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コロンビアの先住民族ヤナコナの儀礼:パフォーマンス研究の視座からの考察

※本稿は、2017年1月に作成したものです。

はじめに

筆者は、2016年4月20日から23日にかけて、コロンビアのウイラ県(Huila)サン・アグスティン(San Agustín)にある、先住民族ヤナコナ(Yanacona)のコミュニティに滞在し、春分を祝う儀礼パウカル・ライミ(Pawkar Raymi)に参加することができた。しかし、筆者は、ヤナコナやパウカル・ライミについて、よく知らずに参加することになった。儀礼を体験した後で、ヤナコナについて書かれた文献を渉猟したり、ヤナコナの人びとと連絡を取り合い、対話をしたりすることで見識を深めていった。そうした中で、パウカル・ライミでおこなわれたこと、そして筆者が体験したことは、文化人類学的にはどのように解釈できるのか、改めて捉え直したいと思うようになった。

次章で詳しく述べるが、ヤナコナはケチュア語話者である。ペルーの先住民族ケチュア(Quechua)の文化人類学的研究は数多く見受けられるが、かつてのインカの領域の北限とも言える、コロンビア南部のケチュア語話者を自称するヤナコナについての研究は非常に限られている。そこで本論では、文化人類学とも深く関連するパフォーマンス研究の視座から、ヤナコナとその儀礼パウカル・ライミについての考察を試みる。

本論の章立ては以下の通りである。第一章では、ヤナコナについて簡単に概観する。第二章では、ウイラ県サン・アグスティンにあるヤナコナのコミュニティでおこなわれたパウカル・ライミについて、筆者が参与観察の手法で記録したものを基にして説明する。第三章では、コロンビアの社会・政治状況を踏まえつつ、パウカル・ライミが生まれた経緯とヤナコナの民族アイデンティティ復興運動について考察する。その際、主に参考としたのは、コロンビア国立大学の政治学教授カルロス・ウラジミール・サンブラノ(Carlos Vladimir Zambrano)の文献(1996)と、マサチューセッツ工科大学の人類学教授ジーン・E・ジャクソン(Jean E. Jackson)のコロンビアにおける民族運動の研究論文(2009)である。そして第四章では、パウカル・ライミの意義、儀礼の中でおこなわれたこと、筆者や他参加者の身に起きた変化など、パフォーマンス研究の理論を引用しつつ考察する。その際、ニューヨーク大学パフォーマンス・スタディーズの創設者リチャード・シェクナー(Richard Schechner)の著書(1998)と、その著書を翻訳した高橋雄一郎の文献(2005, 2011)を主に参考とした。

I. ヤナコナ民族の概要

コロンビアの2005年の国勢調査によると、ヤナコナの人口は33,253人で、コロンビアの全先住民人口の2.4%を占める。その大半はコロンビア西南部に位置するカウカ県(Cauca)県に居住し、ヤナコナの全人口の85.6%にのぼる。残りは隣接するウイラ県(6.1%)、バジェ・デル・カウカ県(Valle del Cauca)(3.2%)に居住している。また、首都のボゴタ(Bogotá)など都市部の住人(18.1%)も多く存在する。

ヤナコナの母語は、ケチュア語とされるが、母語話者は8.6%のみである。ケチュア語は、昔ながらの道具、植物名や住人の苗字などに残っている程度で、日常ではもっぱらスペイン語が話される。ケチュア語を母語とする話者は、ペルーやボリビアに多い。ケチュアを中心とした、かつてのインカの勢力範囲「タワンティンスーユ(Tawantin Suyu)」の北限が、コロンビア南部のナリーニョ県(Nariño)パスト(Pasto)周辺にあたる。多くのヤナコナが居住するカウカ県はナリーニョ県と隣接した位置にある。

ヤナコナではケチュア語や自文化の復興運動をおこなってきた。ウイラ県のサン・アグスティンには、子どもや若者を対象とした、民族教育(etnoeducación)をおこなう学校がある。ヤナコナの中では、母語のことをルナ・シミ(Runa Simi)と呼ぶ。ルナ・シミは、ケチュア語で「人間の言語」という意味である。

16世紀には、ヤナコナは他の民族とともに、現在居住している地域に居たとされる。スペインの植民地となった以後は、グラナダ新王国のポパヤン管轄地のアルマグロ管轄区域・市(Ciudad y Jurisdicción de Almaguer en la Gobernación de Popayán del Nuevo Reino de Granada)に組み込まれ、強制的に金の採掘に従事させられた。そのことにより、ヤナコナは伝統的な経済・社会・政治的なつながりを失ってしまった。18世紀以降、ヤナコナによる植民地化に対する集団的抵抗運動が起こり、19世紀まで、自分たちの土地を守るための抵抗運動が続いていた。近年、ヤナコナは先住民保護区としての権利、先住民としての地位が認められ、民族アイデンティティの復興、伝統的社会を再構築する活動をおこなっている(Ministerio de Cultura República de Colombia 2010: 5)。

II. パウカル・ライミ

II-1. パウカル・ライミの概要

パウカル・ライミは、アンデス地域における、春分を祝う儀礼である。ペルーのクスコで夏至(ペルーでは北半球なので冬至となる)におこなわれるインティ・ライミ(Inti Raymi)は、もはや観光資源として有名である。それ以外に、冬至のカパック・ライミ(Kapak Raymi)、秋分のキジャ・ライミ(Killa Raymi)、そして、春分のパウカル・ライミがある。ヤナコナでは、パウカル・ライミなどの各季節の儀礼は2000年頃から始められた。

