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読書日記#1 死にがいを求めて生きているの/朝井リョウ <平成生まれの生き辛さの正体>

ネタバレを避けるために、あまりストーリー自体には触れません。

この小説は「螺旋プロジェクト」という、伊坂幸太郎を中心とする競作企画の一作品です。原始時代から、今からおよそ100年後の未来まで、それぞれの時代を8人の作家が分担して描かれる壮大な一つのストーリーの中で、作者の朝井リョウは平成の時代を担当しました。

朝井リョウとは

1989年生まれ、 早稲田大学文化構想学部卒業。デビュー作「桐島、部活やめるってよ」で第22回小説すばる新人賞を受賞。2013年、『何者』では第148回直木三十五賞受賞。

螺旋プロジェクトとは

1.「海族」と「山族」、2つの種族の対立構造を描く
2.全ての作品に同じ「隠れキャラクター」を登場させる
3.任意で登場させられる共通アイテムが複数ある

この小説単体を読み解く上では、螺旋プロジェクトのルールはあまり意識しなくてもよいかもしれません。重要なのは、平成という時代の中でどのように「対立」というテーマを取り扱ったのかという点だと思っています。

1.平成という対立のない時代

様々なインタビューの中で、著者は平成とは対立が奪われていった時代なのではないか、と語っています。作中では、けがの危険性がある棒倒しの中止、テストの成績上位者を廊下に張り出す制度の廃止などのエピソードから、対立や競争が失われていく時代の変化を描いています。その代わりとして、平成の学校では誰かに打ち勝って得るナンバーワンではなく、もともと特別なオンリーワン、つまり個性が重んじられる風潮が出来上がってきました。

個性を伸ばせ」、という教育は今や自然と受け入れられている考え方であると思います。一方でその風潮から生じる若者の不具合にはあまり目を向けられていないのではないでしょうか。生きる意味や働く意味はより複雑化し、その複雑なものを自分の中からどうしても発見しなければいけないという強迫観念。そういった社会でどうしても自分らしさ、自分のしたいことがわからないゆえの不安が、以前にもまして大きくなったのではないか。

2.生きるために生きていると言えなくなった

現代の日本、または様々な先進国は非常に物質的に豊かで、ただ生存していくためには、ほとんど不自由しません。その代わり、私たちは「生きる意味」のハードルを上げ続けてきました。ただ生きるために生きることは怠惰と言われ、高度な自己実現や他者貢献がより求められるようになりました。

仕事や勉強、趣味など、何をするにも最上の判断基準は「生きがい」を感じるものであると信じ込まされ、強迫的なほど生きがいを求めることに熱心な人が多いと、様々なメディアや自分自身の思考を通じて感じます。それは自分にしかできないことや、自分の個性を十分に生かしたい、生かさなければならないというある意味植え付けられた思想に誰しもがとらわれている結果のようにも思えるのです。しかしそこには決定的な逆転現象が起こっているのではないか、この小説を読み思わされました。

3.目的と手段の逆転

生きがいを感じる事を第一目標にした場合、その行動の原動力には目的と手段の逆転現象が起こるのではないでしょうか。つまり、なにか動機があって行動を起こすのではなく、アピール用の行動を起こすために動機をでっちあげている。この逆転現象を小説では「死にがい」と呼んでいるのではないでしょうか。小説では大学生の社会的な運動からこのような問題に切り込んだりしていますが、インスタに上げるために可愛いアイスを並んで買うような身近な現象にも通じるものを感じます。

つまり純粋な欲や原動力からくる動機を生きがいとするならば、他者に自分が生きていて良いと認めさせるための動機は死にがいなのではないか。その死にがいを求めて生きている若者は実際数多くいるのではないかと思われます。

4.不幸に憧れる心

作中で主人公の一人はあることを言います。

「俺、人間には三種類いると思ってる。」
「一つ目は、生きがいがあって、それが、家族や仕事、つまり自分以外の他者や社会に向いている人。他者貢献、これが一番生きやすい。家族や大切な人がいて、仕事が好きで、生きていても誰からも何も言われない、責められない。自分が生きている意味って何だろうとか、そういうこと考えなくたって毎日が自動的に過ぎていく、最高だよ」  
「二つ目は、生きがいはあるけど、それが他者や社会には向いてない人。仕事が好きじゃなくても、家族や大切な人がいなくても、それでも趣味がある、好きなことがある、やりたいことがある、自己実現人間。このパターンだと、こんなふうに生きていていいのかなって思うときが、たまにある。だけど、自分のためにやってたことが、結果的に他者や社会をよくすることに繋がるケースもある。自分のために絵を描くことが好きだった人が漫画家になって読者を楽しませる、とかな」
「三つ目は、生きがいがない人。他者貢献でも自己実現でもなく、自分自身のための生命維持装置としてのみ、存在する人」

朝井リョウ(2019) 「死にがいを求めて生きているの」kindle版 位置No.4790 4791 4795 4798

私はこの言葉を放った登場人物に非常に共感してしまう人間です。あまりにかっこ悪く、醜くも思える発言ですが、全く正直な言葉でもあると思います。多くの人は三つ目の人間で、そこに堕ちたくないためだけにとりあえず働くという手段を取っているのではないか、とも彼は続けます。

また、もう一人の主人公に対して、お前は不幸でいいよな、といった言動をとります。これに関しても、不謹慎ながら私は共感してしまいます。不幸な体験からは絶対的な動機が生まれ、そこから半強制的に生きる意味に昇華できる可能性があるのです。そんな体験もなく、個性を伸ばせ、ナンバーワンよりオンリーワンだ、と教育されたザ・ゆとりの人間は、生きる絶対的な動機がなく、強制的に作り上げた生きがいを抱え、不幸に憧れる生きた屍となってしまうのです。

5.多くのことが代替される社会では

今後多くの労働は代替され、現在のようにとりあえずしている仕事によって自分をごまかし続けることは難しくなるのではないでしょうか。それによって自分のやりたいこと、社会貢献をしたい人間はより生き生きとした人生を手に入れるでしょう。一方で生きがいを持たない、持てない人間はますます悩み、ついには絶望感しか残らないのではないか。

死にがいという言葉から、平成生まれの、令和を生きる若者たちがどのように生きていけばいいのか、考えさせられる作品であったと思います。

6.螺旋プロジェクト作品、全部読みたい!!

朝井リョウさんの「死にがいを求めて生きているの」を取り上げました。また同プロジェクト作品である伊坂幸太郎さんの「シーソーモンスター」も読了済みで、共通のワードやテーマが昭和、近未来の設定で描かれており、こちらも非常に面白かったです!今後ますます遠い未来、過去の出来事がほかの作家さんに描かれることで、全部読めば火の鳥のような感動が得られると信じて、期待して待ちたいと思います!!

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