「書く・描くこと」は癒しだ
昨日、悲しい気持ちを書いて、多少すっきりしたように思う。
今朝は泣かなかった。息子に叩き起こされたのもあるが。
まだまだ完全に悲しみから抜けたわけではないけれど、少しだけ、前に進めた気がする。
という話を夫にしたら、「書くことは癒しだからね」と言われた。
自分の気持ちを、言葉にすることだから。
何かの形にして出すことは、創作は、根本的に癒しだよ。セラピーみたいなね。
と。
なんとなく美術専攻の教員免許持ちらしい言葉だなと思った。
だから反省文とかも、本当は自分を見直したり、ことの理解を深めるためにあるんだけど、書くことを目的にしちゃうとちょっとね、なんて話をした。
国語の授業でよくある、初めて読んだ時の感想なんてのもそうだよなぁ。
ものを作ったり、書いたり、描いたりすることは、内面の表現であり、自己理解であり、世界とお近づきになろうとすること、のような気がする。
あと少しベクトルが違うけれど、「読むこと」にも似たような癒し効果があるように思う。
こういう風に表現するのか、こんな考え方があるのか、確かに、私もそう感じていたかも!
読むこともまた、自分や、自分の気持ち、世界を知ることにつながり、それが表現へとつながっていく。
もうずっとそうやって生きてきたはずなのに、改めて書くこと・描くことは癒しだなぁと感じた。
ネガティブ極まりないけれども、個人的には、書いて、書けてよかったなと思う。
余談だが、京アニが支援金の預かり口座を公開してくれた。
私はいてもたってもいられなくて、既にアニメイトの募金箱に入れてきてしまったけれど、こうした動きを取ってくれて嬉しい。
弊社としても、再建を目指して最善の力を尽くしていく所存にございます。
この言葉に、ああ、京アニは、再建に向けて動く気持ちがあるんだ、本当に大変だけど、ケアしながら、悼みながら、また進んでいく気持ちがあるんだ。
だったら私も負けてられないな。
そう思った。
また、事件についての声明に、警察及び報道に実名報道を控えるよう申し入れていること、少なくとも弔いが終わるまでは、名前を公開する予定はないことを追記してくれた。
正直に言えば、わたしはこれに随分救われた。
いつかくる死亡者リストを見ることが、とてつもなく、おそろしかった。
今日だろうか、明日だろうか、と毎日怯えていた。
未来に怯えて生きるのはつらい。
社員やその家族はもちろん、我々ファンのことまでも、守ってくださったのだと思う。
もちろん現実は変わらない。
変わらないし、いずれわかることではある。
けれど、しばらく時間をいただけたことを、ありがたく思う。
こんな時だけれども、社長の人柄がすばらしくて、こんな方だから、こういう会社をつくれたのだなぁと日々感じている。
私はいまだに追悼の言葉を述べることができない。
まだ、受け止めきれずにいる。
やっぱりどうしてもとてつもなく悲しい。
でも京アニさんならまた見たことのない景色を見せてくれると思うので、
いつまでも待つし、できることはなんでもしたいと思う。
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