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リライト&推敲のススメ(45000字を書き終えて)

昨年の6月、私は一つの課題を自分に掲げた。

「 連載小説を書く。毎日書いて投稿する。」

それまで掌編小説は何度か書いていたけれど、長い物語は書いたことがなかった。というか、何か書きたいテーマが見つかったときに突発的に妄想列車が目の前にやってくるシステムの私は、一般的な「小説の書き方」みたいなものを知らない。「プロット」というものを書いたことがない。よくそんなので「小説が書きたい」などと言えるもんだと自分でも呆れるけれど、書きたいと思った時にしか書けないし、書きたいことしか書きたくないのだから仕方がない。


以前、尊敬する小説家の一人である辻仁成氏が主催する地球カレッジというオンラインイベントで開催された「小説の書き方」という文章教室に参加した時、色んな意味で目から鱗だったのを機に、これはいっちょなんか書いてみよう!と、またもや単純な脳ミソの私は思い立ってしまった。辻さんが仰っていた「自分の中に哲学や言いたいこと、伝えたいことの火種がある人は必ず書ける形や常識に囚われず、思うように自由に書いて欲しい 」という言葉に大いに勇気づけられた私は、その後一つの作品を書き終えた。それでもまだ何か不完全燃焼な思いが煮え切らず、胸の中を探ってみると、今から一年以上前に書いた連載小説の存在を思い出した。

「 コルトレーンの囁き 」という題名の、10日間連続投稿した連載ものだ。

あの時はただひたすら「書いてみたい」だけで突っ走った。毎日書くことは文章力を鍛えるためのいわば筋トレみたいなものだった。仕事がある日も関係なく3分でも5分でも時間を見つけては朝から書き始め、細切れの時間を繋ぎ合わせるようにしてなんとか書き終えて、その日のうちに投稿する。一日一話、とにかく書ききる。時間に制限を設けることは集中力瞬発力も鍛えられる。需要も締め切りも何もない、単なる趣味で書いている人間にとって、自分に課すノルマはキツい方が効果がある気がしたのだ。

しかしながら、どこまでも行き当たりばったりな私は、その着地点というかゴールさえも最初にきちんと決めることもせず、とにかく書けるところまで毎日書こう、という緩い目標を設定してスタートした。最終的に十話で終えられたのは単なる偶然なのだ。プロットも何もなく、どこまでもいい加減な顛末だ。

物語のテーマは「自由と再生」。それだけを言いたいが為にスタートさせた小説のVol.1 と 2 は一気に書いた。あまり長すぎると読み飽きると思い、大体一話3000字の切りのいいところで切ってみた。これぐらいの長さなら数分で読める。よし、これでいこう。という感じで第一話を投稿してみると、意外というかなんというか、すごい数のコメントが来て驚いた。(現在はリライト後の作品を掲載しているので元記事はありません。従ってコメントも見ることができなくなってしまいました。残念無念。コメントをくださった皆様申し訳ござらぬ )てか、書くことが俄然面白くなってしまったのである。

毎日これをやったらどうなるんだろうか。続きを期待されるという楽しさが私のやる気スイッチに着火した。そこから「どこまで走れるか大会」が始まったのだ。

書く方も読む方も、コメントのやり取りを楽しみながら続けることでストーリーも自然と降りてきた。まさに書き手の私が一番楽しんでいるという状態。走り切って大満足。そのまま放置していた作品を、今回一年半ぶりに読んでみて、文脈のあまりの酷さに頭を抱えた。説明が足りない、表現が乏しい、いきなり団子じゃあるまいし(比喩です)、これでは話が短略すぎる。登場人物やストーリーは気に入っていたので、このまま野ざらしにするのは忍びなく、今回リライトを思いついたのである。

話は戻るが、先述の辻さんの文章教室で、前もって参加者から送られてきた課題の掌編を、辻さん本人が推敲したものを画面で共有してくださった。ビッチリと赤が入っている。一度や二度、さらっと読んだだけでは気が付かないような細かい言葉遣いの間違いや、全体を大きく捉えてみて初めてわかる文脈の矛盾時空の歪み、登場人物の設定に対しての不可解な言動心理的表現の矛盾など、とてもきめ細かく読み込んだ上での指摘があまりにも見事でちょっと涙が出そうになった。

すげーすげーすげー!これがプロというものか。プロからすれば当たり前のその深い洞察力を目の当たりにして、またもや私のやる気スイッチに着火マンが火をつけた。ボワッと!

