抄子

とあるPENTAX使いの、人生に沈殿した澱部分。今は割と平和に暮らしてます。 昔の名残…

抄子

とあるPENTAX使いの、人生に沈殿した澱部分。今は割と平和に暮らしてます。 昔の名残として、花街巡りをしています。その記録も書いて行こうと思います。

最近の記事

【赤色巡りレポ⑤】 金沢・愛宕遊郭+主計茶屋街 【五遊郭の二、東廓の落し子】

前回の記事で、金沢随一の遊郭にして観光名所である、旧東廓についてご紹介した。 ※東廓についてはこちら↓ 今回は金沢の5つの遊郭の中でも、その東廓に伴って発展した2つ、愛宕遊郭と主計町について書いてみようと思う。 本当は全ての花街ごとに1記事にしていくべきなのだろうが、なんせ金沢には5つも遊郭があるし、今回の2つは東廓という母体から生まれた、いわば落し子という立ち位置が共通であるため、合わせて紹介させて頂きたい。 なお、以下は前記事でも掲載した地図だが、各遊郭の相互位置関

    • 【赤色巡りレポ④】 金沢・ひがし茶屋街 【五遊郭の一、東廓】

      東京、京都、大阪……と歴史ある元遊郭の探訪レポを紹介してきたが、次は金沢に行ってみたい。 一般的に五大遊郭といえば、江戸吉原、京都島原、大阪新町、伊勢古市、長崎丸山ではあるのだが、個人的には金沢も、遊郭の展開規模としては負けていないと感じる。 私自身が幼い頃に金沢に住んでいたこともあり、また、今でも縁があって定期的に訪れているので、親しみがある由縁もある。 金沢は石川県の地方都市だが、「加賀百万石」で有名な、経済的にも文化的にも大変繁栄したまちである。 戦時下に空襲に遭わな

      • 夏に遺した記憶の欠片〜神社と死体と木漏れ日の母

        ※ヘッダーの写真は記事内容とは直接関係はありません。 ※文中に暴力の表現を含みます。 今年もこの季節に苦しんでいる。 私は夏……というより7月から8月前半にかけての時期がとても苦手だ。 この季節の間は、外に出れば大概ひどいフラッシュバックに襲われることになる。 * 少し前に、解離についての記事を書いた。 この記事の中で、「解凍できずにそのまま置いておくことにした記憶がある」と書いたが、それがおそらく、今の季節にあった出来事なのだ。 今回はその内容について、書き留めてお

        • 【赤色巡りレポ③】 大阪・堂島新地 【曽根崎心中の舞台→北新地】

          吉原、島原ときて、江戸期の三大遊郭でいけば次は大阪・新町遊郭であろうと思われる方が多いと思うのだが、そうは行かないのが大阪大空襲。 戦後も赤線として営業した吉原や、空襲を受けなかった京都島原と違い、大阪は空襲の被害を大きく受け、また他に大きな色街が多かったこともあり、三大遊郭の3つめは綺麗に地図から消えてしまったのである(もちろんいくつか所縁の場所は遺っているが)。 そういう事情もあり、大阪でまず1番に行った赤色探訪は旧「堂島新地」。 ……ただ単に、この頃筆者が堂島新地を舞

        【赤色巡りレポ⑤】 金沢・愛宕遊郭+主計茶屋街 【五遊郭の二、東廓の落し子】

        • 【赤色巡りレポ④】 金沢・ひがし茶屋街 【五遊郭の一、東廓】

        • 夏に遺した記憶の欠片〜神社と死体と木漏れ日の母

        • 【赤色巡りレポ③】 大阪・堂島新地 【曽根崎心中の舞台→北新地】

          【赤色巡りレポ②】 京都・島原遊郭 【日本最古の花街】

          江戸吉原と並んで……なんて言ったら怒られるほど、由緒正しく伝統あるのが京都の島原遊郭。正式な名前は西新屋敷という。 その伝統の古さは、たとえば前回紹介した吉原の町名(仲之町通りや揚屋町など)や見返り柳などが、そもそも京都島原のそれらを模して配されたものであるという歴史を振り返ってもよくわかる。 ※吉原探訪の記事はこちら。 島原は日本最古の花街(最古の遊郭は奈良木辻)で、もとは室町〜桃山時代に二条に存在した花街が、六条への移転を経て、現在の地に移転させられ根付いたものだとい

          【赤色巡りレポ②】 京都・島原遊郭 【日本最古の花街】

          【赤色巡りレポ①】 東京・吉原遊郭 【日本最大の遊郭→ソープ街】

          今回から、本格的に赤色巡りを記事にしていこうと思っている。第一回目はやはり吉原にしよう。   ※探訪記公開に際しての覚え書きはこちら。 以前記事にしたような個人的な思い入れを抜きにしても、遊郭といえばやっぱり吉原。 なんといっても江戸幕府の公認遊郭(江戸吉原、京都島原、大阪新町)の1つであり、日本最大の遊郭でもあった、遊郭の代名詞とも言える場所。 最近話題の「鬼滅の刃」はもちろん、様々な漫画や小説、ドラマ、歌舞伎や浮世絵など、古今のカルチャーの題材となっている繁華街である

          【赤色巡りレポ①】 東京・吉原遊郭 【日本最大の遊郭→ソープ街】

          赤色巡りを記事にするに当って

          最近になって、これまで花街や色街跡を巡ってきた記録が相当な量になっていることに気づき、せっかくなので記事として公開したいと思い始めた。 以前記事にしたことがあるが、私は遊郭には全く個人的・一方通行な思い入れが強い。 こんな「思い入れ」は、実際に性風俗産業に関わる方からすれば笑止千万なのだろうし、私もこの10年以上、こんな垢に塗れた手で関わってもいいものだろうか、とずっと後ろめたさのようなものを抱えてきた。 だが、赤線ルポや花街巡りを扱ったネット記事などを多く読むようにな

