
悩み続ける子羊
タカーシーさんこんにちは。
そしてこの交換日記を読んでくださっている読者の皆様、いつもありがとうございます。
今日のこの日記で279回目となります。なんか好きです、279回って数字。積み重なってる感。キリのいい数字ではないけれど、着実にコツコツ続いてる感じがエモくていいですね。感謝です。
前回、タカーシーさんの書いてくれた日記がやけに沁みましてね。
なんだろう、純粋に人としての“やさしさ“が伝わってきたんですよ。
人に対してというよりも、タカーシーさんが持つ独自の素直さとかピュアさと言った方が伝わるかな。あぁ、やさしい人だな、と思いました。改めて。
この、いわゆる“やさしさ“にはもう一つの顔があると私は思っていて、それは人間の“弱さ“と関係している気がしています。
以前、タカーシーさんの自己紹介noteの中に「ヴァルネラビリティ(vulnerability)」について学んでみたい、と書いておられましたよね。
ヴァルネラビリティとは、“弱さ“と訳されますが、人として生きていく上でこれを受け入れることの重要性を、私は年を重ねるごとに強く実感しています。そして最近入手した本の中に、このヴァルネラビリティに関することが出てきて非常に興味深く読みました。
私は長年、人と接する仕事をしているのですが、その間ずっと人の心理について勉強している状況にあります。これはもう、仕方のないことというか、必須なのでせざるを得ないと言った方が正しいかもしれません。
他人の意思をコントロールできないからこそ、その心理を知りたい、探りたいという欲が常にあるのです。そしてそれはいくら経験を重ねても、いくら心理学の本や専門医の解説を聴いても尽きることはない課題です。
その勉強の一環としてこの本を手に取ったのですが、ここにはとても興味深いことがたくさん書いてありました。
自分の弱さを受け入れることはある意味とても勇気がいることです。
世間的には否定的に捉えられることもあります。
でも、それは私たちにとっては一つの知の形であり、劇的かつ根源的な意識や視点の変容を招くものである、とこの本には書かれています。
私が自分の弱さを本当の意味で受け入れられるようになったのは、ここ15年といったところでしょうか。離婚して一人になって、自分らしくいられるようになってから少しずつ、です。
それまではいかに強く生きるか、人に弱みを見せずに前向きに生きるか、私ならできる、やってみせる!という自我の塊のような人間でした。
それが、大きな失敗や挫折を経験し、自分の弱さやダメな部分に向き合い、それを認めて受け入れるということができた時、人に対しての見方や考え方が大きく変わりました。
それまでは「なぜできない?なぜそう考える?それは間違いだ!これが正しい答えだ!」と、エゴ丸出しの批判的な思考の強い人間でした。人に対しても自分に対しても、厳しく視野がとても狭かったのです。
今は自分の弱さを知っていますし、それ故に人の弱さに対しての許容範囲も以前とは比べ物にならないくらい広くなったと自覚しています。それは年齢もありますが、これまでの人生で経験した辛さや失敗の影響が大きいと思っています。
もちろん今でも悩みは尽きませんし、もがき苦しむことの連続です。
人を理解しようとすればするほど、自分という人間の未熟さを痛感させられます。
どうすればもっと人を理解できるのだろう。どうすればもっと生きやすくなれるのだろう。
そんな毎日です。
このところなんとなくそんなふうな日記が続いていますね。
私もタカーシーさんも毎日考えながら、今という瞬間を大切に生きていきたいですね。涙はもう収まりましたか?
それではまた。
#交換日記 #ヴァルネラビリティ #マインドフルネス #心理学 #弱さ #やさしさ #エッセイ