“やさしさ”の持続可能性 —ブーガルーカフェ百万遍店閉店によせてー



京都、百万遍(ひゃくまんべん)交差点は京都大学のお膝元で、自転車に乗った学生達が大勢行き交う。ドラッグストアや飲食店が建ち並び、こんな時期でなければ、昼も夜も賑わいを見せていた。

百万遍にはかつて「レブン書房」という本屋があったし、「モナコ」というパチンコ屋があった。今はそれぞれ「餃子の王将」「快活倶楽部」になった。僕が京都に来てから九年になる。その間にもテナントの入れ替わりはたくさんあった。

ブーガルーカフェ百万遍店が閉店するという知らせは、人伝に聞いた。百万遍の交差点を西に入ると、どでかいショートケーキのオブジェが店頭にあった。ドアを開けると、右手にパンダの顔が飾られている。手前はソファー席(何かを食べるにはふかふかすぎる)、薄暗い照明、広い厨房——。

大きな店だった。満席になっているのを見たことはない。最近はどうだったのかはわからないが、お洒落な内装とは裏腹に煙草が吸えた。特筆するほどあたたかい接客だったわけではないが、慣れた店員さんは無言で僕に灰皿を用意した。砂糖もクリームも持ってこなかった。

朝5時まで飲んだその日、ママチャリで家に帰って19時頃まで寝、20時にブーガルーに集合した。ブレンドコーヒーは荒れた胃に優しかった。二杯目は半額になるから、きまって二杯目を飲んだ。ふかふかのソファーは立ち上がる気を削ぐ。パンの食べ放題は割安で、腹持ちが良かった。そうして閉店までだらだらして、近くの居酒屋に行く。21時以降のエンドレス飲み放題が、格安だからだ。

思い出ならたくさんあるし、その一々を書くこともできる。

ただ、僕たちは思い出の場所には何も出来ない。いや、出来なかった。感傷の材料にするのは簡単だ。新型コロナウイルスに敵意を向け、政治に文句をつけるのも容易い。

自分が無力だと思った。そして無情だとも思った。結局のところ、自分と身の回り以外のことはどうでもいい、と言うしかない。金や影響力がなければ、何も救えないし、何も自分の意図通りには運べない。ウイルスが蔓延する前からわかっていたはずだった。

現状の社会体制をぶち壊す覚悟がなければ、結局僕たちは強者と弱者の選別を受けるし、あろうことか“選別する立場”にさえもなる。

店が潰れる、ありふれたこと、しかし、それを受け入れて感傷に浸る自分も無力なように思う。「思い出だったのに」「コロナウイルスが憎い」「これは人災だ」、言うのは簡単だ。しかしその言葉に、本当に心の底からの感情の塊が乗っかっているとは言い難い。いつだって僕たちはやさしさを持続できない。何十文字何百文字あるいは何千文字かの言葉に乗せて、僕たちのやさしさは上滑りしてゆく。上滑りの果てには、オナニー後のティッシュだけが残る。

好きだった店は、他にもたくさん閉店した。ある店が閉まり、また新しい店が生まれる。そして知らない誰かの思い出の場所になるのだろう。資本主義社会下では当たり前のサイクルだ。

もちろん好きな店が無くなることは悲しい。しかし閉店した店に、「これでまた開けてや!」と札束を渡すことは出来ない。札束を持っていないからだ。

「良い店やったなぁ」の一言だけ。僕がこれから閉店した思い出の店に関して言うのはこれだけだろう。僕はノスタルジーが嫌いだ。昔話ばかりするのには嫌気が差す。

だから、店主の方には、最後に心からの「ごちそうさまでした」を送りたい。へのつっぱりにもならないのはわかっている。ただ、食べ過ぎたパンの分ぐらいは、何かを書きとめておきたかった。