あなたを旧世界に引き戻す優しいリボンをほどく【世界という夢を取り換える】

各々の「私」という存在の真実と、意識の目覚めについては、知的に概念を理解していたとしても日頃の自覚を伴わなければ「度々忘却状態に戻るよ」という話をこれまでもしてきた。

「戻り」の作用を担う役割を果たしているのが、「一個人」という自己認識の観念であり、なおかつ「肉体」と自己を同一視している通称「エゴ」で、これは私たちの内にある「インストール済み」機能のひとつとなっている。

その元にあるのは「分離の観念」なのだが、詳しい説明はこのnote上の過去記事や、私のウェブサイトライブ配信のアーカイブ含む)なども色々参照してもらうとして。
この話題を今回の記事によって復習している理由なのだが、前回のnote記事「大海原の向こう側【魂の航路】」(2024.11.14)を読んでくれた方から、記事内の表現「ほどけないリボン」とは何なのかとご質問があった。

そうですよね、そこ、知りたいですよね。
でもそこを詳しく書くと、内容が膨大になってしまうのであの記事の中ではフォーカスしなかったのと、
各々の人生として見た場合、そこに自覚的に意識を置くタイプの人と、置かずに人生が終わるタイプの人とがおり(どちらが正しいとかより良いとかではない)、「目覚めることを今回の人生の目的に含むか否か」にもかかってくるので、あの記事では、私自身の人生の何かであるという表現にとどめておいた。

でも……私の諸活動をこれまでも追ってくれてたり、あるいは今回たまたま興味を持ってこうした記事を読んだ方だったりとアクセスは様々であっても、そこにあるであろう共通の本質的興味に応えるべく、ぼかさずにもっと突っ込んで書こうか! という気持ちが「つづき」として湧いてきたため、当記事が生まれている。

以下は、前回の記事★「大海原の向こう側【魂の航路】」を購入し全文読んだ方は、その内容をふまえてさらにディープな認識を深めてもらえるし、
そちらを読んでない方が単独で購入しても、理解できる記事になっている。
あるいは、先にこちらを読んだ後で前回の全体を読んでもらうという順番でもよく、いずれにしても両方の記事内容が繋がって役立つだろう。


自分を縛り、旧世界に引き戻す優しいリボンとは

まず理解してほしいのは、目覚める前の私たちの状態とは、
エゴという偽の創造主(幻想の神・親のようなもの)と、
真の創造主(源の神・親のようなもの、真我)と、
二種類の神あるいは親を持っているようなものなのだということだ。

これは本質を理解してもらうための、たとえとしての説明になるが、
これまでの地球体験(旧世界)においては、偽の創造主が人間体験の意識の親であるかのような状態であり、言い換えると、エゴ(分離)の状態こそが「事実」であるという思い込みに基づくヴァーチャル世界になっていた……と表現できる。

これまでは地球体験に参加する際の仕様として、分離の観念「レンズ」を私たちは装着する仕様になっていたのだ。これをメガネと言ってもいい。

それでは、このことに気づいたらただメガネを外せば? となりそうだが、私たちはこれを使用することによって今の自分という個人の自己と同一化しているので、少なくとも自己の意識の一部はそう「信じている」状態なので、
本当の意味での目覚めというのは「世界を組み直す」「一度、解体する」というほど大規模な体験になりえるのだ。

ただし、それまでの人生がどのような認識のもとにあったかにもよるので、個人差はあるのだが、
記憶喪失だった人が色々思い出し、これまで自分の世界だと思っていたものが「全然違ったー!」と気づくような感じだと思ってもいいし、それよりももっと大規模にストラクチャー(構造)や仕組み自体が違っていた、根底にある理解自体が錯覚に基づいていた、間違っていたとわかる体験にもなる。

そのように世界を組み直す際、自分の中で大規模な観念シフトがあることを「信念体系クラッシュ」と呼ぶことがあるのだが、往々にしてエゴの部分はそれを嫌がる、恐れる、避ける。
表層的には「目覚めたい」「真実を知りたい」と言いながらも、実際にそうなると自分の今まで信じて構築してきた自己という視点、それに基づく世界が変化してしまうので、安全・安定、恒常性を司ろうとする欲求であるエゴはそれを懸命に遠ざけるのだ。

目覚める前の視点やそれに基づく状態で自分が追求していた願望であるとか幸せ、価値観、目標といったものも「これじゃなかった!」と気づく可能性があって、
それらが体験として人生にあったことを否定する意味では全くないが、以後は「新しい目」を使って生きるというくらい異なる人生になっていく人もいるのだ。

この点において、私はこうした目覚めのトピックに関しては、
●本人(自分自身)の意思で、
●どれだけ旧観念を本当に手放す意欲をもってその道を歩むか、

自ら確認することをすすめたいし、
もし自分自身でコミットする気持ちがないのであれば、かえってこれに足を踏み入れることは有害と感じかねないほど半端なことになるので、注意喚起したい。その程度なら、面白い読み物だったなぁくらいの感想にとどめておき、自身の人生には採用せず忘れた方がいいかもしれない。

なぜなら、それまで盤石だと思えていた? 自分の旧世界がほころびていく一方で、新世界を構築する自分自身の意思はまだ甘い、という中途半端さが生み出す「はざまの状態」で苦しむ可能性があるからだ。
だからといって、これも大局的に見れば何かが悪くなっているのでは決してなく、真の意味で良くなっている途上なので、その経験も本心でいえば、
楽しい目覚めのハイキングコースですよ! 
と伝えたい気持ちがあるのだが(魂や宇宙人の目線でね)。

さて、ここまで読んでもらって、
「自分自身を旧世界に引き戻す優しいリボン」と私が「大海原の向こう側【魂の航路】」で表現したものが、何なのかわかってきただろうか?

そう、私たちにとって、生まれたときからあったもの、とは……?


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