ザ・加藤伸吉・アンソロジー(3)漫画家としての目覚め、そして多彩なタッチのヒミツの巻
漫画家、加藤伸吉のキャリアを振り返りつつ、僕たちが通ってきたカルチャーや出来事について語るインタビュー企画、第3回です。
前回に引き続き子ども時代の話を中心に、加藤伸吉最初の作品が生まれた瞬間や、その頃すでに身につけていた多彩なタッチとその描き分けの意図についてまで、話は広がりました。
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*控え目なジャイアン*
大須賀:加藤くんって、ざっくり言うとどんな子だったの?
加藤:要するにガキ大将。長屋に住んでたんだけど、僕が一番の年長者で、子どもたちのリーダーになれる状況だったんだよね。建物が2列に並んでる典型的な長屋で。向こう三軒両隣っていうやつ。
大須賀:おれがライダーな、って、仕切ってたんだ。
加藤:笑。そう。いまも、おれがライダー(笑)
昭和30年代後半~40年代初頭生まれは、今も脈々と続く『仮面ライダー』『ウルトラマン』『戦隊モノ』シリーズの黎明期に少年時代を過ごした世代。公園や空き地で「ライダーごっこ」をした最初の世代とも言える。塀から落ちて大怪我をする子どもが続出して、社会問題になったりした。
加藤:でも、母親いわく、あんたは自分から誘いにいかないねって。
大須賀:「かーとーくーん、あーそーぼー!」って誘いにくるまで待ってるんだ。
加藤:そうそう。なんだろう、基本は照れなんだろうね。自分から行くタイプではないの。
大須賀:あーわかる。加藤くんは、そういうタイプの社交性はないんだよね。自分から同窓会企画する的じゃないの。
加藤:そうそう。そういうのはダメなんだよねー。
トキタ:向こうから来る状況をつくるのね。
加藤:そんで自分の人気をリサーチしている部分もあったりして(笑)
大須賀・トキタ:うはははは。
*街の物語としての『仮面ライダー』*
大須賀:加藤くんは、ウルトラマン派か仮面ライダー派か、で言うと?
加藤:ライダー派。なんでだろう。「ごっこ」が出来たからかなぁ。ライダーは等身大だから、空き地に積まれた材木の上から「トゥー!」って再現できるんだよね。ウルトラマンは、デカくなれないからさ。あと、ライダーは自分の街にいる感じがする。科学特捜隊は絶対に無いけど、おやっさんの店はありそう。
科学特捜隊:『ウルトラマン』における、地球防衛組織。基地や制服、車両なんかがむちゃくちゃカッコ良くて、僕らの憧れを誘った。
おやっさんの店:『仮面ライダー』で、主人公が慕うオートバイの師匠、立花藤兵衛が営むスナック。物語の舞台として強く印象に残るが、今調べたらおやっさんがスナックのマスターだったのは最初の13話だけだったんですね。
トキタ:やっぱり自分の側にキャラクターを持ってくることにこだわるんだねー。確かにそういう意味では『ウルトラマン』は宇宙の話、『仮面ライダー』は街の物語だね。
加藤:そうそう。世界が、おれにとって生々しかったんだよね。
*小4で「雑誌」をつくった*
大須賀:で、前回聞いたけど、その頃ウルトラマンや仮面ライダーを描き始めたんだよね。ファスナーまで(笑)。
その後、コマやストーリーのある「漫画」を描き始めたのはいつくらいから?
加藤:覚えてるのは、小4くらいで、ノート1冊使って自分の「雑誌」を作った。作品ごとにタッチを変えて、色々な作家が描いてる体で。刑事ものがあったり、松本零士さんの絵を下手くそにまねた『宇宙戦艦ヤマト』の僕版とか、あと『ゲターロボ』という下駄のロボとか(笑)
トキタ:だじゃれ(笑)
大須賀:それを友だちに回覧してた?
加藤:そう。結構人気があったよ。そういう「自分雑誌」をつくってたね。
大須賀:そういう「手書き雑誌」というか「雑誌パロディ」というか、ジョン・レノンのは有名だよね。
トキタ:あと、藤子不二雄さんも創ってたよね。すごいやつ。
加藤:藤子不二雄さんのはすごい本格的だよね。とんでもなく本格的。
ジョン・レノンが17歳のときにつくった手書きの雑誌のタイトルは『DAILY HOWL』。似顔絵、人物画やブラック・ジョーク満載の文章で構成されている。そして、のちに藤子不二雄となる安孫子素雄と藤本弘が高校時代にノートに手書きした「雑誌」は『少太陽』といい、漫画や小説で構成されている。どちらも現存し、展覧会等で見ることができる。本稿では、この2例とも高校時代の作であることに注目したい。加藤の小4はとんでもなく早熟!
*絵のタッチを変えることは、映画でカメラマンを変えるのと一緒*
大須賀:作品として漫画を描いたのはそれが最初ということになるのかな。その雑誌には、パロディ的なもののほかに純粋な自分の作品も描いてるの?
