誰かの顔色見て、言葉を紡ぐの、ほんとやめよう
つい先日、とにかく書けない時のことを
書いたばかりだったような気がする。
なのに、今日も、動機付けが上手く回らない。
アイデアはそれなりに浮かぶ。
それらはどれも、とても断片的で
そのすべてを組み合わせる作業には時間がかかりそうだ。
「編集する」ということ。
そういう経験を、仕事でもしてきたし
個人的にもたくさん、編集をしながら生きてきた気がする。
編む、ということ。
どうしてカギカッコを使いたくなる時があって
そのあと、同じような言葉を書いた時に
少し前に書いた言葉と揃えるように、カギカッコを使わないのか。
たぶん、4年くらい前だったら、すごく気を遣っていた。
いまはもう、そういうソロエルは、もう、いいかなって。
それは、出版業界に10年以上いたし、校正だってそれなりの数をこなしてきた。
赤字で「ソロエル」を、何度ゲラに書いたことか。
でも、いつしか、そういうのがどうでも良くなって。
何でもかんでも、揃えてばかりの世の中に、僕の心はついていけなくなった。
疲れたんだと、思う。
僕は疲れて、数年前に心も身体も壊れて
あの日からもう以前の自分には戻れなくなった。
無理が効かなくなったというのか
無理をするのを、やめたというのか。
どんどん、自分を解放したいと、思って
その方向へと流れるように、いま、風を感じているんだと思う。
こうやって、書いている文章だって
良くも悪くも、読み手のことを気にして書いてはいない。
ただ、自分のリズムを感じて、言葉の温度を大切にしながら
自分の好きなように、流れていく。
だってほら、最初に「こんな文章を書こう」と思っていた場所から
1ミリも想像していない言葉を、いま、書いている。
今日は「何も書けない、できない日だったなぁ」
そんな気持ちで、とりあえず何でもいいから書いてみる。
そこだけを目指して、とにかく言葉を探していく。
自分の中の風を感じるのって、すごく大事だし
言葉の流れるままに文章を紡ぐことは、心地良い。
その感覚を共有できるのかっていうのは
まぁわからないんだけれど、それでいい。
人それぞれの言葉がある。
それぞれの想いがあって、毎日があって
その瞬間の感情があって、人生がある。
なんでもいいんだよね、ほんと。
誰かの顔色見て、言葉を紡ぐの、ほんとやめよう。
それを自分に言い聞かせるために
今日は、こうして言葉をアウトプットしたんだな。
書いていて何か一つ自分で持ち帰れるものがあったのなら
「書いてよかった」って、思える。
どんどん、好きに。
とにかく、好きに。
やろうよ、好きに。
また、この瞬間から、物語が始まる。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?