ケチュア語で、パウカル(pawkar)は「色とりどり」の様子を表し、ライミ(raymi)は「祭り」を意味する。これら四つの儀礼は農耕のサイクルに基づいており、パウカル・ライミは、花が色鮮やかに咲き始め、植物が大地から芽吹く季節の到来を祝い、種蒔きの開始を告げるものである。また命が生まれる季節とされるため、妊娠や出産と結びつけられ、パウカル・ライミは女性を象徴する祭りとされる。

II-2. 参加の流れ

筆者は、ボゴタのハベリアナ大学(Pontificia Universidad Javeriana)の友人に、サン・アグスティンでパウカル・ライミがおこなわれることを教えてもらい、ヤナコナのサヤリ(Sayari)を紹介してもらった。彼女は、ボゴタ市内に住み、別の大学に通っている。彼女との連絡は、フェイスブックと電話でおこなった。サヤリは、フェイスブック上にパウカル・ライミのイベントページを作り、開催の日程や場所などを告知していた。またフェイスブック上で、彼女の友人らに招待状を出していた。そこにはタイムテーブルも記載されていたが、実際はその通りには行われなかった。SNSをツールとして積極的に利用している。サヤリは、ヤナコナではない外国人がパウカル・ライミに参加することには、なんら抵抗はないようであった。むしろ、外国人が参加することで、ヤナコナのことを知ってもらうことができ、異文化の人々とも意見交換ができることを喜んでいた。

参加するにあたっての確認事項が事前に提示された。そのうちの主だったものとして、一つ目は、持っていく食料は果物や野菜などに限られ、袋詰めや缶詰めにされた製品は持っていかないことであった。二つ目は、供物としての花、種、織物、香、木の棒や小石など、そして楽器を持ってくること、があった。一つ目に関しては、現地でごみを出さないという実際的な配慮と、大量生産品への批判や、自然のものを食べることの大切さという意味が込められている。サヤリは、袋詰めの食べ物などを「comida chatarra(ガラクタの食べ物、ジャンクフード)」と呼んでいたことからも、そのことが伺える。二つ目に関しては、供物や楽器は祭事中に使用するものである。供物は、花を摘んだり、種をもらったりして現地で調達することができた。楽器は、サヤリとその家族が所有しているものを借りた。その他、宿泊用のテントや寝袋、防寒具など、持ち物についての事項があった。

3月19日の夜に、ボゴタのバスターミナルに集合する。サヤリと実際に会うのはこの日が初めてであり、その他に、彼女の友人ら3人も集まる。夜行バスでサン・アグスティンへと出発する。

3月20日の早朝、サン・アグスティンの町に到着し、そこからヤナコナのコミュニティへタクシーで移動する。到着して、最初にサヤリの実家で朝食をとる。その後、ワシ(wasi)と呼ばれる、集会場でもあり、聖なる場所でもある円形の大きな建物で、友人らと中央のたき火を囲んで座る。その火は神聖なものであり、敬意を持たないといけない。それぞれコカの葉を持って、大地の神であるパチャママ(Pachamama)への感謝の言葉や友人らへの感謝の言葉などを述べて、火にくべる。それらは、コカの葉を噛みながらおこなう。その後、近くの家の畑の作物を見せてもらったり、町の市場で食料の買い出しをしたりする。夜は、ワシの傍にある、民族教育学校の空き教室にテントを張り、そこで就寝する。

II-3. マグダレーナ川での沐浴

3月21日、朝食後、数台の車に分かれて、コミュニティからサン・アグスティンの町へと移動する。町で、大人数が乗れる大型車チバ(chiva)に乗り換え、マグダレーナ川(Rio Magdalena)へと向かう。全体で30から40人くらいの参加者がいた。海外出身者は、メキシコ1人、フランス1人、ドイツ1人、日本1人であった。ヤナコナの人は、サン・アグスティンの人が多かったが、カウカ県など周辺の県から来ている人もいた。

川岸に降りると、先に到着していたメンバーは既に準備を始めている。ヤナコナを象徴する旗であるウィハラ(wiphala) という虹色の織物が敷かれ、その上に作物や種などを供え、香を焚く。ケチュアやアイマラも同様に、民族を象徴する旗としてウィハラを用いる。音楽が奏でられるが、その楽器は笛や太鼓といった伝統的なものだけではなく、ギターやハーモニカも使われる。

その後、参加者全員による沐浴が順番に始まる。順番は、女児が一番最初で、次に男児、成人女性、成人男性と続く。成人は、腰あたりまで深くなっている場所で沐浴をするが、子供はそこまでは行かず、その手前にある流れが滞った浅い場所で沐浴をおこなう。子供は親に付き添われて一人ずつおこなうが、成人は人数も多く時間がかかるので、複数人で一つのグループにまとめておこなう。

岩場から川岸へ降りる際には、二人組が錫杖(bastón)の両端を持って立ち並び、その下をトンネルのようにくぐる。最初に、タイタ(taita)と呼ばれる中心メンバーの一人から、簡単な説明を受ける。水に浸かる場所、水に浸かったら山のほうに向かって意識を集中させること、などの説明がある。

