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伏線回収と文学フリマ東京

2022.05.29

前夜

我が家で保護した猫の中で、譲渡活動をして初めてきちんと譲渡できた猫が「ほく」だ。(それ以前の「わらび」と「きり」は一度譲渡したものの、こちらが思う形で飼ってもらえず、戻してもらった、という苦い経験がある)

「ほく」は、2010年の暮れに、妻が会社の敷地でウロウロしていたのを保護して連れて帰ってきた猫。
程なくして譲渡先が見つかった。
当時6歳だった娘さんの「猫を飼いたい」という願いを、誕生日プレゼントとして「ほく」を迎え入れて叶えてあげた、という経緯だった。
「ほく」は「マロン」というかわいい名前を付けてもらって、すごく可愛がられていた。

3年ほど前までは年賀状で様子を知らせてくれていたのだけれど、以降、里親さんと連絡が途絶えていた。
「でも、もう8年もかわいがってもらって、ウチがとやかく干渉するようなことじゃないよね」と話していた。
「こちらが喪中だったりした年もあったし、住所録から外れちゃったのかな」くらいに思っていた。

文学フリマ東京前夜の夜中、InstagramのDMにリクエストが届いていることに気づいた。
見ると、「ほく」の里親さんからだった。実は前日のお昼に届いていたのに、気づいていなかったのだ。
マロンが亡くなった、という連絡だった。
3年ほど前から心臓病を患って、闘病していたらしい。ちょうど年賀状が来なくなった時期と重なることに気づいて、胸が苦しくなる。
治癒の難しい持病がある猫と暮らすことの不安や落ち着かなさ、しんどさはよくわかる。終わりがわからない上に、しんどさの終わりが死別であるという苦しさ。すごく大変な3年だったろう、と想像して泣いてしまう。
たくさんの写真も一緒に送ってくれた。
どれも屈託のない天真爛漫さで、人見知りも猫見知りも犬見知りもしない「ほく」そのままだった。また泣いてしまう。
「ああ、この里親さんに『ほく』を譲渡できて、本当によかった」と思った。「ほく」も絶対そう思ってる。
娘さんのことが心配だけど、無理はせず、ちゃんと悲しんだあとで、ちゃんと元気になってもらえたらいいな、と思う。
本当に、本当にお疲れさまでした。

長い伏線

いま「無理はせず、ちゃんと悲しんだあとで、ちゃんと元気になってもらえたらいいな」と書いたけれど、こう書くことにも少し葛藤はある。
我が家のように「何匹も猫を保護してきて、その中で看取ること」と、娘さんのように「自分が小さい頃から一緒に過ごしてきた無二の猫を看取ること」とは、おそらく何もかもが違うと思うからだ。
そう言えば、短歌を作り始めたもっとも初期に、まさにそのことをうたった短歌を作っていたことに、さっき気づいた。長い伏線を回収したような気持ちになった。

《わかるなよあなたにわかるかなしみはあなたのものでぼくのではない》

文学フリマ東京

朝から文学フリマ東京へ。めちゃくちゃ暑い!

お隣は短歌同人誌『外出』。
外出のメンバーって、もう短歌のすごく真ん中の人たちで、「お名前だけ知ってる人たちだー」と、すごくチラチラみてしまった。

実際、開始直後から飛ぶように(本当に飛ぶように)売れていて、早々に張り合うことを諦めた。
僕も、買えばよかった、とちょっと後悔している。
なんか、こう、きっかけがなくて。気後れしてしまった。

お客さんでおひとり「わたし短歌を始めて2ヶ月なんです!」という女性が「におみくじ」を引きに来てくれたんだけど、思わず「いやいや、そういう人には絶対あちらの冊子(お隣の『外出』を指差しながら)のほうがおすすめですよ」と言ってしまった。ウソじゃないと思う。

ポツポツ未知のお客さんが来てくれ始めてから、気づいたんだけど、『三十一筆箋』も「におみくじ」も、「企画物」だからまず企画意図の説明をしないと、今ひとつピンと来ないんだよね。お客さんとしても。……で、ひとりひとり興味を持ってくれた人には、説明をするんだけど、それが結構大変。実演販売みたいな感じで。まあ、それがやりたくて文学フリマには出ている面もあるんだけど。説明したけど、購買に至らなかったときの疲労感がすごい。(いや、お客さんは全然悪くないんだよ)

……とは言え、どちらの企画も我ながらよく考えた企画なので、自信を持って説明ができる、という強みはあった。「よく考えられてますね」という感想に対して「はい、めちゃめちゃ考えました!」って言えるのは、案外強いのかも知れない。
おもしろがって買ってくれる人が思いのほか多くて、よかった。「におみくじ、引きたくて来ました!」っていう人もたくさんいて、人が動くには、いろいろな動機があるものだな、と感心した。
あと、お久しぶりの人もたくさん来てくれて、たまには人に晒されないとダメだな、とも思った。
「え? どこでもドアの短歌の人ですか⁉」というお客さんも。「そうです、どこでもドアの人です」といささか胸を張ってしまった。
「僕おもリスナーでした!」というお客さんも……。なんか……すまん……。

まだ2時間を残して、『三十一筆箋 −猫猫−』が売り切れてしまって、それはちょっと残念だった。

……で、何がどれだけ売れたかを赤裸々に公開すると……。

結果発表

  • 『三十一筆箋 −猫−』20冊→17冊売れました

  • 『三十一筆箋 −猫猫−』20冊→20冊完売

  • 『猫のいる家に帰りたい』(サイン本)5冊(うち初版本2冊)→2冊売れました

  • 『これから猫を飼う人に伝えたい11のこと』(サイン本)4冊→3冊売れました

  • におみくじ(CATS:150首/LIFE:120首)→CATS:26首/LIFE:18首売れました

  • 『ぼく、おちくん』(サイン本)20冊→14冊売れました

売上の計算もしてみるか。

『三十一筆箋 −猫−』@880×17=14,960
『三十一筆箋 −猫猫−』@990×20=19,800
既刊サイン本@1430×5=7,150
におみくじ@200×44=8,800
『ぼく、おちくん』@880×14=12,320

締めて63,030円の売上ということになる。
よくがんばったと言えるのでは。

例年よりも「いたたまれなさ」度が低くて、よかった。

説明が必要なアイテムだったから、暇な時間(=いたたまれない気持ちの時間)が少なくて却ってよかったのかも。

祭りのあと

文学フリマに足を運んでいただいた里親さんご夫妻と、浜松町のベトナム料理屋さんへ。
バーバーバーを飲みつつ、カエルや鶏、生春巻き、空芯菜をつまみ、デザートにはチェータップカムを頼んで、堪能した。どれも美味かった。他のお客さんがみんなベトナム人だった。


そんなそんな。