・・・・・・・

というわけで、ここからが本編です。今回のリライト&推敲で気が付いたことを私なりの解釈で忘れないうちに綴ってみたいと思います。備忘録とも言います。なので「そんなこと疾うの昔にわかっとるわい」とか「そんなことも知らんと小説書きたいとかほざいとんのかワレ」などという暴言リプはご容赦ください。何せ書くことに対してシロウトなもんでね。気づきを共有。そんな感じでお願いします。


推敲100回

これは例の辻さんの文章教室で仰っていたことで、辻さんの処女作である「海峡の光」を脱稿する際に励行されたことだそうです。100回!もう、その時点で燃え尽きてぬけ殻状態ですよねきっと。でも、100回の推敲を徹底的に行ったことによって、次作からの執筆が俄然スムーズになったと仰っていました。私ごときが僭越ながら申し上げますと、今回のリライトでこの言葉を身をもって体験した次第です。

まず Vol.1 をリライトする際に全体を何度かお浚いするように読み返し、文脈の矛盾をチェックしました。私の悪い癖ですが、一つのセンテンスが長い。クドい。丁寧に書きたいという思いからしつこく言葉を付け足してしまうので、思い切ってザックザックと不必要な言葉を切っていきます。不要な副詞の断捨離。結果的には元の倍の6000字以上の文字数に膨らませたのですが、物語の時系列や二話以降の話の流れなどを考えながら、新たなエピソードを加えたり、主人公の人となりや情景描写、心理描写を掘り下げて、読み手の共感を煽るように心がけました。書き手にしてみたら登場人物の性格や人間性は当たり前に理解というか設定はしていますが、読み手に伝わらないことには共感は得られません。今回の主人公はかなり偏った経験の持ち主でもあり、もちろん理解はされなくても「 あぁ、そんな風に思う気持ちは分かる 」「なるほどそんな風に感じたんだな」というところまで持っていかなければこの話の続きを読みたくはならないだろうと思いました。この主人公の思考や哲学に興味を持ってもらう為にも、Vol.1 は故意にボリュームアップさせました。特に主人公の魅力をもっと伝えたい、もっと気持ちの深いところまで言語化したいという思いで書き足していくと、どれだけ書いても足りない気がしてきます。「もうええわ」の一歩手前。クドさと丁寧さの紙一重のところを狙っています。

そして推敲の要はなんといっても助詞。これは本当に難しいです。私はプロの物書きではないので基本ができていませんから得に気をつけるようにしています。「て・に・を・は」をうっかり間違うと全く辻褄が合わなくなります。でもやってしまうんですよね。これを防ぐにはとにかく何度も何度も読む。目で読むのも最初はザァーっとスピードを上げて全体の文脈をなぞる様に読み、引っかかるところの助詞を変えてみます。そして一からまたザァーっと流し読んで、意味が通ると次にワンセンテンスごとにまた何度も読み返します。今度はゆっくり丁寧に読み込んでいきます。やはりここでも引っ掛かりを見つけて、また助詞を変えてみます。今度は声に出して朗読してみます。これがとても効果的で、声に出して初めて違和感に気づくことはとても多いです。私の文章は長くてクドいので、この助詞の失敗がやたらとあります。そこへ持ってきてクドい副詞が重なると書いているうちになんだか訳の分からない文章になっているのです。だから結局言いたいことはなんだよ?と自分でツッコミを入れながら推敲していきます。