          赤色巡りを記事にするに当って

          「解離」……感情と記憶の冷凍保存

          解離性人格障害、あるいは解離性同一性障害。 最近ではフィクションのテーマなどに多く取り上げられるテーマであり、すっかり人口に膾炙してきた名前だと言えよう。 私がこの障害を診断されたのは10年以上前、21歳の時。 記憶が飛んだり、自分の実体験に対して現実感があやふやになる症状、それに伴ううつ症状や身体機能の低下などに対して、この障害の名前を告げられた。 (私はこの呼び名が嫌いだが)まあ、いわゆる「多重人格」と呼ばれていたやつである。 この呼び名を用いると、多くの人にあっさりと

          「解離」……感情と記憶の冷凍保存

          故郷、ワラビスタンと呼ばれて

          埼玉県蕨市。小さな頃に住んでいた街である。 転勤族だった我が家は、私が幼い頃は色々な場所に移り住んだものだが、そのうち最も長く住んだのがこの場所だった。 (正確には最寄駅が蕨駅の、川口市内ではあったのだが。) 最近、何かにつけて蕨市の名前を目にすることが増えた。 主に不法滞在のクルド人の多さについて、である。 ネット上では「ワラビスタン」などと揶揄され、ニュースになるようなトラブルも頻発し、すっかりそういった「ネタ」の土地として定着してしまっている。 川口に関しても同様で、

          故郷、ワラビスタンと呼ばれて

          花街に帰りたかったあの頃は

          見てくださっている方もいるかもしれないが、最近、2015年頃から撮り溜めた花街跡巡りの写真を載せたインスタグラムをやっている。 とはいってもこの10年近くずっと続けてきたわけではなく、病的な熱意を持っていたのはせいぜい2018年頃までで、最近は旅行のついでに時折立ち寄る程度になっていた。 ここ半年ほどでその熱が再燃したのは、かんなみ新地の取り壊しに伴い現地を訪問したことがきっかけで、同時にインスタグラムを始めたためでもあったが、それが過去の自分を振り返る良い契機ともなった。

          花街に帰りたかったあの頃は

          防衛本能〜3つのFというらしい

          最近では有名になってきた話。 私が初めてカウンセリングを受けた時に聞かされて、目から鱗がたくさん落ちた話。 二十歳頃、"自律神経失調症" という雑多な括りだけ診断を下されたものの、精神薬も運動も病院通いも暖簾に腕押し、多眠も過呼吸もパニックもいっこうに治る気配もなく、息苦しさに死にたい毎日を過ごしていた私に光明が差した。 そのきっかけは、とあるカウンセラーに聞かされた、"3つのF"にまつわる話。 その内容を、整理も兼ねて、以下にまとめておこうと思う。 * 初めてのカウン

          防衛本能〜3つのFというらしい

          性被害は身近なもの

          いきなりセンシティブなタイトルで申し訳ない。 ここのところ、色々なニュースで性被害関連の話題を目にするのだが、同時にSNS上ではそれについて、「そんなに多いはずがない」といった意見もちらほら見られた。 幼い頃から性被害を多く受けていた身としては、「けっこう多いんだよ!」を声にして言いたくなったのである。 これはもちろん、注意喚起や現状周知のためでもあるが、性被害を受けている本人が「私のってもしかして性被害……?」と気づくきっかけになってくれれば、という理由が大きい。 とい

          性被害は身近なもの

          Survivor's Guiltってかっこよすぎ

          Survivor's Guiltーーサバイバーズ・ギルト。 発音だけ聞くと、メタルのタイトルにでもありそうな単語だ。直訳すると「生き残ったものの罪悪感」みたいな感じだろうか。(やっぱりメタルのタイトルみたいだ。) これは最近ではだいぶ有名になった心理学の言葉で、たとえば戦争や旅客機事故のような大事故、あるいは虐待・犯罪などで多数の人が亡くなった中、ひとりだけ生き残った生存者などが抱きがちな「私だけ生き残ってしまった」というような罪悪感を示す概念である。 前記事で小学校の時

          Survivor's Guiltってかっこよすぎ

          JRAという病気(日本中央競馬会ではない)

          表題の病名を聞いたことのある方は決して多くはないだろう。 現在では「JIA(若年性特発性関節炎)」と呼ばれているらしいこの病気(私も今調べて初めて知った)、20年ほど前は「JRA(若年性関節リウマチ)」と呼ばれていた。 難しいことはわからないが、本来菌やウイルスなど外敵と戦うはずの免疫機能がおかしくなって、間違えて人体の方を攻撃してしまう膠原病の一種で、名前の通り若年層(多くは小児)が罹る病気である。 膠原病は種類によっていろいろと出方・深刻度が異なるが、私が罹患したこの病気

          JRAという病気(日本中央競馬会ではない)

          ひと夏過ごした病院が、移転だそうで

          去年末に偶然目にした看板に、「来春、市立病院移転予定」の文字があった。 かの市立病院は、20年前、私が小6のひと夏を過ごした思い出の場所である。 最後にこの病院を利用して、もう10年ほどになるだろうか。 すっかりご無沙汰だったので、「最後に一目」意気込んで見に行ってきた。 バスを乗り継いで、病院前で下車。 坂を上って敷地に入ると、外来棟と入院棟で作られたL字型の建物の直角内側部分を、ちょうど45度に見上げるかっこうになる。 病院自体は「いかにも市立病院」といった感じの、白い

          ひと夏過ごした病院が、移転だそうで