EDMおじさんがEDMを捨てた日
どの町にも、名物の“変なおじさん”は存在する。
例えばK市のD池の近くには、小学校の校庭で育てているじゃがいもを軒並み盗んでいくおじさんがいた(トタン屋根のボロ屋に住んでいた)し、S区のT二丁目には、禿頭に油性インクで髪を描き足しているおじさんがいた。
彼らは時に畏怖の対象にもなるが、しかし居ないとなればそれは寂しい。間違いなくその地域の家族の団欒に花を添えているし、事実僕はそんなおじさんたちが好きだ。話題に上るのにも才能は要る。つまらなく、均質化した世の中において、一番《遊び》を堪能している人たちだと言っても良い。
京都市の繁華街、木屋町も例外ではない。呼び方は様々だろうが、変なおじさんと言えば、一人ド派手な方がいらっしゃる。京都で夜遊びをしている人なら、誰もが見たことがあるだろう。
短パン(もうそれ見えてません?というぐらいの丈)に、タンクトップ、キャップ姿。時に女装をしていることもある。いわゆる「無難」な格好をしているのを見たことがない。LEDライトが明滅するド派手な自転車を颯爽と転がし、カゴにはスピーカーが入っている。スピーカーからは爆音で往年のEDM(エレクトロニック・ダンス・ミュージック)が流れている。
そうして木屋町を闊歩し、彼は一所ずつ爆音を流していく。人が集まる喫煙所、川岸、或いはベンチ。チカチカと自転車が光り、四つ打ちの低音が鼓膜を刺激する。景気が良い。否が応にも楽しくなってきてしまう。
彼を仮に「EDMおじさん」と呼ぶことにして、EDMおじさんはいつも笑顔だった。ガラの悪いヤンキーにいちゃもんをつけられているのも見たことがあるし、派手な髪色のギャルに指差され嘲笑されているのも見たことがある。夏場には水着姿、高瀬川のど真ん中で横になっていて、外国人観光客に写真を撮られまくっていた。しかし、EDMおじさんはめげないし、笑顔を絶やさない。なんなら、誰とでも仲良くなろうとする。気さくに話しかけるし、町では彼に手を振る若者もいた。僕も毎回出会う度には、二、三コトは話す。
先日。夜。
緊急事態宣言の延長に伴って、京都市内は目に見えて「緊張の糸が切れた」。
木屋町の喫煙所の近くで、仕事終わり、いつも通りストロングゼロのロング缶をあけていると、背後から爆音が迫ってきた。振り返らずともわかる。EDMおじさんだ。
しかし、彼が近づいてくるにつれて、ある違和感が募った。いつもの唸るような重低音が聞こえない。バカみたいに律儀な四つ打ちの電子音も聞こえない。
流れていた曲はJITTERIN'JINNの『夏祭り』だった。
彼は喫煙所前にド派手な自転車を停めた。
人もまばらな喫煙所、しかし誰もが『夏祭り』に心を委ねているように、僕には見えた。肩を揺らしたり、口ずさんだり、チラチラとおじさんを見たり。誰もが次の夏を思った。
しかし『夏祭り』が終わったあと、彼はまた往年のEDMを流しはじめた。喫煙所にいる誰もが「結局またそれか」という顔をしていた。誰もが知っているような“コテコテの”EDMばかり。しかし段々と音はぶつ切れになっていく。おじさんは僕の方に近寄ってきて、言った。
「もうすぐスピーカー電池切れやねん」
おじさんは、悔しそうに、しかしはにかんだ。
彼は自転車に跨がり、ピカピカとした車体を転がしはじめた。ぐんぐんとおじさんの姿は小さくなっていった。途切れ途切れに聞こえるEDMも、徐々に小さくなっていく。ズン、ズン、ズン、……ン、……、……。
EDMおじさんは誠実ではない、と思う。正しく言えば、僕の目には誠実として映らなかった。
しかし「切実だった」。切実に音と祭りを愛した。切実に場を盛り上げようとした。それを迷惑と思う人もいるかもしれない。「家でやれ」と怒る人もいるだろう。しかし、一人きりの祭りなんて、音のない祭りなんてーー。
それも、この日は『夏祭り』を流した。これはもうエゴではない。慈善だ。彼は彼なりに、この絶望的な状況下で、僕たちを元気づけようとした。町を元気づけようとした。そしておそらくだが、彼自身をも。
先述した変なおじさん“たち”も切実だった。じゃがいもを盗むのはもちろん犯罪行為だ。頭に油性インクで髪を描くのはどう考えたって常識的ではない。しかし彼らは切実だった。誠実ではない。
僕は切実さがが好きだ。切実さには、なかなかお目にかかれない。対して“誠実さ”なんてものは、発露する相手さえ選ばなければどうにでもなる。誰かに誠実であれば、他の誰かに不誠実になるだけの話だ。しかし“切実”は狙って生み出せるものではない。「切実であろう」としても、いけない。真に心から何かを思うこと、何かを考えることでしか“切実さ”は生み出せない。切実には感情の甚だしさが必要だ。それは恋や愛かもしれないし、憎悪や怒りかもしれない。具体的にはわからないが、甚だしい感情、それが切実さに結びつく唯一の道標だろうと思う。
四つ打ちのビートは聞こえなくなった。静まりかえった喫煙所で、ふと夏の虫の音に気付いた。いつもの夏がまたやってくるだろうか、と思案したが、すぐにやめた。単純に面倒くさかった。その感情は、自分に対しては誠実だったかもしれないが、全くもって切実ではなかった。
ーー手元のストロングゼロを見ると、「現金! 丼! 当たる!」と書いてある。ストロングゼロはひょっとすると「切実」な飲み物なのかもしれないと僕は思った。