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主とともに退く(6)霊性のリトリートの構成要素

リトリートに行くにはある種の信頼が必要です。御霊への信頼です。休暇で出かけるときは、観光、スポーツ、娯楽、イベントなど、自分で立てた計画に従って行動します。しかしリトリートでは、神が用意をしておられます。何を見出すことになるかわかりませんが、私たちは信頼して委ねるのです。

エミリー・グリフィン

本連載では霊性のリトリートに焦点を当てていますが、霊性のリトリートにもいろいろな目的やスタイルのものがあります。休息に焦点があるもの、自分のたましいの点検に焦点があるもの、重要な決断をしたり導きを求めたりするための祈りと識別に焦点があるもの、講師がいてなんらかの学びの要素が含まれるもの、リトリートリーダーの導きのもとで黙想や面談をするもの、一人で行くもの、グループで行うもの、リトリートのほぼ全期間を沈黙で過ごすもの、一部の時間を沈黙とソリチュード(一人になること)に当てるもの、などなど。しかしどのようなスタイルであれ、霊的実践としてのリトリートは、「神の御前で安らぎ、神の御声に静かに耳を傾ける」ことが主目的であるのは同じだと言えるでしょう。


日常から退き、普段の義務や責任を離れて、丸一日、あるいは数日泊まりがけでリトリートに行くとは、なんと心踊ることでしょうか! しかし、せっかくのリトリートが普段と変わらない合宿や慰安旅行、セミナーや修養会になってしまわないためには、私たちの心を神に向け、神の御声に耳を傾けやすくするための環境を作ることが必要です。リトリートを計画してみたいと思われる方のために、今回はリトリートの構成要素として、私がこれは大切だと思っているものをいくつかご紹介します。

休息の時間

泊りがけのリトリートは、朝から開始するより夕刻から開始するといいと言われます。夜、ゆっくり休むところから始められるからです。夕食後はオリエンテーションか黙想などの短いセッションを持ち、そのあとは基本的に休息の時間にします。特に課題もなしに、各自が沈黙のうちにゆっくり休みます。リトリート期間中は外部の世界を一時的に遮断するために、携帯電話などの使用は控え、インターネットにもつながないようにしましょう。当然ながら仕事も持っていきません。これは律法主義的な決まりではなく、神の御声を聴くスペースを作るために私たちが自主的に選ぶことです。朝は身体が求めるままに、早起きしてもゆっくり起きてもいいでしょう。私がリトリートを導くときは、夜の睡眠時間以外でも、たとえセッションが予定されている時間でも、もし身体が休息を必要としているなら、遠慮なく寝てくださいとお話ししています。時には睡眠を取るということが、私たちにできるいちばん霊的な活動である場合もあるのです。

沈黙とソリチュードの時間

これはおそらく、リトリートの肝でしょう。睡眠時間以外のどこかで、数時間のまとまった沈黙とソリチュードの時間を取るといいと思います。沈黙とソリチュードの時間とは、何もせずに一人でじっとしているという意味ではありません。各自が導かれるままに神と時間を過ごします。散歩する、聖書や霊想書を読む、ジャーナルを書く、コラージュ、ヨガなど、神の御臨在の中に身を置き黙想する助けになる活動ならなんでもかまいません。リトリートリーダーが、思い巡らしの手引きのようなものをあらかじめ用意している場合も多いです。疲れている人は、この時間に少し昼寝をしてもいいでしょう。沈黙とソリチュードの時間は、何をするとしても、すべてが神との交わりのときであり、自分が行うことがそのまま祈りであるという意識を持ってください。静まりの中で、神の「かすかな細い声」に耳を澄まします。他の参加者と語り合いたいと思うかもしれませんが、沈黙を共有するというのも、参加者同士に強い連帯感をもたらすものです。

祈りの時間

個人で祈ることはリトリート期間中いつでもできますが、特にリトリートならではの体験として、「定時の祈り」を取り入れてみてはどうでしょうか。「定時の祈り」とは、毎日決まった時間に祈ることで、ユダヤ教の習慣に始まり、カトリック、正教会、聖公会に受け継がれてきました。近年では、プロテスタントの諸教派でも定時の祈りへの関心が出てきているそうです。私自身、その流れの中で霊的修練としての定時の祈りに出会いました。とはいえ、個人で実践するのは、その習慣を持たない者にとっては非常に困難です。しかし、リトリートのスケジュールの中に組み込み、参加者全員で行うなら、ずっと実践しやすくなります。

皆が自由に自分の言葉で祈るプロテスタントの祈祷会とは異なり、定時の祈りは祈祷書に沿ってあらかじめ決められた祈りを祈ります。(『日々の祈り・改訂版第二版』[カトリック中央協議会]が使いやすいです。)祈祷書を用いることのメリットは、祈りの言葉も聖書朗読の箇所もすでに決められているので、自分で考える必要がないことです。N.T.ライトは、信仰の先達によって書かれ、祈り継がれてきた祈りを祈るとは、恵みのしるしであり、恵みを受ける手だてであり、また謙遜と感謝の現れでもあると述べています。

もう一つのメリットは、その祈りを祈っているのが自分だけではなく、同じ祈祷書を用いるほかの大勢のクリスチャンたちと、時空を超えて祈りを共にすることができることです。私にとって祈祷書を用いて祈ることは、これまでの「私と神様の個人的な関係」をさらに押し広げ、神の国の共同体の一員としての神との関係を意識させてくれるものとなりました。

私が現在定期的に参加しているリトリートでは、朝、昼、夕方、寝る前の一日四回、参加者全員で集まって祈る時間を持っています。これは、リトリート期間中で私がいちばん好きな時間でもあります。しばらくの時間を沈黙とソリチュードで過ごしたあと、共同体として集まって共に祈る時間は格別です。(カトリックの修道院でもたれるリトリートに参加するなら、修道者さんやほかの参加者の方々と一緒に定時の祈りに与ることができるでしょう。)一日四回が難しければ、朝晩の二回とか、リトリートの始めと終わりの二回、というようにしてもいいかと思います。


リトリートを計画するとき、なんらかの目的やテーマを設定すると思いますが、実際にリトリートに出かけたら、目的の達成にこだわるよりも、神があなたを驚かせてくださることに身を委ねてください。

『舟の右側』2020年11月号掲載
 


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