人は突然いなくなる
生きるって切ない。
生きているといろんな出来事が起こるよね。
自分の身の上ももちろんなんだけど、身近な人の人生が一瞬で方向転換する場面に出くわすこともあるわけで。
信頼していた同僚が、ある日突然職場から消えた。こういったことはこれまでいろんな職場を経験してきた私にとって初めてではないけれど。
しかし、今回はこれまで仕事仲間として一緒に頑張ってきた同志としての年月(約15年間)を振り返ると、簡単な言葉では言い表せない、何とも言えない虚無感が襲ってくる。
職場を去った理由は全く違えど、私も過去に自分の大事な居場所をある日いきなり奪われたことがあった。離婚前のことだ。あの時の虚無感は筆舌にし難いものがあった。
まるで自分の体を半分もぎ取られたような感覚、とでも言おうか。
それまで積み重ねてきたものが、自分の意思とは関係なく、第三者(私の場合は元夫)によっていきなり奪われる理不尽、虚無、脱力。
あの時は自分が自分ではなくなった。
魂が完全に体から離れたような感覚になった。
自分の意思、思考というものはこれまであったのだろうかと思うほどに、全く頭が働かない状態で、ただ息をしているだけの物体になっていた。
生きている実感が全くなく、食べるものも味がしない。喜怒哀楽がなくなり、勝手に涙が出てきて止まらない。感情がないのになぜ涙が出るんだろう、などと自分のことなのにどこか他人事のようだった。
足がずっと痺れていて味覚もなく、物を噛んでも唾液が全く出てこなくて口中がカラカラ。どうやって飲み込めばいいのかわからなくなって、生きていて初めて食べ方を忘れた。
彼女は今そんな状態ではないかと想像すると、とても苦しいだろうと思ってしまう。
彼女の場合はある意味、自らが蒔いた種というか、遅かれ早かれこういう結果になったと思えば、もしかすると安堵の気持ちもあるのではないかと思ったりもする。全てが詳らかになってようやく解放されたという見方もある。そう考えれば、“肩の荷が降りた“と思っていてくれたら少しはこちらも気持ちが落ち着く。
メッセージを送ったら、短い謝罪の言葉しかなかったけれど、返信がきただけでもホッとした。
家族に話ができているのか、誰にも相談できないでいるのではないかと思うと、自分の時のことを思い出して苦しくなり、離婚後1年以上、トラウマに苦しんだ過去が蘇ってきた。
私でよければいつでも話は聴くからとメッセを送ったけれど、彼女の性格や私とのこれまでの関係性、立場的に考えてもそれは難しいだろうと想像する。
けれど、誰にも相談できなくて一人で苦しんだ時間が長かった私は、とにかく誰にでもいいから自分の心情を吐露して欲しいと切に願う。
解決策として専門医やカウンセラーのいるところに行くのが一番早くていいとは思うのだけれど、それさえも難しい時だってある。
本当に苦しいときは、頭で考え、行動にうつすという、普通に考えたらできるプロセスがとても困難になるのだ。
このところずっと、精神科医YouTuberのチャンネルにハマっている。
心理学の本はこれまで何冊も読んだけれど、具体的な臨床医の話はなかなか生では聴くことはできなかった。
日々患者さんと向き合い、どのようなプロセスを経て治療を進めているか、ケースバイケースでどんなふうに対応しているのか。そして人間は生まれもった遺伝的要素による先天的なもの、または育った環境、経験などから後天的に患ったものなど、様々なケースがあり、一人一人に合わせた治療が必要だと知る。
性格だけの問題ではないというのは長く生きてきて実感している。
あの人は元々だらしないとか、考え方が凝り固まっているとか、人としての情が欠落しているとか、それを理由に「さもありなん、仕方ないよ」とは割りきれないということも体感としてある。
悪いことは悪い、と判断はできる。でも世間一般の常識やモラルのようなものだけで簡単に人を裁くとこはできないな、とも思っている。
そこに至るまでの過程を実際に知らない他人は、白黒ハッキリさせることだけに重きをおきがちだけれど、人間には自分でも理解できない悪き習慣のようなものや、過去のトラウマによって自己コントロールがきかない状態に陥ることだってあるのだ。
当たり前にいた人が突然目の前からいなくなる。
それは理屈では理解しても、こころはなかなか追い付いてはこない。
悲しいとか寂しいとか、そういったシンプルな感情とは違うのだけれど、なんとも言えず切ない。この切なさの正体は一体なんなのだろうか。
思えば過去に何度かそういうことがあった。
ある日突然、私の目の前から消えた人たち。
特別な感情があった人もいれば、そうでない人もいた。悲しくて号泣したこともあったし、ただポカーンと狐に摘ままれたようになったこともあった。いずれにせよ、数日たった頃に襲ってくるのだ。この「切ない」という思いが。
その感情は、「どうしようもないこと」と、ようやく自分の中で落とし込めた証拠でもあるのだけれど、自分の中におけるその人の「存在の確かさ(大きさ)」みたいなものを失った現実を受け入れる時に感じるこころの機微、とも言えるのかもしれない。
人は突然いなくなる。
命あるものは当然、いつかこの世からは消えてなくなるのは知っているけれど、その過程もなく、プツンと消える事象にこころが揺さぶられることにはちょっと慣れたくはないな。当たり前だとか、自業自得だとか、そんな言葉だけで簡単に済ませられたら、これまでの15年間の彼女との時間を無意味なものだと認めることになってしまいそうで。そこまでドライじゃないんだよなと自分の甘さや矛盾をぼんやりと感じたりしている。
決して私自身が落ち込んだりネガティブになったりしているわけではありませんのでご心配なく。
まぁ、今の感情を風くんのこの曲で昇華してもらいましょう。
ちょっと気持ちが上を向くはずよ。
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