加藤:うーん、ぜんぶパロディだったのかな、今考えると。
大須賀:なるほど。そうしたパロディを創作する過程で、絵はもちろん、キャラクター造形、物語の構造、動かし方などを自然に学んでいたのかもね。
加藤:そうだね。タッチの描き分けで世界が変わるというのも、そのころ気付いてやっていたのかな。
大須賀:ああ、それ!加藤くんはホント色んなタッチ描けるよね。
加藤:そうなの。おれ「誰誰原理主義」になれなくて、なんでも好きなんだよね。
大須賀:『バカとゴッホ』でも急にタッチが変わる回があって、ものすごく印象に残っている。ああいうふうに、連載物のストーリー漫画なのにある回だけタッチが全然違うって、かなり珍しいんじゃないかな?
『バカとゴッホ』第8話「バカ通信」:うっかりヒロインに告白してしまって瞬殺された主人公が、とことんやさぐれて知らない街を放浪する。この回の前後で物語の様相が大きく変わっていく、節目の回。全編主人公のモノローグ(親友に書く手紙の文章)で構成されており、突然野太い筆書きのようになったタッチとあいまって独特の詩情に溢れている。
トキタ:なんでタッチ変えようと思うの?「この回はこのタッチだな」っていう感じ?
加藤:タッチを変えることを僕は「カメラマンが変わる」って言っている。監督はもちろん僕だけど、照明さんとカメラマンが変わった、ということだと思うんだ。今回の話はこっちのカメラマン連れてくるか、っていう感じ、なのかなぁ。
うーん、でも、そういうのは後付けだけどね。タッチを変えたいっていう感覚が先にあって、それは後で考えれば「カメラマンを変えた」ってことなのかなぁと。漫画と映画は全然違う異質なものだとはもちろんわかってるけど、なんか映画的に捉えちゃうんだよね。僕にとっては似てる、やっぱり。
大須賀:なるほど・・・加藤くんの漫画にとって、映画は実はすごく重要な要素だよね。かなりマニアックな領域で、僕らに遠慮しているのか、ふだんはあまり語らないけど。
加藤:うん、そうそうそう。パゾリーニとかね、あのへんの造形の話とか、したいときあるよ。
ピエル・パオロ・パゾリーニ:奇才、異能の人、等さまざまに形容される特異な作風で知られたイタリアの詩人、小説家、映画作家。1954年~75年にかけて映像美に溢れる多数の映画を制作。
加藤:エンターテイメント的なものももちろん見てたけど…入口はやっぱり黒澤明さん。あの人は漫画だもん、絵が。崖と馬、とかね、分かりやすいの。その分かりゃすい絵を創るためにスタッフは大変なんだけど、そこに妥協がない。
トキタ:漫画と違って、実写で絵をつくらなきゃいけないからとんでもなく大変だよね。
加藤:そう。で、出来たものはすごく漫画に近いものを感じる。『乱』がテレビ放映されたときに、すごく小さなテレビで見たんだけど、絵がしっかりしてるから画面サイズなんて関係ないんだよ。あと武満徹の音楽。あれでもう、あぁ黒澤明ってすごいんだなと。あれを見るまでは、黒澤明がすごいって言われてもおれには関係ないなーって感じだったんだけど。あの絵を見たらね…あの絵は、漫画と同じ魂を持ってたね。だから、あの人は漫画家になってもすごい人になってたと思う。
大須賀:そういえば、黒澤の絵コンテって有名だよね。
加藤:そう、そう。(描いた)絵を、そのまま(映画の)絵にするっていうね。「この風景、絵みたーい」っていうのあるじゃない、あれがそのままフィルムになっているっていうかね。
それが入り口で、そのあとはゴダール、ヌーヴェルヴァーグとか、あとイタリアの前衛的な映画とか。そういうのを今でもよく見る。最初はぜんぜんわからないんだよ。なんだろうなこれって。でも、なぜかまた見たくなる。それでひとつわかると、あーそうか!となって。見れば見るほど、ものすごく面白い。見るたびに、発見があって。
ヌーヴェルヴァーグ:50年代末にはじまった、フランス映画の「新しい=ヌーヴェル+波=ヴァーグ」。当時の若手作家による斬新な手法の映画を指す。ゴダール(ジャン=リュック・ゴダール)は、その代表的な作家で、代表作に『勝手にしやがれ』など。
トキタ:映画の話はまたあらためてじっくりしたいね。
大須賀:そうだね、映画で1回、音楽で1回・・・1回じゃ済まないかな。それはやりましょう!
次回は、このまま中高生時代の話、とも思ったんだけど、一度漫画家デビュー後の話に戻りましょう。その話がなかなか始まらないのもね(笑)。デビューから大人気作『国民クイズ』に至るまで、そして『国民クイズ』の制作秘話なんかを聞きたいと思います。
<つづく>
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