【学生目線から】なぜ「東北大学 東洋・日本美術史研究室」で学ぶのか?
こんにちは
ゴールデンウィークに突入しましたね。
そして今年も新緑の季節がやってきました。
(一昨日の夜は雪が降り、ここ3日間は頭が混乱するほどの寒さですが…)
まさに「杜の都」を象徴する季節!
常緑樹の深い緑色と落葉樹のみずみずしく明るい緑色が混ざり合い、秋の紅葉とは一味違った 色の奥深さ が感じられます。
つい写真を撮りすぎてしまいます…笑
そんな中、先日は博物館実習で東北歴史博物館に行ってきました!
現在行われている特別展は、「知の大冒険 -東洋文庫 名品の煌めき-」展。
会期は6月26日(日)までです。
この展覧会、ほとんどが「版本」、つまり絵画や工芸などではない「出版された本」の展示であったため、
鑑賞者をいかに飽きさせないようにするか、工夫が求められる展覧会であったと想像されます。
そのため、この展覧会を拝観したあとで、
「もし自分が同様の展覧会を企画することになったら、どんな工夫をした上で、どんなものにするか?」
グループを組んで話し合い、まとまった意見を披露しあう、といった授業の流れになりました。
通常よりもやや特異な作品のラインナップをどう展示するか、考えを巡らせながら拝観したことで、
「観覧者」に終始せず、段々と「学芸員」としての目線も持ち合わせていく訓練には貴重な機会になりました。
今回の話題
このnoteアカウントを運営する上で掲げられた目標は、
「東北大学/大学院を目指す人が、東洋・日本美術史研究室でどんなことが学べるか、どんな考えをもって学んでいるかを知ることができる手段の一つにする」
というもの。
運営の一端を担わせていただくことになった私タタミも、
この目標を胸に、
8カ月ほど走り続けてきました。
そして以前お知らせしたとおり、今回で私タタミの担当は最終回になります。
そこで今回は、あえて 客観性を意識した「一運営者・タタミ」視点から一旦離れ、
主観的な「東洋・日本美術史研究室所属の一学生・T」視点から、
よりリアルな研究室の様子をお伝えしてみたいと思います!
研究室の雰囲気
一言で表せば、「思ったことを(論理をもって)何でも主張できる研究室」です。
当研究室では2年生から大学院生までみな仲が良く(これこそ主観ではありますが…)、
授業の発表や作品の検討会が行われる中で、その前後に意見が頻繁に交わされます。
そしてそれは先輩・後輩の学年、さらには先生・生徒の身分を問いません。
お互いがお互いの意見を尊重した上で、
「こうした理由があるから、これは違うのではないか」と批判したり、
「ここでこれを主張したいのであれば、先にこの論を述べた方がいいのではないか」と改善点を提示したり、
そういった意見の交わし方が気軽にできています。
これは上級生や先生方のプライドが高かったり、卒論に差し掛かっておらず、まだ「研究」への実感は薄いだろう下級生の意識が低かったりすれば、実現できていない状況でしょう。
その上で、先生方や今までの先輩方の働きかけがあってこその今の状況です。
例えば、
杉本先生は「この画家の作品を観たいです」といえば、ご自身の所蔵されている作品を拝観する機会をすぐに設けてくださったり、それらの作品や図録の作品を比較・検討する会をすぐに開催してくださったりします。
また、去年は後輩である私が先輩の修士論文を添削させていただく、なんてこともありました。もちろん先輩側からのご依頼です。
先輩と私は専門分野が異なるので、そういった人でもわかりやすい文章を目指したいとのことでした。
この機会は私にとって、先輩の研究内容を学ばせていただくだけでなく、自分の修士論文の書き方を考えていく上でも大変勉強になりました。
先輩のプライドが高ければ、後輩に添削されるなど絶対に嫌なはず。結果、このような相互作用も生まれなかったでしょう。
こうした現状を踏まえると、当研究室では
切磋琢磨して学びを高め合える環境が整っていると感じます。
次は、この環境の中でどんなことが学べるのかをご紹介します。
東北大学東洋・日本美術史研究室で学べること
―なぜ「東北大学」の「東洋・日本美術史研究室」で学ぶのか?
美術史が学べる研究室を持つ大学は、東北大学以外にも複数あります。
一方、東北大学には文学部だけでも25の専修(研究室)があります。
その中で、ここでの学びにどんな特異性があるのでしょうか?
