【ありふれた日常から】当たり前が当たり前でなくなる日〜懐かしい豆腐屋さん〜
子供の頃のことだ。
50年くらい前かな。
大量の豆腐をリヤカーに積んで、それを自転車で引っ張りながら売り歩く(走る)おじさんがいた。
その当時はどこにでもいて、珍しいことではなかった。
リヤカーと同じくらいの大きな木箱の中に水が溜められていて、豆腐は木箱の水の中に沈められている。
ぼくも何度か買ったことがあった。
家から鍋を持って行って、その中に入れてもらう。
もちろん手掴みだ。
一丁が20〜30円だったか。
はっきりと覚えていない。
おじさんは自転車をこぎながら、チリンチリンと鐘を鳴らす。
今思えば、近所迷惑な音量だった。
その豆腐屋さんの場所も知っていた。
かなり遠いところにあった。
よくあんな重いリヤカーを引っ張って、毎日走り回っていたもんだ。
あの頃は夕方になると、鐘の音を聞くのが当たり前のようだった。
今ではスーパーマーケットに行けば、パックに入った豆腐がずらりと並んでいる。
豆腐屋さんが売り歩く姿は、もう見ることはなくなってしまった。
今のぼくの周りの当たり前は、50年後にどう変わっているだろうか。
想像もつかない。
できものなら、この目で見てみたいものだ。
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