福岡地判令5.10.27
右折車が交差点内に待機し、赤信号に変わったことを見て発進する態様の右直事故、このような事故態様で、赤信号側が10割過失しかありえない、右折車に過失が付くことはありえないとする意見をたまに見る。そして、昨年10月27日の福岡地裁での裁判結果を根拠としている意見を、最近見る機会が増えたように思う。
比較的新しい裁判であること、メディアに取り上げられていること、検察の起訴判断が理不尽にも思えるものであり記憶に残りやすいこと、こういった点で知れ渡ることになったのではと思う。
この記事では、この裁判結果を掘り下げることとした。
なお、交通法規の専門家ではないので、正確性は紹介書籍や弁護士サイト、さらに正確性を望むなら弁護士相談などで補完してほしい。
裁判報道
裁判報道のうち、無料で全文確認可能なものを紹介しておく。
裁判例
この裁判は、裁判所の裁判例検索によって公開されている。
福岡地判令5・10・27、事件番号は令和5年(わ)12。
事故態様
事故報道から、事故現場は福岡県古賀市にある久保石原交差点とわかる。片側3車線道路で右折レーンが設けられた、かなり広い道路。
事故の発生は2021年10月7日。19時3分頃。7月だと日没前だが、当日の日没は17時42分。すでに暗かったことだろう。
直進バイクは北進、右折四輪車は南進して交差点進入して右折。このような右直事故となっている。
右折四輪車は、青信号で交差点に進入のうえ、交差点内で一時停止。その後、赤信号に変わり、第2車両通行帯と第3車両通行帯の四輪車が赤信号に従って減速。これを確認したうえで右折を開始。
直進バイクは、第1車両通行帯と第2車両通行帯の間を走行。第1車両通行帯~第3車両通行帯のすべてに四輪車が先行していた。これら3台の四輪車はいずれも赤信号によって減速、停止したところ、減速中の四輪車を追い抜いて交差点に赤信号で進入した。
その結果、直進バイクと右折四輪車の右直事故となった。
右折車はかなり慎重に右折進行の判断を行っていることが分かる。なぜ起訴され裁判となっているか、不思議に思う人も多いと思う。
事故過失の争点
信頼の原則
通常、赤信号無視してくる車両はないものと信頼してよい。その信頼のもとに行動した結果、事故となり、人身加害があったとしても、過失責任を問われることはない。これは、信頼の原則と呼ばれる。
裁判のなかでも「赤色信号に従わないで本件交差点内に進入してくる対向車両はないと信頼することは許されるというべき」と記されている。至って真っ当な裁判結果に思う。
信頼の原則の例外
しかし、判決文の「赤色信号に従わないで本件交差点内に進入してくる対向車両はないと信頼することは許されるというべき」には、前提条件が付されている。以下の太字の部分である。
この太字部分を逆説的に読めば、赤信号無視車を現認できる場合など、赤信号無視車の発生が認識できる場合や認識すべき場合は、対向車両の動静を注視する義務、そして事故を回避すべく右折を差し控える義務が生じることとなる。しかし、今回の事故ではそのような事情はなかったと司法判断されている。
信頼の原則における前提は、先に紹介した書籍『基礎から分かる交通事故捜査と過失の認定』で以下のように説明されている。
こちらの説明を見ても、赤信号無視車の存在が容易に認識できる状況にあれば、対向車両の動静を注視する義務、そして事故を回避すべく右折を差し控える義務が免除されないことは分かると思う。
報道の取り上げかた
先のNHKの報道記事で、裁判内容を抜粋している部分を示してみる。
裁判内容の抜粋を分割してみる。
この報道記事は間違ったことを言っていない。③が、先行車両によってバイクの動静を認識できない状況にあるという前提付きで、注意義務が否定されていること。②が、信頼の原則を適用できる根拠として十分であること。そこまで読める視聴者にとっては間違っていない。
ただ、ネットを見ているとそこまで読み取ることができていない人をしばしば見る。相手車両の動静を認識できる場合にすら、①「赤信号で交差点に進入してくるバイクまで予測して安全を確認すべき注意義務はない」と判決されたかのように理解している人を見かける。
判決文のなかにある「別の対向車両が赤色信号に従わずに本件交差点内に進入しようとするのを現認するなど、相手方が交通上適切な行動をとることを期待できないことを認識し、あるいは認識すべきであったときのような特別の事情のない限り」、これに類する説明があれば、無条件に注意義務が免除されているかのような誤解をする人もいないのではと思う。
果たしてこれは、報道の問題か、視聴者の問題か。個人的には、報道側がもう少し丁寧に説明してほしいと思うところ。
対向車両の認識の程度