女性4人がウィハラのそれぞれの角を持っていて、そのウィハラの下をくぐって、川の指定された場所まで行く。川底には三つの大きな石があり、そこに腰かけ、最初は胸まで、そして寝そべって肩まで水に浸かる。二人組で向かい合い、お互いに水を頭からゆっくりとかけ合う。これらの間、山側にある、目の前の岩場に立っているタイタは、ハーモニカを吹き続ける。周囲からは「ハジャジャ(jallalla)」と掛け声がかかる。ハジャジャは「万歳」や「頑張れ」という意味だと、後で教えてくれた。

指示を受け、川から上がり、岸辺に整列する。最初にイラクサで頭、手、前身、後身、足を軽く叩かれる。イラクサには棘があり、軽く叩かれただけでもチクチクと刺すように痛い。叩かれたところは、蚊に刺されたようにだんだんと赤く腫れる。イラクサを用いる人はハーモニカを吹きながらおこなう。もう一人が、香を手にぶら下げ、体の周囲を煙で燻す。次に、タイタが口に含んだ液体を、頭、前身、後身、足と吹きかけられながら、柔らかい葉の扇で、全身を叩き撫でられる。次に、別のタイタと向かい合う。タイタは液体を入れた器を持ち、頭の上を始点として筆者から見て右回りに円を描く。その間、大地の神パチャママへの祈りの言葉をタイタは呟いている。最後に器が口元に渡され、器を受け取って飲む。これは飲み干しても、飲み干さなくてもよい。そして、最初と同じように、錫杖の下をくぐって岩場に戻る。

一連のことは、儀式を執りおこなうタイタも含めた全員がおこなう。全員が終わったところで、一般参加者は川の入り口近くの集合場所のほうへと戻る。中心メンバーは、しばらく留まり、輪になって音楽を奏でる。一般参加者は、川が見通せる高い場所から、持ってきた供物のコカの葉、種、花などを川に撒く。全員が揃ったところで、マグダレーナ川から、ヤナコナのコミュニティへと戻る。

II-4. ワシでの談話

コミュニティに戻ると、食堂となる場所に、大きな鍋にスープやご飯などが用意されてあり、皆で昼食をとる。パウカル・ライミの二日間は、三食すべて、全員で同じものを食べる。

午後、皆でワシに集まって、中央の火を囲んで輪になって座る。コカの葉が配られ、それを噛む。タイタからの説明があり、パウカル・ライミと各儀礼、アンデス世界の一年のサイクルについての説明を聴く。次に、みんなで「ハジャジャ」と大きな声で復唱する。また、リズムに合わせて強く大地を踏みしめて足踏みをしながら、輪になって火の周囲を回る。

その後、各々が思っていることや意見を自由に話す。話を始めるのには、挙手という形ではなく、誰が話を始めてもよい。それぞれが自然と話し始めるが、不思議と発言の出だしがかぶることはない。発言を始める際、一定の決まり文句が見受けられる。多くの人が、まず初めに話をすることを神に請い、大地の神への感謝の言葉、自然への感謝の言葉、皆への感謝の言葉から始める。談話の中では、ヤナコナコミュニティが直面してきた(そして、現在も直面している)社会問題、例えば、自文化の変容や喪失、土地汚染、環境破壊、多国籍企業による種子の独占、サン・アグスティン遺跡における考古学者の一方的な解釈への反感 などが話される。夕方近くまで談話が続く。その後、民族教育学校の生徒による、踊りの披露がおこなわれる。

パウカル・ライミの二日間、日の出と日の入りの時間には、ワシの中で太陽に向けて音楽が奏でられる。ワシの出入口は東西に位置し、原則的に東の入口から入って、西の出口から出ないとならない。これは日の出と日の入りの太陽の動きと関連している。

夜になり、サヤリと友人らが企画した、タオルを使った生理用ナプキンの縫い物ワークショップをおこなう。大量生産品のナプキンはごみとなり環境にも悪いので、何度も使える布で、自分たちが身に着けるものは自分たちで作ろう、という趣旨である。女性だけでなく、男性も縫い物に参加する。この日は夕食を食べた後、就寝する。

3月22日、朝食後、ワシにて皆の共同作業で、花、種、果物、小石などを使って、地面に大地の神パチャママのイメージを描く。下書きがあるわけではなく、誰が指揮をするわけでもなく、皆がそれぞれ意見を出し合いながらイメージが出来上がる。その後、前日と同様に、ワシで談話をおこなう。

夕方になると、大地の神パチャママのイメージを輪になって囲み、全員がひとりずつ言葉を紡いでいく。タイタからは、言葉にして発することが大切だと言われる。話していく中で、感極まって泣き出す女性もいる。

夜通し儀式がおこなわれ、夜が明けた3月23日、参加者たちはそれぞれ帰っていく。筆者は夕方まで、サヤリほか友人らと過ごした後、ボゴタへと帰る。

III. ヤナコナでパウカル・ライミが生まれた経緯

III-1. ヤナコナ再民族化の経緯

ジャクソンによると、コロンビアでは、先住民の再民族化運動は各地で1970年代から始まっていたが、その中でも最も早く再民族化をおこなった民族がヤナコナとされる。ヤナコナを再民族化する動き(Yanaconización)は1980年代後半から始まった。そして1990年、当時の先住民リーダー、フアン・グレゴリオ・パレチョル(Juan Gregorio Palechor)が自分たちの民族名として「ヤナコナ」を名付ける。それ以前は、民族を指す特定の名前は存在せず、「マシソの先住民コミュニティ(Comunidad indígena del Macizo)」として呼ばれていた。この「ヤナコナ」という言葉は、民族歴史考古学者フアン・フリエデ(Juan Friede)が1944年に出版した書籍の中に、パレチョルが見つけたものである。ヤナコナとは、ケチュア語で奉仕人(servitor)という意味である(Jackson 2009: 528)。