作家の個性は文脈に現れると思っています。人によっては短いセンテンスで簡潔に、なるべく形容詞や副詞を使わないという方もいらっしゃいます。 読み手の想像力を煽り、固定概念を押し付けない為にはとても効果的な手法だと思います。私はどちらかというと、書く文章が長くてクドい(何回言うてんの)だけあって、装飾を付け加えたい方です。「美しい」と書いてしまうと、何をもってして「美しい」と言えるのかという概念的な矛盾が起きることは否めませんが、その「美しい」という言葉の内側に込められた思いやその言葉に至るまでの背景や心理を、細かく描写することによって読み手が感じる「美しい」を一つの共通したイメージにまで持って行きたいのです。その「美しい」が “きらり“ なのか “さらり“ なのか “スッキリ“ なのか “ギラギラ“ なのか。または “悲しい” を含んだ美しさであったり “尊い“を含んでいたり。そのディティールを細かく伝える為に私なりの言葉を使って書いていきます。

面白いことに、Vol.1 を書き終わった途端、Vol.2 の推敲がスムーズに感じる様になりました。そして元の文章へのダメ出しももっと厳しくなってきます。ザックザックいきます。長くてクドい(だから分かったっちゅうに)文章の原因はやはり二重副詞の野郎です(いきなりヤロウ呼ばわり)。悪気はないんです。悪気はないけどとにかく「伝えたい欲」が勝りすぎて、追い討ちをかけてこの副詞を使ってしまう。いい味を出すための「追いがつお」ならぬ、クドさをさらに盛る「追い副詞」。コイツをまたザックザックと切っていきます。やってもやってもまた新たな副詞を付けたくなる。読み返すと物足りない。また足してみる。このジレンマは本当に厄介です。

Vol.3 の辺りから急に視界が開けた様な気がしてきました。スイスイ進みます。そしてリライト&推敲が俄然楽しくなってきました。読んでて面白くて書いて楽しい。こんな面白い一人遊びがあったのか!開眼!という境地です。ストーリーに沿って、ここにもう少し詳しい背景を足したいという部分がはっきりと見えてきます。やたらにダラダラと膨らませても読み疲れするだけですから、字数も4000字ぐらいにまとまる様に書き切ります。そこんところはフレキシブルに。

気をつけたのは漢字とひらがなの使い分けです。「心」と書くのか「こころ」と書くのか。「優しさ」なのか「やさしさ」なのか。字面によって読むときの響き方が変わります。統一するのかわざと書き分けるのか。そこまで丁寧に書いたつもりですがウッカリ見落としがあるかもしれません。本当にやり始めると終わらない。誰か止めて〜!です。

そしてもう一つ、とても苦労したのは文末の表現、語尾の使い分けです。「〜だ。」「〜だった。」「〜だったのだ。」など。文章の長さにもよりますが、あまり近い位置に同じ文末が重なるとうるさく感じるので、意味が同じで違う表現を探します。これが一番頭と時間を使う作業でした。苦手なんです。そしてとても気になる。気になるからしつこく探します。違和感を感じなくなるまで、何度も声に出しながら探していくのはなかなか地道な作業でした。


そこからは毎日投稿できる様になるまでに推敲がスムーズになってきました。やるべきこと、気をつけることがはっきりとしてきたからです。そうすると今度はストーリーの方に集中できる様になってきました。情景描写心理描写に力が入ります。副詞に気をつけて。追い副詞厳禁!それでも読み手によってはクドイと感じると思います。でもそれこそが私の「個性」なのだと割り切ることができる様になりました。書きたいことがあるから書く。伝えたい想いがあるから書く。私の小説は根底に流れるテーマが一貫しているので、それを表現するために降りてくる言葉たちを拾い集めて私なりの方法で文章にしています。

また長くてクドい文章になってしまいました。最後まで読んでくださってありがとうございます。よろしければ、今回書き切ったリライト小説を読んでいただければとても嬉しく思います。まだまだ勉強中!そして推敲は続く・・・。



*リライトした連載小説はこちらです。

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