迷惑について(1)
ハフポストに僕のインタビューというか、コメントが載った。もちろん(?)内容は、例のヤジ排除の話だけど、ここでのテーマは、他のメディアとは違って、日本社会に死ぬほど浸透している「迷惑」の概念が、いかに僕たちの自由な表現を奪っているか、という話。身体感覚レベルでの不自由が当然視されることが、結果として政治的な表現の自由にも悪影響を及ぼす、ということを話したつもりだけど、それがどれだけうまく伝わっているかは、みなさんの判断に任せたい。
本当は、C氏こと桐島さと子も一緒にインタビューを受けたのだけど、僕のコメントしか載らなかったことについては、ややもにょる。
(ちなみに、サムネイル画像のモザイクが粗くて、なにやら僕の顔が「わいせつ物」のように見えるのは、この画像を用意した時事通信社が全面的に悪い。笑)
記事タイトルを「(1)」としたのは、このことについては継続的に考えたいと思っているからである。とりあえず参考にしてほしいテキストは、僭越ながら僕の書いたフランス・ドイツ旅行記だ。自由の感覚に触れて軽くなる身体と、「迷惑」概念に打ちのめされて固くなる身体。その比較の中から政治的自由の可能性が浮かび上がってくる。
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