『ラテンアメリカを知る辞典』でも、ヤナコナはインカの時代に王に隷属していた奉仕人であるとしている。しかし奉仕人として隷属性は高かったが、インカ王直属の身分でもあり、特権を享受する者もいた。また植民地期には、征服者や企業家に従属する特別な身分として、一般の先住民と区別された、と解説する(大貫他 2013: 408)。

一方、ヤナコナのホームページでは、「ヤナコナ」という名前の解釈について、ヤナコナ側の視点から次のように説明されている。

西洋の視点で「奉仕人」とされ、スペイン語風の言葉(palabra castellana)である「ヤナコナ(Yanacona)」を再考証し、我々は「ヤナクナ(Yanakuna)」という言葉に辿り着いた。このヤナクナは、ヤナンティン(Yanantin)という言葉と深い関係がある。ヤナンティンとは、アンデス世界における、万物の二元性と平等性を表す。ヤナ(Yana)とは夜や暗闇を表す。しかしまた自分自身の影を表す。すなわち、「私はあなたであり、あなたは私でもある」。

アンデス世界の宇宙観には、二元的でありつつもお互いが平等である「ヤナンティン」という考え方がある。例えば、「上」と「下」という概念には二元性があるが、どちらかが優れていてどちらかが劣っているということはなく、そこには平等性がある。「上」という概念が存在するからこそ初めて「下」という概念が存在しうるのである。そして「光」と「影」も同様である。「光」があるからこそ「影」が生まれるのである。

このようにしてヤナコナは自らの民族名にヤナンティンという考え方を見出した。本稿では、ヤナコナという名前について深く考察することはしないが、ここからもわかるように、外部から見る一般的な「ヤナコナ」の解釈への批判を含みながら、ヤナコナ自身による「ヤナコナ」の再解釈と意味の再構築をおこなっているのである。

外部の者とヤナコナの間には名前の解釈に隔たりがあるとしても、ジャクソンは、「自らにヤナコナという民族名を与えたことは、自分たちの存在の『不可視性』を壊すことであった」と指摘している(Jackson 2009: 528)。つまり、自らの民族に名前を付けることによって、ヤナコナが「可視化」されたのである。

1990年代は、ヤナコナにとって、「ヤナコナであること(lo Yanacona)」「ヤナコナ性(Yanaconidad)」を構築された時期であった(Jackson 2009: 528)。1992年には、ヤナコナを統括する行政機関である、ヤナコナ民族上級議会(Cabildo Mayor del Pueblo Yanacona)が設立された(Zambrano 1996: 160)。自治を進めていったヤナコナだが、カウカ地域先住民協議会(Consejo Regional Indígena del Cauca: CRIC)*への加入を求めるも、拒否されてしまう。しかし、1997年にCRICへの加入が認められ、先住民として承認された。このように20世紀後半、ヤナコナでは一連の民族運動がおこなわれてきた。しかし民族名として「ヤナコナ」が国勢調査に現れたのは、2001年になってからである(Jackson 2009: 528-529)。

*1971年に設立。カウカ県の各先住民が結集し、先住民の権利を守るための活動を行う。コロンビアにおける先住民運動の先駆けの組織でもある(千代 2011: 209)。

2001年から2006年にかけて、約6000ヘクタールの土地が、ヤナコナの先住民保護区(resguardo)に設定された。それらの先住民保護区は、カウカ県のサンタ・マルタ(Santa Marta)とパレラタ(Palerata)、ウイラ県のサン・アグスティンとルミジャコ(Rumiyaco)に位置する(Ministerio de Cultura República de Colombia 2010: 4)。

パウカル・ライミが始まったとされる2000年、ヤナコナが国勢調査に初めて現れる2001年は、サン・アグスティンのヤナコナコミュニティにとっては重要な年であった。

カウカ県に住んでいたヤナコナの数家族が、土地不足を理由として農地改革庁(Instituto Colombiano para la Reforma Agraria: INCORA)に移住を申し出た。当初、INCORAは、北東部に位置するアラウカ県(Arauca)への移住を検討したが、その数家族は拒否した。その後、INCORAはウイラ県へ数家族の受け入れを打診し、2000年12月27日、数家族はサン・アグスティンに土地を獲得した。そして、2001年9月24日に先住民保護区が置かれた。(Jackson 2009: 528-529)。

III-2. コロンビアの社会・政治状況

コロンビアの先住民にとって大きな変化となったのは、1991年憲法の制定である。この憲法は、コロンビアは民族と文化の多様性を持つ国家であるとし、それらを保護することを定めたもので、先住民保護区においては先住民言語も公式な言語として認めた(千代 2011: 210)。これはジャクソンの指摘する、ヤナコナにとっての「ヤナコナ性」の構築を開始する時期とも重なる。

