tsukishi

雑多な小噺。長いものは他媒体にて。

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最近の記事

ボードレールの一行

 数ヶ月前、芸能人の政治的発言についての議論があった。歌手でタレントのきゃりーぱみゅぱみゅが、政治的な発言「#検察庁法改正案に抗議します」とtwitterに投稿したことでいわゆる「ネット右翼」「ネット左翼」は大きな盛り上がりを見せた。 議論と言っても「芸能人は黙ってお人形さんしてろ」と批判する人と、「芸能人だって政治の参加者、主張する権利は誰にだってある」と擁護する人、あるいはその発言内容についての賛否と、特に主張はなくとも盛り上がっていた人、それぞれがそれぞれ大きな声で、

    • 『いつか大人になって恋をして 心が変わっていても』

       僕の母は筋金入りのSMAPファンだった。  勿論ファンクラブには入っている。コンサートのチケットはあの手この手で必ずとる。家にはキムタクの団扇が溢れていたし、スタジオの出待ちにも幼い僕は連れて行かれた(当時は東京に住んでいた)。長らくの出待ちが功を奏して、奇跡的にスタジオ内のレストラン(「今昔庵」と言うところだった)で、キムタクの隣の席でご飯を食べられたこともある。母は叫び、後に静かに涙を流していた。  そんなわけで、僕はSMAPの楽曲とともに青春時代を過ごした。日中、

      • 村上春樹は毎日走る

        退廃した生活、というものには魅力がある。 退廃した人間が生み出すもの、語る言葉には天啓めいたものさえ感じる人もいる。「芸術家」と自称されると、みな退廃した生活を思い浮かべる。 食費もままならない。毎日のように借金返済の催促が来る。割れた窓ガラス、止まった電気。しかし酒、煙草、クスリは欠かさない。机には煙草の空き箱と酒の缶。そして、筆をとっては書き殴る。怒りを鎮めるように、または嘆きを迸らせるかのように。 このようなイメージの元に、みな退廃と芸術を結びつけているのだろう。

        • EDMおじさんがEDMを捨てた日

             どの町にも、名物の“変なおじさん”は存在する。   例えばK市のD池の近くには、小学校の校庭で育てているじゃがいもを軒並み盗んでいくおじさんがいた(トタン屋根のボロ屋に住んでいた)し、S区のT二丁目には、禿頭に油性インクで髪を描き足しているおじさんがいた。    彼らは時に畏怖の対象にもなるが、しかし居ないとなればそれは寂しい。間違いなくその地域の家族の団欒に花を添えているし、事実僕はそんなおじさんたちが好きだ。話題に上るのにも才能は要る。つまらなく、均質化した世

          “やさしさ”の持続可能性 —ブーガルーカフェ百万遍店閉店によせてー

          京都、百万遍(ひゃくまんべん)交差点は京都大学のお膝元で、自転車に乗った学生達が大勢行き交う。ドラッグストアや飲食店が建ち並び、こんな時期でなければ、昼も夜も賑わいを見せていた。 百万遍にはかつて「レブン書房」という本屋があったし、「モナコ」というパチンコ屋があった。今はそれぞれ「餃子の王将」「快活倶楽部」になった。僕が京都に来てから九年になる。その間にもテナントの入れ替わりはたくさんあった。 ブーガルーカフェ百万遍店が閉店するという知らせは、人伝に聞いた。百万遍の交差点

          “やさしさ”の持続可能性 —ブーガルーカフェ百万遍店閉店によせてー

          最後の博打

          彼女の言葉を、はじめは上手く聞き取れなかった。 今思えば、脳が解釈を拒否したのだろう。しかし数秒遅れて、やっと彼女の発した音が意味を成した。 「もう無理だよ、別れよう」 その言葉をようやく解したとき、頭は冷静だった。女性に別れを告げられたときに、選択肢は二つある。 一つは「最後まで格好付けて、別れを綺麗に受け入れる」だ。内心穏やかでなくとも、せめて最後は美しく。彼女の最後の思い出は、クールで男らしい僕。 もう一つは「拝み倒して泣き倒す」だ。別れたくない。いやだいやだ

          最後の博打

          『サバイバルキッズ』と僕らのハッピーエンド

          『サバイバルキッズ』は、1999年に発売されたゲームソフトだ。 主人公は、海難事故によって無人島にたどり着き、そこで生き延び、脱出しようともがく。最初の持ち物は『ナイフ』、『電池切れのラジオ』、『湿気たマッチ』の三つだけ。島に点在するアイテムを拾ったり、合成したりして、動物を狩り水を確保しながら、行動範囲を広げていく。今のゲームで例えると『マインクラフト』に近い。ゲーム内での自由度は高く、死にさえしなければ何をしていてもいい。必死に脱出方法を模索してもいいし、食糧を確保して

