『サバイバルキッズ』と僕らのハッピーエンド
『サバイバルキッズ』は、1999年に発売されたゲームソフトだ。
主人公は、海難事故によって無人島にたどり着き、そこで生き延び、脱出しようともがく。最初の持ち物は『ナイフ』、『電池切れのラジオ』、『湿気たマッチ』の三つだけ。島に点在するアイテムを拾ったり、合成したりして、動物を狩り水を確保しながら、行動範囲を広げていく。今のゲームで例えると『マインクラフト』に近い。ゲーム内での自由度は高く、死にさえしなければ何をしていてもいい。必死に脱出方法を模索してもいいし、食糧を確保してのんびり釣りをしていたっていい。
僕もゲームボーイに齧り付いて、3LDKマンションの子供部屋という安全地帯からの「サバイバル」を満喫した。当時僕は九歳だった。「サバイバル」とか「秘密基地」とか、そういう言葉に一番憧れる年頃だった。
『サバイバルキッズ』はマルチエンディングのゲームだ。単一の目標を達成すればクリア、というわけではなく、主人公の行動によって複数のエンディングが用意されている。全てのエンディングを見ることで完全クリア、となる。
一番簡単に達成できるエンディングは『砂浜に「SOS」と書いて、それをヘリコプターに発見されて脱出する』というものだ。最初の漂着地点の近くにある小屋で息を潜め、壊れたラジオを直し、うさぎやりんごを食べて退屈や空腹を堪え忍べば、ものの数十分でこのエンディングには到達できる。
対して、一番難しいエンディングは「タイトなスケジュールのなかで古代船を修理して脱出」だ。一定の条件を満たせば、島の中でペットの猿や、同じように漂着した同い年の女の子と出会う。猿や女の子と協力して、古代船の動力となる宝石を全て集め、病気の女の子を上手く看病することで、二人共々に船出をする晴れ晴れしいエンディングを迎えることができる。
当時の僕は、全てのエンディングを見たいがために躍起になった。しかし、攻略本を買うお小遣いはなかったから、何度も何度もサバイバルしたのである。インターネットは存在こそしていたものの、今のように気軽に使える時代ではなかった。
筏で脱出したり、その筏が壊れてゲームオーバーになったり。毒キノコでしびれて死んだり、熊に襲われて死んだりーー。古代船は何度も直した。女の子の体調不良も直した。しかし見られないエンディングがあった。
一日三十分。僕の家はそこそこ教育熱心だったので、それが僕に許されたゲーム時間だった。親の目を盗んだり、親の目を盗んだり、たまには親の言うとおりにしてみたり。そうして何度も何度もプレイして、ついに到達したエンディングを僕は今でも忘れることができない。
女の子と出会い、漂着から100日(ゲーム内時間)が経過したときのことだ。
画面が暗転して、切り替わる。
(そしてすうねんご…)
主人公「あれから ずいぶん たっちゃったなぁ…」
女の子「そうね…でも いいんじゃないかしら
べつに このままでも こまらないし」
主人公「そうだね!」
(ふたりは このしまで たのしく くらして いきました…)
「人生は最高のゲームだ」、という表現には同意できない。人生はそんなにドライで割り切れるものではない。しかし、ゲームが人生に影響をもたらすことはある。
単純に、当時の僕はこのエンディングに妙にドキドキしてしまった。女の子と二人、無人島。「たのしくくらしていきました」。
一方で「んなアホな」という感情も拭えなかった。
今考えれば、これは「示唆」なんて生ぬるいものではない。思いっきりの「説話」だと思う。「説教臭い」とまで言ってもいいかもしれない。しかしこのエンディングは、実際九歳の僕に強烈な印象を残したのである。
僕らの人生にエンディングはない。というよりもエンディングは存在するがそれを認知できない、という表現が正しいだろう。何せいつ終わるのかもわからないし、いつからがエンディングとして語られうるのかもわからないからだ。
その終わりの無さに辟易することもあれば、有限性にうんざりすることもある。しかしその捉え方はその時々の「気分」くらいのものでしかないから、たちが悪い。体系立てて自分の人生のエンディングについて考えることは不可能だ。
ただ、僕は人生の岐路に立たされる度に思う。(たのしくくらしていきました…)と言われるにはまだ早い。まだまだ集める宝石が残っている。しかしながら、女の子と一緒に居て「べつに このままでも こまらない」のならば、それもまたハッピーエンドへの一つの道筋なのかもしれない、と。
もちろん、他のハッピーエンドだってまだまだ探す。どこで何がハッピーエンドに繋がっているかなんてわからないからだ。
そんななかで僕らができることは「毒キノコを食べない」ぐらいのもんだろう。獣を避けたっていいが、それでは無人島だろうがコンクリートジャングルだろうが、飯は食えないのだ。