サン・アグスティンにおいては、1995年、サン・アグスティン遺跡公園(Parque Arqueológico de San Agustín)とその遺跡群が世界遺産に承認された。

1999年に策定された、コロンビア政府の「プラン・コロンビア(Plan Colombia)」により、アメリカ合衆国の財政的・軍事的支援を受け、様々な麻薬撲滅のための活動がおこなわれた。そのうちのひとつが麻薬栽培地への農薬の空中散布であった。これにより、土壌の汚染と住民の健康被害が引き起こされた(二村 2011: 197-199)。

ヤナコナのコミュニティの中でも、農薬空中散布により、吐き気、嘔吐、めまい、発疹、かすみ目、耳鳴りや胃痛などの症状が報告された。また、合法作物である、豆類、タマネギ、ニンニク、ジャガイモ、トウモロコシやその他の伝統作物が萎れたり、枯れたりする被害を受けた(Rohter 2000)。この農薬散布による土壌汚染は、先の数家族がウイラ県に移住するきっかけとなった土地不足の背景の一つとして考えられうる。また、コロンビアの中でも紛争の激しかった県のうちの一つはカウカ県である。そのため、激しい戦闘により土地を追われたり、強制的な違法作物栽培から逃れたり、といったことも理由として考えられうる。

2012年5月には、アメリカ合衆国との自由貿易協定(Free Trade Agreement: FTA)が発効される。これに伴い、農業牧畜庁(Instituto Colombiano Agropecuario: ICA)の第970号決議が策定された。これは農家に対して、将来の播種のために収穫物の種子を保管することを禁じ、公的に認定された種子(主に多国籍企業によるもの)を購入することを義務とするものである(el campesino.co 2015)。この決議により、ヤナコナの伝統的作物を栽培することが難しくなった。このことについては、パウカル・ライミのワシでの談話でも話され、強く問題視されていた。

現代社会との関わりにおいて、ヤナコナが直面している問題として、欧米文化の影響による伝統的な価値観・知識・慣習の喪失や、公的教育によってヤナコナの若者世代が伝統から疎遠になっていることがある。また、それらにはマスメディアの影響も懸念される。教育においては、基礎教育を離脱する子どもの率の高さ、子どもに栄養を取らせるには不十分な家族の低収入、民族教育を教えられる教師の不足、高等教育へ上がる困難さ、などが挙げられる。他にも、違法作物の栽培や武装勢力の侵入、国内避難民の多さ、国際的に守られるべき人権の侵害、耕地の不足、環境破壊、農薬の空中散布被害、農産物・畜産物の生産性の低下、子どもの飢餓、高い罹病率と死亡率、公的サービスの不足、伝統的な薬の知識や資源の国内制度の不備などが挙げられる(Ministerio de Cultura República de Colombia 2010: 9-10)。

こうした様々な問題に直面しながら、ヤナコナは自らの民族アイデンティティを再構築してきており、パウカル・ライミなどの儀礼において、自らが置かれている社会的状況を再確認していることがわかる。

ヤナコナ表

IV. パウカル・ライミのパフォーマンス研究の視座からの考察

IV-1. パフォーマンス研究における「パフォーマンス」の定義

「パフォーマンス」という言葉には、様々な意味が含まれているが、本論に関連するものとして、パフォーマンス・アートがある。広辞苑で「パフォーマンス」の項にも、「既成芸術の枠からはずれた、身体的動作(演技・舞踏)・音響などによって行う芸術表現。一回的・偶然的手法で、視覚・聴覚・運動感覚などに多面的に働きかけることが多い。ハプニングなども含み、1970年代末から一般化。パフォーマンス・アート」という説明がある。しかし、本論のテーマである、パフォーマンス研究の分野における「パフォーマンス」は、一般的な認識とは多少異なるので、まず考察に入る前に、その定義を押さえておかなければならない。

シェクナーによると、「パフォーマンスは、初めておこなわれるのではなく、リハーサルや準備によって形を変えて『再度おこなわれる』行動を考え出し、その行動を使って遊戯することを可能にする」ものである(シェクナー 1998: 7)。換言すれば、パフォーマンスとは、「二度、または何度も繰り返して演じられる行為」であり、「再現された行動」なのである(シェクナー 1998: 299)。「繰り返し再現される行動」とするパフォーマンス研究におけるパフォーマンスは、「一回的手法」だとしている辞書的な意味とは大きく異なっていることがわかる。

また、世の中の諸事象には、「着飾ることや異性装から、政治における脚色、権力の『誇示(デモンストレーション)』としての戦争まで、人間のあらゆる行為にパフォーマンスが介在する」ため、パフォーマンス研究の分野においては、「いかなるイヴェント、行為、項目、行動も『パフォーマンスとして』分析可能」である(シェクナー 1998: 8)。したがって、パウカル・ライミは、辞書的な意味のパフォーマンス・アートではないが、パフォーマンス研究の分野においては、パフォーマンスとして十分に研究対象となるものである。

パウカル・ライミをパフォーマンスとして位置付けする上で、高橋による「パフォーマンス」の分類が有用なので、以下に引用する(高橋 2005: 18)。

①舞台芸術、芸能として捉えられるパフォーマンス
②日常生活におけるパフォーマンス
③文化的パフォーマンス

①は、演劇やダンスなどのパフォーマンス・アートである。②は、日常生活の上で、誰しもが意識的にも無意識的にもおこなっている、社会的な役柄の演じ分けである。つまり、ひとりの人物であっても、家族に見せる顔、会社で見せる顔、恋人に見せる顔など、場面や状況ごとに見せる側面は異なっており、その演じ分けをパフォーマンスとするものである。