この機会に、この大学のこの研究室でしか学べないと感じる部分をいくつかに絞ってご紹介します。
勉強面
①「東洋・日本美術史」が学べる
当研究室に該当している専修(=他大学の学科にあたる)の名前は、
西洋美術史を含める「美術史学科」でも、日本にフォーカスした「日本美術史学科」でもない、
「東洋・日本美術史専修」です。
そのため、より意識的に東洋の思想と文化の流れを念頭に置き、その位置関係を把握しながら東洋美術史・日本美術史を深く学ぶことができます。
近世以前の日本において、中国など東洋の思想の文化的影響は計り知れません。
一方で、西洋的な思想の影響は近代以降に強まったと言えるでしょう。
だからこそ、近世以前を対象とした日本美術史を考える際には、「東洋の中の日本」に主な焦点を当てる必要があります。
もちろん「美術史学科」で西洋美術史を学ぶことは、思想を比較する上でも必要ですし、
「日本美術史学科」であっても、日本美術史の根底となる東洋思想は当然学ぶ対象となるでしょう。
ましてやそれらはたかが「学科名」であり、何年も受け継がれているものもあるのでしょう。
しかし、ある程度はその学科の意識が「学科名」として付されていると考えてよいはず。
その分、当研究室では「東洋・日本美術史」と名を冠している上に、
先生方もその意識を強く持っておられます。
7年ほど前に調べた限りでは、東北大学以外に「東洋・日本美術史専修(学科)」のある大学はなく、
日本美術史を学べるのは「日本美術史学科」か「美術史学科」であったと記憶しています。
(私自身、それが東北大志望決定理由の一つになりました。)
ある程度日本を拡大して見ながらも、「日本」という枠組みに捉われずに美術史を研究してみたい方には、
「東洋・日本美術史専修」が適当なのではないでしょうか。
②「通史」が学べる
当研究室では、長岡先生が仏教彫刻史、杉本先生が近世絵画史を専門とされており、それぞれについて学ぶことができます。(詳しくは下の記事まで)
その中でも「近世美術史」が学べるところは、東北大学を含め決して多くありません。
なぜなら、専門とされる先生が少ないからです。
加えて、杉本先生はまず授業で「日本絵画史」という通史を押さえた上で「近世絵画史」を展開し、
日本の絵画史における近世の位置付けを学生に意識させる構成になっています。
他の研究室の授業は、基本的にその教授の「専門とする時代」の「専門とする部分」を学生のレベルに合わせて(合わせなくても…)深堀りしていくかたちでしたし、
他の大学も同様の授業が多いのではないでしょうか。
ここでの授業は、より「学ぶ側」を意識した授業になっていると感じます。
③思想を読み解く「切り口」としての美術史が学べる
私たちがなぜ近世以前の絵画作品や彫刻作品を研究するかと問われれば、
ひとえに「愛でる理由が欲しいから」「素晴らしさを伝えたいから」ではなく、
それを切り口として「制作当時の人々の思想や価値観を知りたいから」です。
当時の思想や価値観が「イメージ」として表された絵画や彫刻から、私たちはどんな「生き方」が学べるか?
またそれを「現代」に繋げるため、いかに論理的に社会へ提示していけるか?
東北大学の理念の一つである「実学尊重」のもと、「実学としての美術史」を学べる場が確立されています。
精神面
当研究室では、研究を含む学芸員としての仕事に対する姿勢はもちろん、美術史から離れた分野の社会に出ても使える武器を獲得することができます。
たくさんあるため詳しくは今までの記事をご覧いただきたいのですが、
その中でも特に大きな2つを改めて簡単にご紹介します。
①仕組みをよく観察した上で得られた情報を整理し、取捨選択する力がつく
主に作品の比較・検討を行っていく過程で養われる力。
作品から読み取れる情報を溢さずに掬い上げた上で、それを必要・不必要に分けながら整理していくことで、より論理的で説得力のある論になります。
何が正しくて正しくないのか、何が自分や社会にとって利益をもたらすのかそうでないのか、
これらを見抜く力は、情報に溢れた現代を生き抜く上でも大きな糧になると思います。
②当たり前となっている「慣習」に疑問を呈し、打破・改善していく力がつく
これは特に今までご紹介した「杉本通信」などからも感じ取っていただけるかと思います。
研究や今まで普通になされてきた仕事について、タブー視されてきた点、変化の面倒さから改善できるのに改善されてこなかった点、当たり前すぎてそもそも気がつかれてこなかった点などに着目できる力、そしてそれを意欲的に変えていく力がつきます。
学生の動きでいえば、
例えば卒業論文に載せる図を普通紙でなく写真紙(光沢紙)で印刷して提出したり(画質が良くなり、図が見やすくなるため)、
今まで発行していた冊子の字体や形式を変えて見やすくしたり…といった様子が近年見られるようになってきました。
こうした後輩の工夫に、私自身が感服しながらもよい刺激を受けています。
