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『べつの言葉で』 ジュンパ・ラヒリ著 中島浩郎訳
2021年に読んだ本の中で一番のお気に入り作品。そしておそらく今後ずっと大事に本棚に置いて、何度も読み返すことになる作品であること間違いありません。
家族とともにアメリカを離れローマに移住したラヒリが、言語学習に焦点を当てて、その途方もない学びの過程を、惚れ惚れする文章で綴った名作です。
「小さな湖を泳いで渡りたい。ほんとうに小さい湖なのだが、それでも向こう岸は遠すぎて、自分の力を超えているように思える。湖の真ん中あたりはとても深いことが分かっているし、泳げるとはいえ、何の支えもなく一人で水に入るのはこわい」
「わたしは20年間、その湖の岸沿いを泳ぐようにイタリア語を勉強してきた。つねにわたしの主な言語である英語のかたわらで。そのそばを離れずに。それはいい練習だった・・・このように外国語を勉強すれば、溺れる心配はない。別の言葉がいつもそばにあり、支えたり助けたりしてくれる。だが、溺れたり沈んだりする危険なしで浮いてるだけでは十分とは言えない。新しい言語を知り、そのにどっぷり浸かるためには、岸を離れなければならない。浮き輪なしで。陸地を当てにすることなく。」
ラヒリが本格的にイタリア語を学び始め、本作品をイタリア語で書いたのは両方、40歳を過ぎてからのこと。イタリア語を愛し、深く学ぶ中でラヒリが感じたのは、イタリア語には自分が『不完全である自由』があるということ。母国語でベンガル語と継母である英語では味わえない魅力、境地、貧弱な新しい声。
作家としてのラヒリは、書くために新しい声を求めていました。そもそも書くことの意味について、ラヒリはこう説明しています。「なぜ私は書くのか?存在の謎を探るため。わたし自身に寛容であるため。わたしの外にあるものすべてを近よせるためだ。」
書くことへの飽くなき探究心と情熱が、言語学習の源であり、実感する自由に高揚感を覚えるということばに震えました。私も言語が好きだけど、理由を聞かれるとずっと難しかった。好きだという気持ちに確信があるのに、説明ができない。でもラヒリの文章を読んだ時、大きく共感している自分がいることに気づきました。「そうだ!」という感動がありました。
新しい言語の習得は、新しい人生を味わうように、私をワクワクした気持ちにさせてくれます。母国語を扱うときとは違う感覚を与えてくれて、新鮮で自由な自分になれます。貧弱な故の不自由さも感じるけれど、話すこと・書く上で、間違いなく大きな変化を自分の中に体験できます。
ラヒリの作品はいつも、離れたくないことばで溢れていて、気づけば私は夢中で付箋を貼っています。大切にしたい言葉、もう一度よく噛み締めたい言葉で溢れ過ぎていて。
この本との出会いに感謝。心からそう思える作品です。