そして③の「文化的パフォーマンス」であるが、これは文化人類学者ミルトン・シンガーの造語で、パフォーマンスは「宗教や共同体の伝統に根ざしたさまざまな儀式や慣習によっても構成されている」とするものである(高橋 2005: 19)。また、文化人類学者ジョン・マカルーンの定義によると、文化的パフォーマンスは「文化や社会全体が、自らについて省察し、自らを定義し、自らの集合的な神話と歴史を演じること」である(高橋 2005: 19)。これらのことから、パウカル・ライミは「文化的パフォーマンス」の分類に入ることがわかる。

IV-2. 「再現された行動」としてのパウカル・ライミ

シェクナーは、「再現された行動はすべて『過渡的な行動』である」とし、その行動を通して「『私でない』要素が、『私でない』という性格を失うことなく、『私』になる」と述べている(シェクナー 1998: 64)。このことについては、図1を参照しながら、演劇を例にして考えるとわかりやすい。

説明図1

演劇においては、「私」が「役」を演じる。当然、その「役」は「私」とは異なるものである。本人が本人役で出演する場合もありうるが、その場合も、その「役」は「演じられる私の役」であり、「私」とは異なるものである。

シェクナーのいう「私でない」は、ここでは「役」に置き換えることができる。そして、繰り返しリハーサルや本番(複数回公演がある場合もある)をおこなうことで、次第に「役」が「私」へと回収されていく。俳優や女優がしばしば使う「役に入る」という表現は、言葉からすると「私」が「役」に入っていくイメージとなるが、ここでは「役」が「私」に入るものとイメージできる。つまり、「役」の要素が、「役」という性格を失うことなく、「私」になる。リハーサルや本番を繰り返すことで「私」の中で起きることは、私ではない「役」の要素がそのまま「私」へと取り込まれるのである。それにより「演技をしている間、パフォーマーは『私』ではなく、『私でなくはない』存在になる」のである(シェクナー 1998: 65)。私が「役」を演じている間は「私ではない」と言えるが、その「役」を包摂しているのは「私」でもあるので、「私ではない」ということでもない。この「私ではないが、私でなくもない」という過渡性を生み出すのが、再現された行動なのである。

シェクナーは、演劇だけでなく、パフォーマンス全般において、「『私』と『私でないもの』、つまりパフォーマーと演技される対象は、リハーサル/儀礼のプロセスを通じて『私ではないが、私でなくもない』ものに変容される」と述べている(シェクナー 1998: 65)。

再現された行動によって起こる「私ではないが、私でなくもない」ものへの変容に着目して、儀礼パウカル・ライミに当てはめて考察する。図1をそのままパウカル・ライミに置き換えたものが図2である。

説明図2

「私」にあたるものは、筆者も含めた「一般参加者」である。ここでは、儀礼を司る中心メンバー以外の者、つまり、筆者のような外部の参加者だけでなく、ヤナコナコミュニティに属する者であっても、ヤナコナのアイデンティティをまだ獲得しきれていないヤナコナの者も含まれる。そして、「私でないもの」は、ヤナコナのアイデンティティ、ここでは「ヤナコナ性(Yanaconidad)」と表現する。

再現された行動であるパウカル・ライミに参加することで、「私=一般参加者」が、それぞれ「私でないもの=ヤナコナ性」を「私」の中に回収する。このようにしてパウカル・ライミのプロセスを通して、「私ではないが、私でなくもない」存在へと変容する。これはシェクナーが述べる図式とも一致する。

しかし、特筆すべきなのは、筆者のようなヤナコナの部外者には、「私ではないが、私でなくもない」という変容の他に、図3のような、もうひとつの変化が起こっていることである。

説明図3

当然のことながら、ヤナコナに属する者から見れば、「私」は「ヤナコナでない」者である。しかし、パウカル・ライミを通して、初めて「ヤナコナ性」を取り入れることになる部外者の「私」は、「ヤナコナではないが、ヤナコナでなくもない」存在へと変容するのである。この変容は、ヤナコナに属する一般参加者には起こりえない。彼ら/彼女らは、ヤナコナ性を獲得しきれていなかったとはいえ、「ヤナコナである」からである。このように、ヤナコナではない部外者には、「私ではないが、私でなくもない」と「ヤナコナではないが、ヤナコナでなくもない」という二重の変容が起こっていることがわかる。

まとめれば、再現された行動であるパウカル・ライミに参加することで、ヤナコナに属する人が参加すれば、ヤナコナ性を補強することになる。そして、ヤナコナではない部外者が参加すれば、自身の中にヤナコナ性の要素を新しく取り込むことになる。

さらには、再現された行動をする「私」からの視点だけでなく、図4のように、再現された行動そのものである「パウカル・ライミ」の視点においても、この図式が適応できるのではないだろうか。

説明図4

パウカル・ライミがおこなわれる度ごとに、筆者のようなヤナコナ以外の部外者が参加したり、その時代の社会状況の変化によって影響を受けたり、むしろ、そうした変化を積極的に取り入れたりすることによって、そうした「パウカル・ライミでないもの」をパウカル・ライミの中に回収することになる。儀礼への参加募集に活用したフェイスブックや、サヤリがおこなった生理用ナプキンのワークショップなどが、社会状況の変化による影響と位置付けられる。