「どうせやるなら、今までよりも少しでも自分や社会に役立つものにしよう」という研究室全体の意識の中で、こうした力が育まれていると実感します。
当研究室のデメリット
ここまで、「東北大学東洋・日本美術史研究室の良さ」をご紹介しました。が、「よりリアルな目線を」お届けするということで、
当研究室のデメリットにも触れてみたいと思います。
それは「周りにある美術館・博物館が多くないこと」です。
東北地方には美術館・博物館が少ない
気軽に足を運べる距離にあるのは、
・仙台市博物館
・宮城県美術館
そして電車で30分の位置の
・東北歴史博物館
この3箇所です。
さらに仙台市博物館は現在長期休館中、宮城県美術館の主な展示物は近現代美術であり、
私たち研究室の研究対象となる時代の作品を簡単に、それもたくさんは観に行けません。
加えて、作品の日常的な観察だけでなく、
インターンなど学芸員の仕事に直接つながる体験ができる場所も限られてきます。
美術館・博物館にすぐにアクセスできる関東や関西に比べると、そうした面が劣っていることは否めません。
デメリットを超えるメリット
ただし、デメリットを補強、さらにはメリットに変える経験ができるのが、当研究室の強みです。
たくさん観には行けないけれど、先生が所蔵されているたくさんの作品を観て学ぼう。
特別拝観のようにガラスケースを取り払い、時代感のある作品を間近に観ることができます。
インターンはできないけれど、展覧会に主体的に参画しよう。
研究室で展覧会を主催する上で、作品の解説やポスター、報道陣向けのプレスリリースまで担当でき、「社会との繋がり」を仕事から強く感じることができます。
先生方が提供してくださる機会を存分に活用することで、「地の利」を自ら発見していくことができます。
また、個人的には東北の「地の利」はそれだけではないと思っています。
東北という、江戸や京都のような都から離れた場所にいた画家たちの工夫や挑戦を怠らない精神から、学べることはたくさんあります(ぜひ6月からの展覧会をご覧ください!!)。
そして冒頭の写真でも上げたとおり、現代でもとても自然が綺麗な場所です。
そのため、自然の少ない都市部よりも自然との距離が近くなり、近世以前の自然のあり方に比較的近づけるはずです。
実はnoteで大学周辺の自然の写真を毎回上げていたのは、東北大の周りをご紹介するのはもちろん、
現代人の私の目から自然を捉えたら、近世以前の絵画作品と比べてどんな風な構図や場面の捉え方になるかな?という思いがありました。
(今となっては(作品に近い)縦長の構図の方が良かったな…という感想ですが)
結果はいかがでしょう。
個人差はきっとあるでしょうが、私の写真は斜めから撮りがち…など、近世以前の捉え方とは大きく異なるものとなった自覚があります。
ただ、このようにして東北において自然を味わう機会が少しでも多いことは、
近世以前の自然観と現代の自分のそれを比較して違いを自覚した上で、近世以前のものをより正確に知っていくことに繋がると感じます。
ありがとうございました
いかがでしたでしょうか。
できるだけ余すことなくお伝えしたいと思ったら、大増刊号になってしまいました。
2回に分ければよかったです。すみません…!
私自身、高校生の時からこの東洋・日本美術史研究室に憧れて東北大学を受験しましたが、
修士課程修了が近づいてきた今でも、この選択で良かったと心から思います。
そのため、皆さまに研究室の良さをお伝えしたいのはもちろんなのですが、
それ以上に「東北大学の東洋・日本美術史研究室では、こんな考えでやっているよ」ということを知っていただいた上で、大学や研究室の選択、さらにはご自身の生活に活かしていただければ嬉しいです。
それでは、私タタミの担当はここまで。
約8ヶ月間、そして今回の大変長い記事までご愛読いただき、誠にありがとうございました。
今後は告知通り、よろずさんと3年生が担当してくれます。
次回はよろずさんとのこと。
ぜひ、変わらぬご愛読をよろしくお願いいたします!
最後になりますが、担当させていただいた杉本先生、土台を作り、再び続投してくださるよろずさん、新しく引き継いでくださる3年生にも感謝を申し上げます。
記事として書かせていただいたことを私自身でも糧とし、修士論文執筆と学芸員への就職活動に励むと誓いつつ、筆を置かせていただきます。
【参考】
Twitter:noteの更新をお知らせしています!
YouTube:講義を期間限定で配信中!杉本の特別企画もあり、美術史についてより深く学ぶことができます。そして何より、ここで取り上げた講義を実際に聞くことができ、気軽に体験授業を受けることができます!
(先週分の授業がアップされました!期間限定ですが、ぜひご覧ください。)
ホームページ:杉本についてもっと知りたい方はこちら。随時更新していきます!
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