でも歌詞を書き、物語や詩や言葉を書いた。
高校2年生の時に初めて大好きなバンドのライブをみて、作る側、生み出す側の人間になりたいと思った。こっちだ!と強く思った。
このまま大多数の同級生と同じように総合大学に進学する未来を全く想像できなかった。
高校3年生で美術部の友達に紹介してもらった画塾に入る。
そこが夫との出会い。
静かで芯があって、笑顔が柔らかい。
この人と結婚したら、こういうおじいちゃんおばあちゃんになって、すごく幸せですごく楽しい未来が鮮明に想像できた。
告白されなかったら告白しようと思っていた。
芸術大学に入り、いろんな方法でモノに落とし込むことを学んだ。
世界にはいろんな人がいて、ひとりひとり価値観が違って、みんな面白くて私の青春だった。
私は何がしたいんだろうってずっと考えていた。
わくわくする方を選ぶ。それは今も変わらない。
私は想像する。
そうやって選択して決断してきた。
自分の直感には絶対の自信があった。
1日1日を一緒に生きて、一緒に人生を全うしたい夫。
私のお腹にやってきてくれた子ども。
「たとえ産まれなくても、生きられなくても、障害を持っていたとしても。
私は産む。諦めることは考えられない。
この子はお腹に来てくれた。
この子の人生はこの子が決めることで、それを受け止めるだけ。
親の責任ってそういうことだと思う。」