タケルのヨッシー
大乱闘スマッシュブラザーズDXでは、ファルコを使っていた。
なにせ小ジャンプからの下Aは強力で、ステージの端で当てれば相手にダメージが溜まっていなくとも撃墜することができた。リフレクターでジャンプの動作をキャンセルできるのも魅力的で、立ち回りでは相手の予測を裏切った。小ジャンプをしながらブラスターで相手を牽制できるから、間合いも思い通りだった。
こんな自慢はみな人生で腐るほど聞いてきただろうが、実際僕は「クラスで一番スマブラが強かった」。家ではスマブラばかりしていたし(もちろん対CPU戦ばかりでは対人戦の勘が鈍るため、弟をボコボコにする)、放課後は誰かの家に集まってスマブラに明け暮れた。スクールカーストの上位では、万引きしたシャーペンの数や吸ったシンナーの量がステータスだったが、下位でうじうじしている僕らには、プレイ時間の経過とともに増えていく「撃墜数」が勲章だった(ここに、筆者がこの時代福岡県久留米市に在住していたことを明記しておく。荒れた田舎だ、と言いたい)。
僕が勝ちすぎて、小泉が怒って三時半に早々帰ったこともあった。僕が勝ちすぎて、安永っちがお母さんに言いつけたこともあった。とにかく、僕は負けを知らなかった。長い時間プレイすれば、それは何回か負けることもあるが、誰もが「月嶋が一番強い」と認識するだけの格差を見せつけていた。
僕のクラスにいた「タケル」という奴がいた。とにかくよく奇声を発するし勉強は出来ない。運動もてんでダメ、年中鼻水を垂らしては袖でぬぐっていた。そして毎日紫のTシャツを着ていた。それは墨汁や絵の具で汚れていた。
タケルは黒板の前に立たされてもチョークを持ったまま固まっていた。クラスのヤンキーがそれに消しゴムを投げて笑っていた。先生は「やめなさい」と小さく言って、苦笑いをしていた。
ひょんなことから、タケルの家で遊ぶことになった。タケルと仲の良かった室田君という奴が誘ってきたのだった。室田君は物静かで女っぽい変な奴だったが、クラスで唯一三重跳びが出来た。女走りだったが、クラスで一番足が速かった。
タケルの家は、小学生の僕がわかるぐらいには貧乏で、ささくれ立った畳が靴下越しにもチクチクした。お母さんは働きに出ているらしくて、家には誰もいなかった。僕はコントローラーを三つ持ってきていた。
僕はドクターマリオを選んだ。室田君はあまりゲームをしないから、とりあえずマリオを選んだ。タケルは「やっひ〜」とか言いながら、ヨッシーを選んだ。ヨッシーの色を黄色に変えて、前屈みに小さなテレビ画面にのめりこんだ。ステージは「終点」だった。
タケルは楽しそうにヨッシーを操った。「ひゅ〜」とか「やひぃ〜」とか、ヨッシーの動きに合わせて体を揺らして叫んだ。室田君は早々と三機なくなって、「あぁ〜」と肩を落とした。僕はBボタンでカプセルを投げて間合いを取りながら、ヨッシーの奇妙な動きを見ていた。タケルは相変わらず、体を揺らしてぶつぶつ言っている。
結果、タケルが勝った。「やっひ〜」とタケルはヨッシーのまねをして喜んだ。僕はすぐにスタートボタンを押してファルコを選んだ。絶対にボコボコにしてやろう、そう思った。
僕は小ジャンプを繰り返した。そしてその間隙にブラスターをヨッシーに撃ち込んでいく。確かにヨッシーに当たっているが、タケルは「うにゃ〜」とか言いながら痛そうな表情をしている。表情からは余裕が見て取れた。余計に苛々した。なんでこんなやつに、今に見てろ。
タケルは僕の小ジャンプのタイミングを予め分かっているかのように、華麗に避け、そして効果的に空中で攻撃を当ててきた。顔を見る暇なんかなかったが、どうせ鼻水を垂らしているのだろうと思うと、コントローラーを握る手に力が入り、汗ばんだ。タケルのヨッシーに面白いように空中攻撃を当てられ、僕は小ジャンプの着地のタイミングで何度も投げられた。タケルは二機を残して、リザルト画面が映った。
タケルの顔を見た。鼻水をいつもの紫のTシャツで拭って、「ひゅ〜〜〜」と言って笑った。それから何度やってもタケルには勝てなかった。僕はタケルが死んでしまえばいいと思った。
それから僕はタケルと一度もスマブラはしていない。室田君とは何度か遊んだが「タケルも呼ぶ?」と聞かれても僕は首を縦には振らなかった。次第に室田君はそれも聞かなくなった。数年後僕は転校した。神戸市の中学は、久留米以上に規則に厳しくて、久留米以上に土っぽかった。
大学に入って京都に来て、何度かスマブラ、それも「スマブラDX」をする機会があった。今では「地元で一番強かった」なんて言うこともない。スマブラのお供はポテチの代わりにウイスキーやテキーラになった。ベロベロになっても大概の奴は二機残して勝てた。
ただ、僕は今でも「タケル」を恐れている。否、正しく言えば、「タケル性」のある人間を恐れている。