私は日本の教員に向いてないと実感した日〜医学モデルと社会モデル〜

先日、娘の小学校のカウンセラーさんとお話ししてきました。学校でいろいろあり、担任の先生から連絡をいただき、今後の対応を考える上でも一度カウンセラーさんと話してみては?というご提案からこの場が生まれました。

結果、本当に素敵なカウンセラーさんで、お話しできて良かったーと思いました。詳しい話は個人情報なので割愛しますが、今回のお話しで心に残った内容がありました。

多様性って言われてるけど、まだそれが実践できてるのは保育園くらいで、まだまだ小学校以降は個性を大事にと言いながら集団の輪を乱す子は怒られるから、ダブルスタンダードです。娘さんみたいな子は生きづらいかもしれません。保育園では認められてたことが全部ダメって言われて、今毎日しんどいと思います。でもそれはたまたま日本の学校に今いるからで、文化によっては娘さんの性格で全く問題視されない環境もあります。学校のシステムを変えるのは難しいけど、それに馴染めないからと言って娘さんが落ち込む必要はないです。ただどうしたらこの環境でも苦しまずに生きていけるかを考えましょう。

というものです。
これを聞いて私は自分の子ども時代を思い出していました。小さい頃からずーっとマイペースと言われ続け、給食もいつも時間内に食べきれず昼休みまで食べ続けるタイプ。小学校の三者面談ではよく担任の先生に「もう少しみんなに合わせて動けるようにならないと、将来困りますよ。社会に出たら締め切りもあるし、時間通りに動かなきゃいけないんですから。」と注意を受ける。わかっちゃいるけど、どうしても間に合わない。そんな私が謎に自己肯定感が高いまま成長できたのはいつも先生の言葉を笑い飛ばしてくれる明るくておおらかな母がいてくれたからだと思います。

その後、私はたまたま中学の時にオーストラリアに行く機会を得て、お昼は自分がお腹空いたら好きな休み時間に食べていい。疲れてる時は床に寝ながら先生の話を聞いててもいいし、参加するのが辛い時は教室の後ろでPCやっても良いって環境を目の当たりにし、「日本の教育が全てじゃないじゃん!」ってあの時思えたから今があるんだと思います。もしかしたらあの時海外に出会えなかったらわたしも潰れてたかもしれません。私が今もずっと日本語教育が好きなのは、職場が多様で、言語も文化も多様で、普通が存在しないからかもしれません。だから日本の学校でも英語教育だったら多文化共生の理念を堂々と伝えられるのでいいんですけど、私は日本の教員には向かないんだろうなと今日改めて思いました。(日本への同化を求める日本語教育も大嫌いです)。日本の清潔さと安全なところは大好きなんですが、数年おきに何だか息苦しくなって海外に行きたくなるのは私のもともとののんびりした特性がこの国が求める常識に合ってないんだろうと思います。

個人が変わることが医学モデル、社会がその子に寄せていくのが社会モデル

というのを通級の先生に教えていただきました。社会モデルが浸透して、生きづらさを感じる人が少しでも減ればいいなと思います。

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