しかし、これらの影響はパウカル・ライミを決定的に破壊するものではない。例えば、サヤリがワークショップをおこなった理念は、環境に良いものを身に着けること、自分が身に着けるものは自分で作り出すこと、女性の尊厳を守ることなど、先祖から受け継がれた考え方に基づいており、サヤリは、それらの考え方を先祖代々の祖母からの知恵(sabidurías de abuelas)と表現している。パウカル・ライミがおこなわれることによって、そうした外部の影響を取り込むことで、パウカル・ライミ自体が「パウカル・ライミではないが、パウカル・ライミでなくもない」儀礼へと変容しているのである。

IV-3. 「文化的パフォーマンス」としてのパウカル・ライミ

「文化的パフォーマンス」を考える上でふたつのキーワードがある。それは「省察性(リフレクシヴィティ)」と「境界性(リミナリティ)」である(シェクナー 1998: 298)。

省察性とは、「日常の主観的な認識とは異なる次元で、自分自身や自分たちについて思いをめぐらし、自分たちの存在を検証すること」である(シェクナー 1998: 298)。つまり、文化的パフォーマンスにおいては、自分や自分たちは何者なのか、客観的な視点を持って自己を顧みることがおこなわれるということである。

そして境界性は、「通過儀礼や加入式に必要な、日常の時間や空間から隔離された、中間的、境界的、周縁的な状態」であることを表す(シェクナー 1998: 298)。つまり、文化的パフォーマンスは、時間的にも空間的にも、特別な場/隔絶された場でおこなわれるということである。

高橋は、文化的パフォーマンスでは、「共同体の集合的なアイデンティティを確認するために、共同体の成員によって共有される起源の神話や、共通認識としての歴史、あるいは共通の理想などが思い出され」(=省察性)、「共同体の成員によって共有された空間で集合的に演じられ」(=境界性)ると論じている(シェクナー 1998: 298)。

そこで、文化的パフォーマンスの「省察性」と「境界性」に着目して、パウカル・ライミに当てはめて考察する。

パウカル・ライミは、ヤナコナに属する者にとっては、民族アイデンティティを再確認して補強する場となっていることは、前節で述べたとおりである。また、ワシでおこなわれる談話では、ヤナコナが直面している社会問題について話し合うことにより、自分たちが置かれている状況が共有される。これらのことは、パウカル・ライミの「省察性」の側面を表している。そして、パウカル・ライミは、春分の日という一年に一度の限定された特別な期間に、ワシというヤナコナにとって特別な場でおこなわれる。これらのことは「境界性」の側面を表している。

このように、パウカル・ライミは、文化的パフォーマンスの要素である「省察性」と「境界性」を備えていることがわかる。

IV-4. パウカル・ライミにおける「演劇」と「儀礼」

シェクナーは、「演劇」と「儀礼」の違いについて、「一時的変化を与えるパフォーマンスを『演劇』、変容を可能にするパフォーマンスを『儀礼』と一般に呼んでる」としながらも、両者をはっきりと区分することができるわけではなく、「演劇と儀礼という二種類のパフォーマンスは同時に存在することが多い」と述べる(シェクナー 1998: 89)。すなわち、儀礼の中には、演劇性のある「一時的変化をする者」と、儀礼性のある「変容する者」のふたつが存在することが多いのである。例えば、成人儀礼において、未成年は、儀礼を通して、成人へと「変容」する。一方で、儀礼を執りおこなう大人たちは、すでに成人しているので「変容」はしないが、儀礼に加わり、儀礼に必要な行為(仮面をかぶったり、トランスしたりなど)を執りおこなうことにより「一時的変化」が起こる。

この「演劇性」と「儀礼性」に着目して、パウカル・ライミに当てはめて考察する。

パウカル・ライミにおいて、儀礼を執りおこなうタイタなどの中心メンバーは「一時的変化をする者」である。そして、一般参加者(部外者、ヤナコナに所属する者)は「変容する者」と位置付けられる。

タイタたちは、すでに「ヤナコナ性」を獲得しているので、儀礼を通して「変容」はしないが、衣装を着たりタイタとして振る舞うことによって「一時的変化」をする。一方、一般参加者である部外者は、儀礼を通して「ヤナコナ性」を新たに取り入れることで「変容」する。また、ヤナコナに属する者は、儀礼を通して自身の「ヤナコナ性」を補強/再構築することで「変容」する。もちろん、部外者とヤナコナに属する者とでは、「変容」の度合いの差があるが、ここではその差は問題ではない。

このように、儀礼を執りおこなう中心メンバーは、「儀礼」の中にある「演劇性」といえる。

IV-5. 「身体化される知」としてのパウカル・ライミ

シェクナーは、パフォーマンス研究を定義するものとして、「『間』領域的、中間領域的」であり、「ある学問領域を他の学問領域から隔てている境界を常に侵犯」するものであり、「パフォーマンス研究とパフォーマンス理論は、未完で、開かれていて、多義的で、自己矛盾的である」としている(シェクナー 1998: 6-7)。

