統合失調症とわたし ⑨
以前書いた二度目に通った病院についてさらりと流してしまった形になったのでもう一度、今度はもう少し詳しく書いてみようと思います。
精神病の患者で一番大きいのは医師の存在と薬の存在だと私は思っています。
私の友人は、担当の医師に話を聞いてもらえず薬も効かず…追い詰められ、その挙句、自分で命を絶ってしまいました。
その友人はよく言っていたものです。
「先生が話を聞いてくれない。どころか、話を中断してただ薬だけ処方されて…」
といったような。
友人は話もろくに聴いてもらえず、薬も効かない状態で無茶をし…悲しい結末を迎えてしまったわけですが。
それはおいおい書くとして。
その二度目に通った病院の評判はとてもよく、当時まだ珍しかったデイケアという、事情があって家に居づらい患者さんや病気になっても人とコミュニケーションがとりたいと言ったそういった患者さんのための集まりを公式に運営しているとでもいうのかそういったことにも力を入れている病院で、私はにわか喜びをしました。ここなら…!!ここならば私の病気を治してくれるかもしれない。10日間のうちになんとか立ち直れるかもしれないと。
けれど、先ほども書きましたが医師というのは重要です。そこの病院は何人もの医師を抱えていて、いい医師に当たればラッキー。そうでなければ…『無駄足』というわけです。言ってみればその医師は『ロボット』のようでした。そして『壁』のようでもあるんです。なにを言っても、どれだけなにを言おうとも表情を一つも変えず「そうですか」の一点張りに、私は徐々に不信感と不快感を募らせてゆきました。そうなのです。
私はその『無駄足』を踏んでしまった。
例えば、医師と会話すると…
私「気分が落ち込んで、何もする気力が湧かないんです…」
医師「そうですか」
私「毎日不安で、泣いてばかりで……苦しくて苦しくて」
医師「そうですか」
私「そろそろ休みも終わってしまうし、どうしたらいいか分からなくて…」
医師「そうですか」
このやり取りを何度繰り返したでしょうか。私は疲れ果て、病気は悪化の一途を辿る中、10日間の休みは終わりを告げました。
そんな私が仕事に就けるわけもなく、泣く泣く会社を退職することに決めました。
その時のことはよく覚えています。
社長に辞めることを伝え、父の会社の片隅に位置する勤めていた会社のデスクにある私物を持って帰ろうとデスクに行くと、そこには以前、仕事を教えてくれていた次期社長の男性がヘルプでやって来てました。そして私を、ものすごい鋭い目で睨みつけたのです。怖くて足が竦みました。その視線の中、私物を持って、謝り会社を後にしました。
その後、朝から夜まで泣き詰めで過ごし……。
誰が喜んで会社を辞めると思っているのですか。辞めたくなんてなかった。せっかく正社員になれると思っていた会社です。
けれど、それをどうやって伝えればいいのでしょう。私自身、この病気を発症してすぐで訳も分からずにいるのに、それを他人に伝えることは出来ない。難しすぎる。理解してくれない。
まず、説明が出来ない。
理不尽な怒りや悲しみに溺れ、暫く泣き続けました。
それが、会社という形態で仕事をした最後になりました。
というのも、この会社を辞めた時から私には長い長い闘病生活が待っているのですから。
この悲しみや理不尽な思いは、これから先もずっと続くことになります。これは、前触れにすぎませんでした。
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