『恋はいつもなにげなく始まってなにげなく終わる。』 文庫版解説文エントリー
「行ってみたいバーがあるのよね。付き合ってくれる?」
彼と念願のbossaへ初めて行ったのは、ちょうどこの『恋はいつもなにげなく始まってなにげなく終わる。』が出版されて間もない頃だった。切ない恋の短編集はどれも私の心を震わせ、その頃まさにその中の一つの物語のように10才年下の彼との恋愛を始めたばかりの私は、小説の内容を地でいくように不安と期待が入り乱れる心をときめかせその扉を開いた。
bossaに誘った理由を彼に説明しながら、持参した本をバッグから取り出し林さんにサインを頂いた。そして彼にもこの本を強く薦めると、早速次の日彼は本屋へ行って購入し、今まさに読んでいる最中であることをLINEで報告してきた。あぁ、嬉しい。この物語を読んで彼はどんな感想を持つだろう。それは私との恋愛の行方を方向付ける一つの目安になりそうな予感がした。そこで私は質問する。
「この中でどの物語が一番好き?」
すると彼は答えた。
「まだ途中だけれど、今のところスーズっていうリキュールが出てくる話かな」
・・・。それは赤い口紅の魔法の話だった。
「この口紅をつけると百倍魅力的になれる」
亡き母親にもらった赤い口紅を、好きな人と結ばれますようにと願いながらその魔法を信じて大切な場面で使う女の子の話。なんてピュアで健気で一生懸命なんだと、その物語を遠い目で読んだ。
私が一番好きなのは、15才年下の部下の男性と恋に落ちて、その年齢差に傷付きながらも彼への想いを止められず、自分の家庭を壊してその恋に走ってしまう大人の女性の話で、なんとなくその物語が身につまされるような気がして切なさが倍増した。その気持ちを彼にわかって欲しかったのかもしれない。
かくして私の恋の行方はというと、この本のタイトル通りなにげなく始まってなにげなく終わった。私の中でいくつか通り過ぎたありふれた恋の一つだったけれど、なぜか時々胸がチクンとするような彼との断片的なシーンを思い出す。それはきっとこの切ない物語たちと共に私の中で彼との思い出がリンクして鮮やかに蘇ってくるからだろう。
恋の魔法は使えなかったけれど、今夜もワインとビル・エヴァンスが私の心をやさしく慰めてくれる。
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林 伸次さんの『恋はいつもなにげなく始まってなにげなく終わる。』の文庫版解説文にエントリーします。
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