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天国からのエール(2011)

この間、うちの親類がゴールデンハーフスペシャルだった記事を書きましたが、うちの息子も小学生から専門学校までの期間子役をやっていたんです。

きっかけは小学4年生の時に「ホテルハイビスカス」と言う中江裕司監督の映画撮影があって、沖縄の小学生から子役を決めると言うので、応募したんです。
当時の中江裕司監督の人気はすさまじくて、「ナビィの恋」は沖縄映画に関心のないかえるちゃんでも見ています。
今は他界しているオバアもいっしょで家族で見ました。
帰りにはビールと餃子をつまみながら「オバアどうねー?元カレと再会したらついて行くねー?」と聞いたら、オバアが乙女の反応だったのを覚えています。

ホテルハイビスカスは一次面談まで行きましたがそれ以上は進めなくて、けど息子は芝居に関心を持った様子だったので、夫が子役育成の劇団を探して来て、レッスンを受けるようになりました。

劇団は照屋京子先生と言う元アナウンサーで、劇団は浦添にありました。
当時はアクターズスクールが全盛期だったので、「アクターズはどんな?」って聞いたら息子はダンスレッスンが怖かったみたいでイヤがっていました。

京子先生のレッスンは小学生相手でも厳しくて、息子は怒られても褒められても大泣きでした。
5年生の時に「対馬丸記念館」のナレーションをして、6年生の時に那覇市制作の自転車系のコマーシャルに出ました。
この撮影の時に息子がワガママを言ったみたいで、京子先生は「周りの大人はみんなお仕事で来ているんだからワガママは通用しない」とビシッと叱ってくれたみたいで、その後の息子は周りの様子を良く見る子になったようです。

息子は中学2年で沖縄市の戯曲大賞を受賞した「白雨至りて」と言う舞台に出ました。
戦後間もない沖縄の聾学校を舞台にした作品で、息子は生徒役と芝居の進行係でした。
頭を丸坊主にして、セリフはすべて手話だったので猛特訓をして臨みました。
子役なんですけど、わりと舞台については容赦なくて、30万円分のチケットノルマがありました。
もちろん満額は無理でしたが、息子も数万円分は売り上げ貢献しました。

そして高校2年生の時にいよいよ映画の話が来ました。
台本をもらいに行ったら主演が阿部寛で、息子あこがれの役者さんだったので、テンション爆上がりでした。
沖縄県北部の本部町が舞台の余命何ヶ月もので、阿部寛が主役、高校生のメインキャストは東京から来て、息子は下級生であまり登場機会はないんですが、「高良ケイタ」と役名もありました。
ほとんどが本部ロケで、息子は本部に6泊しました。

こちらが予告編で、阿部寛にばんみかされて「あが」って言ってるのが息子です。
息子は端役でしたが、阿部寛が倒れた時に救急車を呼びに行く役と、映画のラストシーンで下級生代表でおにぎりを頬張るクローズアップがありました。全国配給の映画だったので、札幌の両親も映画館で見て、良い思い出になりました。
翌年、母と台北に行った時の機内上映にこの映画があって、母は大興奮。
行きも帰りもガン見していて、台北までだから半分しか見られないんですけれど、台湾人のCAさんにも「私の孫なの」と言葉も通じないのにアピールしていました。

息子は部活動はしていませんでしたが、芝居の稽古は熱心にしていた良い思い出があります。

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