ECOひいきと、冷遇は世の中によくあること。なぜそれをしないのか。ECOじゃない仕事とは。
こんにちはみなさま。
どこかでそのうち、他の人から(ぎんちゃんとか、マリエさんとか)話は出ますが(わかんないけど笑)、この度はやしだが異動となります。
といっても、まだ体は年度末までゆるっといるつもりです。笑
次の異動先施設のインスタグラムアカウントやnote、個人の考えなども同時に動かしていくつもりなので、ぜひそちらでもよろしくお願いします!
そちらでは職員募集(オープニングスタッフ)もしていきます。
はやしだって変な人そうだけど、、、面白そう、、
そんなあなた!
「私と働いてみたい!」
「なんか新しいこと(オープニングって意味ではなくて)に挑戦するのが好き!」
「実は〇〇職人でした」
そんな少しでも興味を持ってくれたあなた!そんな、ありがたいあなたにはぜひ、事前に小規模多機能型居宅介護クロスハート幸川崎にてお会いできれば。
私が考える「妄想」を一緒にお伝えして一緒に体現していきたいと思います。笑
さてさて。
ECO贔屓ですが、もちろんそんな贔屓をするタイプではありません。
(個々のメンタルの強度によって寄り添う距離は変えています。)
むしろ、贔屓するのであれば評価を厳しくていくタイプです。(叱りつけるとかではなく、行動に対する理由付けを理解してもらうために伝えたりします。)まぁ生粋のポエマーと自称しているので伝わりにくいのも在るかと思いますが。
「可愛い子には旅をさせよ」
そうなんです。
やっぱりみんな「怪我」をさせてはならない、というような空気を感じます。
介護ではとにかく、リスク回避の傾向が強いです。
(勿論ミスがたくさんは困りますが、ある程度の許容も必要)
経験年数が長く、経験豊富な人でもミスをする。
ミスしたら、自分自身で謝罪したらいいんですよ。誠心誠意。他人のミスに厳しく、自分のミスに甘い人もたくさん見てきました。
日頃から頑張っていたら、きっとそこまで大事にはならないでしょう。
「ミスをしない文化」
「ミスをさせない文化」
「ミスを責める文化」
「ミスした人を探す文化」
これは全く求めない方向性です。
これが醸成されると起こるものは何でしょう?
ミスしないか
怯え、
臆する、
その結果「消極的通常業務遂行」という
なぁーーーんにも、毒にも薬にもならないような結果が繰り返され始めます。
わたしのおじいちゃんならば「歯くそにもならないなぁ😁」と言うでしょう。
人間は成長しなくなったり考えなくなると、「ダレ」始めます。
「慣れ」と「ダレ」はいりません。焼き肉もつけダレは使わず、レモン派です(関係ない)
「憎い子には砂糖をやれ」
いやいや、そんなこともしません。
砂糖はあげません。笑
甘やかせず、自分自身に何が不足しているのか考えてもらいます。(糖分不足?)
全部指摘してあげたら簡単です。
でも自分自身を振り返り時に必要なのは、自分自身への評価なのです。(自己診断と自己処方)
自己評価は高い。でも、認められていない。
そこには何が足りないのか?
「評価者が悪い」と決めては、そこで思考が停止します。
人を人たらしめるものはなにか。
「思考すること。」
それは全くECOではありませんし、AIの時代に抗うことになるでしょう。
そもそも憎い人は、いません。
相手から憎いと思われることは管理者であれば、多分にあるでしょう。
そんなこと気にしていてもしょうがないです。
人気取りでやってるわけでもありませんし。選挙でもなんでもないので。
向いている方向は同じ
利用者(顧客)に考えうる最高のサービス提供をすること。
その為に、直接関係ないと思うことにも挑戦します。目の前のことをやっていれば結果がついてくる仕事でもありません。
それはたくさん「思考」して、「挑戦」して失敗を糧にしないと出来ないこと。
未来を考え続けられる人でありたい。
父親の容態が芳しく無く、心配ですが。
様子を見に行った大阪からの帰り、父親とこういう話すると、「そういう考えに行き着くのがお父さんより5年早いね」って言われるでしょう。
社会は勿論、両親にも「誇れる仕事の仕方」をしたいですね。
管理者 はやしだ