          『サバイバルキッズ』と僕らのハッピーエンド

          bokete:現代アート

           モメにモメる現代アート話だが、それゆえ何かを言いたくなった。   まずは次の画像を見て欲しい。  私はこの「bokete」を面白いと思った。声を出して笑ったわけではない。興味深い、interestingという意味でだ。  私はこのドラえもんの元画像の原典を知っている。それも何度も繰り返し読んだ作品だ。このコミック『ドラえもん のび太の太陽王伝説』は、劇場版(2000年3月11日公開)の作品をコミカライズしたものである。当時は月刊コロコロコミックにも掲載されたから、読ん

          bokete:現代アート

          tinder——不確かな筺——

           四、五年前ぐらいには、tinderはおよそ出会えるアプリとは言えなかった。  人も多くなってきて「出会える」と確かに思えるようになったのは三年前ぐらいからだろうか。留学帰りの学生、あるいは海外からの留学生やその周りの高学歴大学生たちに口コミで浸透し、そしてその名を大いに轟かせたのは「暇な女子大生」というツイッターアカウントの出現だろう。  「ちんぽの食べログ」と銘打たれ、高学歴男性たちとの赤裸々な情事が書き連ねられるこのアカウントは瞬く間に人気を獲得し、多くのtinde

          tinder——不確かな筺——

          タケルのヨッシー

             大乱闘スマッシュブラザーズDXでは、ファルコを使っていた。  なにせ小ジャンプからの下Aは強力で、ステージの端で当てれば相手にダメージが溜まっていなくとも撃墜することができた。リフレクターでジャンプの動作をキャンセルできるのも魅力的で、立ち回りでは相手の予測を裏切った。小ジャンプをしながらブラスターで相手を牽制できるから、間合いも思い通りだった。  こんな自慢はみな人生で腐るほど聞いてきただろうが、実際僕は「クラスで一番スマブラが強かった」。家ではスマブラばかりし

          タケルのヨッシー

          『黒い鉛の夢』

          《この文章は『モノ・シャカ』四号、テーマ「死・不条理・もしくは笑い」に書き下ろしたものです》  オーギュスタンは十三歳か十四歳くらいの男の子でした。なにせ自分の歳を数えたこともないし、いつ生まれたのかも定かではなかったのです。ちいさいときに、エンゾという名の魔法使いに拾われて、それから数年間は一緒に森の奧にある質素な小屋で暮らしていましたが、いつの日からかエンゾは小屋に帰ってこなくなりました。それからオーギュスタンはずっとひとりぼっちでした。  毎朝アオガラたちの囀(さえ

          『黒い鉛の夢』

          五月十六日、僕はアートを知らない

          【以下の文章は、京都府立植物園に於いて開催された展覧会『生きられた庭』(2019年5/12~5/19)の公式サイトに寄稿したものです】  展覧会の警備や監視をしていると、答えに窮する質問がある。 「これはなんですか?」  僕は『生きられた庭』に季刊同人誌『モノ・シャカ』の一員として協力・参加し(公式パンフレットの下の方にロゴを載せていただいている)、文書の執筆から展覧会の設営、警備や監視などに携わっている身だ。キュレイターや参加アーティストたちとも面識はあるし、作品の意

          五月十六日、僕はアートを知らない

          満タンライフの魂魄唐揚げ

             マンナンライフの蒟蒻畑を喉に詰まらせて、父が死んだ。  この一文だけでも死の禁忌性は浮き彫りになる。どれだけ滑稽であろうと、どれだけおもしろいと感じても、人の死は笑ってはいけないものなのである。実際このような事故は多発していて、心を痛め三日三晩泣いた遺族もいたはずだ。しかしどうしても滑稽さが滲み出てしまう。「マンナンライフの蒟蒻畑」という言葉が日常に接しすぎている。ハレの要素がある分、まだ餅の方がマシだ。しかし、人は先の一文には笑えないし、笑えたとしてもどこか後ろめ

          満タンライフの魂魄唐揚げ

          十三

           夜の十二時を過ぎた十三駅のホームでは、大声で話す若者や、眠たい顔をこするサラリーマンが昨日の続きを生きている。僕も彼らと同じように、昨日は働きそして飲み、しかし勇気が足りないがためにこうして家に帰ろうとしていた。それも彼女の家に、だ。終電間際のホームにドラマなんかは落ちていない。それは重々承知しているつもりだった。しかし現実はときに僕たちにちょっとしたご褒美をくれることもある。  梅田行きのホームにある三人掛けのベンチの下に、寝転がって酔いつぶれている男がいた。特段珍しく