判決文のなかに、各車両の位置関係が克明に記されている。黄信号から赤信号に変わった時点の車両の位置関係を図示してみた。バイクのフリー素材が見つからないため、四輪車を押しつぶして長細くした画像で代用した。
それぞれの直進車の停止位置からの距離は、判決文のなかに記されているものを使用した。車幅と右折車の待機位置は、GoogleMapを用いて、航空写真と距離測定機能で算定した。図示するうえでの若干の誤差はご容赦を。
後続二輪車は右折待機車から見て、第2車両通行帯と第3車両通行帯の先行四輪車によって斜線が阻まれている。そのため右折待機車による動静認識はほぼ不可能といえる。夜間では存在認識すら怪しい。
そして、先行3台が減速して赤信号停車の動きを見せているところ、後続二輪車が合間を抜けて、赤信号を無視して突っ込んでくるとは予測できない。
また、右折を開始したあと、右折車の意識は完全に右折先を向いていたと思う。「被告人は、B車両を衝突の直前まで視認していなかった」というのも無理からぬことと思う。
裁判に至る経緯
上記のように、ほぼ無理筋な形で起訴され、無理は通らず、無罪となった。なぜこのようになったのか。それも判決文に記されている。
まずは大まかな経緯を時系列で記す。
公訴事実の祖語
略式起訴の時点では、公訴事実がこの裁判とは異なっていた。
このように、信号の状況や直進四輪車の停車理由が実際の状況とはまったく異なっていた。警察の初動捜査が不適切だったのだと思う。右折四輪車の運転者がナイジェリア国籍ということで意思疎通に問題が生じていたのかもしれない。その意思疎通含め、警察の初動捜査が不適切だったのだろう。
ざっと調べたところ、ナイジェリアは方言含めて520以上の言語があると言われており、公用語は英語ながらナイジェリア英語と呼ばれるほどの独自さがあるらしい。イギリス英語ベースに、アメリカ英語が少し混ざって、ナイジェリア英語特有の単語や言い回しがある……とネットでは見られる。日本語をどのくらい話せる人だったのかは分からないものの、事故の状況説明がうまく通じなかった部分がありそうに思う。
略式起訴
略式起訴されている。略式起訴には被疑者の同意が必要とされる。一度は同意したが、略式の手続き中に拒否したということだろうか。これもまた、意思疎通が取れていないことを表しているのかもしれない。
補充捜査と訴因変更
補充捜査と訴因変更の流れは、読売新聞の記事から読み解ける。
以下抜粋する。
補充捜査がどのくらいの期間かかるものか分からない。2023年7月の訴因変更、これより少しの時期だろうと思う。すると、簡裁での裁判のほとんどは無為に時間だけが過ぎていったということになりそうに思う。
訴因変更ではなく公訴取り下げ(刑事訴訟法257条)でよかったのではないかと思う。しかし、このようなケースで控訴取り下げになることはほとんどないらしい。この点、検察の体質ということかもしれない。
報告義務違反
実はこの裁判、報告義務違反にも問われている。警察への報告義務を怠ったというもの。
この記事の主題からは外れるため、簡単に触れるに留めるところ、この点についても無罪とされている。
相手の負傷と双方の車両損壊が軽微であったこと、事故直後の当事者間の会話によって自車の損壊だけを認識していたこと、部品の欠落や落下を伴うような損壊がなく事故後の交通に影響を与える態様の事故でなかったことなどが考慮され、刑罰をもって臨むほどの可罰的違法性があるとはいえないと判示された。
この判決部分には興味深い部分がある。別の記事でまとめるかもしれない。
最後に
報道の取り上げかたに書いたものの繰り返しになるところ、最後にまとめておく。
メディアがもう少し丁寧に説明してほしいと思う。
裁判個別の結果も重要ながら、その裁判結果がどの程度一般化できるかもまた重要と思う。メディア報道には、その部分への解説があまり見られない。そして、報道を見た人のなかには、一般化の程度を間違えてしまう人がしばしば現れる。
今回のケースだと、相手車両を現認できる場合、赤信号無視車が進行してくることが認識できる場合ですら、「赤信号で交差点に進入してくるバイクまで予測して安全を確認すべき注意義務はない」とされた裁判であるかのように読み取ってしまう人が現れる。
判決文のなかにある「別の対向車両が赤色信号に従わずに本件交差点内に進入しようとするのを現認するなど、相手方が交通上適切な行動をとることを期待できないことを認識し、あるいは認識すべきであったときのような特別の事情のない限り」、これに類する説明が報道の中に欲しい。これがあれば、無条件に注意義務が免除されているかのような誤解をする人もいないと思う。
あとは、報道を鵜呑みにしてはいけないということ。
やはり原典確認が重要ということだと思う。