元主治医の仕事にプロフェッショナルを感じた話。/障害受容日記#8
転職/転居を4月に控えて、久しぶりに学生時代の主治医に会った。
かつては戸惑った主治医の在り方に、今度はプロフェッショナルを感じた話。
いわゆる「発達障害」と診断されて丸2年、わたしは25歳になり社会人になった。
2年前はあんなに嫌で無理だと思っていた "病棟" の先のキャリア、
また挑戦しようと思えたのは、経験と技術のある専門家として ひとがヘルシーでいられる環境をつくりたいと思ったからだ。
国家試験対策の過程で体系的に勉強したら "医学" はちゃんとおもしろかったからでもある。
大学卒業以来、精神科へは通わなかった。
職場では十分な配慮を得られているのでコンサータは必要なかった。
週3日であれば辛うじて出勤することができていた…と思いたいけれど、実際のところは毎月の勤怠はボロボロで、無遅刻無欠勤の月は恐らく1つもない。
学生時代よりはいくぶんかマシなのは確かだが、"社会人として当たり前" と言われる水準にははるか及ばない。
以前に発達障害グレーゾーンの記事で書いたが、発達障害領域の患者が生きていくための支援のうち医師にしかできないことは、薬を出すことだけだ。
セルフ環境調整を試みて、いろんなルーティーンを設計しては手放して、残っていた睡眠薬をちまちまと飲んで、迫りくる概日リズム乱れの波に挑んでいる。
4月からの職場では、"社会人として当たり前" と言われる水準をクリアしなければならない。
さもなければ免許のうえに専門性を積めない。やりたい仕事はできない。
最近どうなのよ?と聞かれて、
がんばるしかないですぅ〜〜ぜんぜん自信ないけど……と肩肘張るわたしに、
元主治医は相変わらずちょっと早口でささいな愚痴を言っていた。
外部向けの文書を書くとき、元主治医はいつも電子カルテの画面をこちらに向けてくれる。
(誰に対してもこのようにしているのかはわからないが、専門家のひよっことして相談してもらえているようで嬉しい)
作成中の紹介状を見ながらこんな感じの会話をして、
1年前の私なら不安に思ったんだろうなあ…と思った。
でも今の私は、元主治医にプロフェッショナルを感じて憧れている。
元主治医は私のニーズを聞いて、私の困りごとを解決するために医学を活用してくれていると感じられているからだ。
ぶっちゃけ、「発達障害」と診断されようと無かろうと、わたしの生活は変わらない。
もちろん、診断基準を捻じ曲げて使うようなことはしていない。
問診と検査で、診断基準に当てはまることは確認して、白ではないグレーとして見てくれている。
そのうえで、わたしという人間に「発達障害」というラベルが当てはまるかどうかは重要な問題ではなく、
困りごとを解決するために使えそうな場面なら使う。使えなさそうならしまっておく。徹底している。
疾患概念を宣伝したり、広めたりする必要がないから、俯瞰している。
HSPやら愛着障害(どちらも医学的概念ではない)を広めようとしている人々にはない余裕感にみえる。
元主治医は、学問体系を下敷きに、わたしを見てくれているように感じた。
プロフェッショナルだなあ・・・と感じた。
発達障害に「完治」という概念は想定されていない。
生まれ持った神経処理特性が発達の途中であらわれてきて、大人になっても未発達の部分があるから「発達障害」「神経発達症」という名前がつく。
だから、発達障害の "治療" では、
特性が困りごとにならずに生きていけるようにすることが最大の目標になるのだろう
その手段として、本人のカバー力を伸ばしたり、環境調整と認知の補整をしたりしながら、適宜薬で補助して、困難なく日常生活を送れように支援していく。
分野は違うかもしれないけれど、元主治医のような専門家にわたしもなりたいな。
人を助けるために専門性をつかい、学問のなかの概念に囚われたり使われたりしないような、余裕をもっている人に。