この定義からすると、パフォーマンス研究の領域は無限に広がってしまうと思われるが、高橋は、「『何でもあり』の領域ではない」とし、「『身体化される知』が、パフォーマンス研究において共有されるべき前提である」としている(高橋 2005: 198)。

パフォーマンス研究で共有されるべき「身体化される知」とは、一つには、「言説的な構築が身体化されていく過程を解明すること」である(高橋 2005: 198)。つまり、言葉や文字で表されている/いた知識・観念などの表現を、身体を使った表現へどのように移行させている/きたのか、その過程に注目することである。

二つには、「身体化された実践としてのパフォーマンスを、『文化の組成』として分析すること」である(高橋 2005: 198)。つまり、そこにある/あった身体を使った表現は、その文化において、どのような意味・役割がある・あったのかを考えることである。

この「身体化される知」に着目して、パウカル・ライミを考察する。ここでの「身体化」は、これまで見えていなかったものの「可視化」や、これまで意識の俎上に乗せられていなかったものの「意識化」とも関連すると筆者は考える。

これまで述べてきたように、一度は自文化を失ってしまったヤナコナは、再民族化運動により、2000年になって公的にヤナコナの存在が認められ、民族として「可視化」した。それと時期を同じくして、パウカル・ライミなどの儀礼がおこなわれ始めた。

パウカル・ライミには、民族アイデンティティを補強し、再構築することで、自分たちの存在の起源を「意識化」する場としての役割がある。さらには、ワシでの談話のように、その時々にヤナコナが直面する問題を「意識化」する場でもある。

そして、パウカル・ライミでは、地域で生産された食物をコミュニティのメンバーで共有したり、母語とされるケチュア語で発声したり、大地を踏みしめる動作をおこなったり、神聖な火を囲んで踊ったりなど、先祖から続く知識や宇宙観を「身体化」する行動がおこなわれる。

ヤナコナにおけるパウカル・ライミは、民族として「可視化」されたと同時に復活し、自らの存在の起源や民族が直面する社会問題を「意識化」する場となっており、それらは祖先から続く考えを「身体化」したものと密接に結びついている。

そしてパウカル・ライミには、サヤリの生理用ナプキンのワークショップのように、新しい要素も加わっている。生理用ナプキンは現代的なものであるので、いわゆる「伝統」ではない。しかし、本章の第2節で述べたように、先祖から受け継がれた考え方に基づいたものであり、それを「身体化」したものであるともいえる。サヤリのワークショップは、伝統から逸脱したものとはいえないし、伝統とそうでないものを明確に分けることはできない。

高橋は、「文化は常に流動的であり、文化の組成としてのパフォーマンスもまた然り」と述べる(高橋 2005: 198)。シェクナーもまた、パフォーマンス研究の前提にある状況として、「複数の文化が衝突し、相互に干渉し、融合し、そして/あるいは混交することによって新しい成果が生まれてくる文化状況」を指摘し、これによりパフォーマンス研究においては、「『純粋性』に価値を認めない」としている(シェクナー 1998: 6)。このように、その伝統は本当に「伝統的」なのかといった純粋性を求める言説は、パフォーマンス研究においては意味を成さない。そうではなく、文化が変わっていくそのグラデーションとダイナミズムにこそ価値を見出すのである。

身体化される知のあるべき姿として、高橋は、「行動する知であり、その時々の、歴史的、政治的状況の中で、あらゆるパフォーマンスの様態を用いた抵抗の実践」と表現する(高橋 2005: 198)。これまで述べてきたように、パウカル・ライミ、そして儀礼の中でおこなわれる様々な行動もまた「身体化された知」であることは明らかである。

おわりに

本論では、サン・アグスティンでのヤナコナとの筆者の体験をもとに、儀礼パウカル・ライミについて、パフォーマンス研究の視座から考察をおこない、次のようなことがわかった。

「再現された行動」であるパウカル・ライミを通して、参加者は「私ではないが、私でなくもないもの」へと変容を遂げる。外部の者には、さらに「ヤナコナではないが、ヤナコナでなくもないもの」へと二重に変容が起こる。また、パウカル・ライミそのものも、「パウカル・ライミではないが、パウカル・ライミでなくもないもの」へと変容する。

「文化的パフォーマンス」であるパウカル・ライミは、自らを「省察」する場であり、それは、時間的にも空間的にも特別な「境界」でおこなわれる。
「儀礼」であるパウカル・ライミには「演劇性」もあり、儀礼を執りおこなう中心メンバーは、演劇性を帯びた存在であるといえる。

パウカル・ライミや、その儀礼の中でおこなわれる行動は「身体化される知」と結びつき、ヤナコナという民族を「可視化」し、自らの存在を「意識化」する役割を帯びる。

これまで述べてきたように、ヤナコナは現在も再民族化運動の過程にある。今まさに、一つの民族が再構築されていく様をリアルタイムで見ることができるダイナミックな事例として、今後も研究対象とすることには大きな意義がある、と筆者は考える。また、日本において、ペルーのケチュアについての先行研究の多さに比べ、かつてのタワンティンスーユの北限周辺に位置するケチュア語話者のヤナコナについての先行研究はない。したがって、ヤナコナを研究することは、アンデス世界においてのケチュアをマッピングするのに、とても有益であろう。

参照・参考文献

<日本語文献>

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ONIC (Organización Nacional Indígena de Colombia) <http://www.onic.org.co/>.

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Matsumaru Susumu
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