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月曜日)46年前の「夏の光」「さらば夏の光よ」 郷ひろみ&秋吉久美子「青春の哀しみ」

1976年に公開された山根成之監督

1976年度 (昭和51年)
第50回キネマ旬報賞
日本映画ベスト・テン9位 『さらば夏の光よ』(山根成之監督)
1976年度 第1回報知映画賞
主演女優賞 秋吉久美子
1976年度 第19回ブルーリボン賞
監督賞 山根成之 『さらば夏の光よ』
 親友同士が同じ女性を愛してしまったことから 味わう苦い体験を描いた青春映画遠藤 周作の小説を、人気アイドルの郷ひろみ主演で映画化。演技に深みの増した郷ひろみもさることながら、秋吉久美子が二人の男性から愛されながらも、凛として生きる女性を演じてい る。監督は山根成之。

B面が主題歌
台本、裏に郷ひろみサインがはいっている
アドリブは今では当たり前だがわざわざのおととわり

シーン1     公園駐車場(夜)
月明りに黒々と冬枯れの並木。
肩をすぼめジャンバーの襟を立て、ガムを噛み噛みやつて来る
南条宏。コーラの空瞳を見つけてボーンと蹴りあげる。小走りに追いかけてまた蹴る。サツカーのつもりか軽い身のこなしでドリブルする。ふと興覚めした顔になり空編を踏み潰す。
眼をあげる宏。駐車場にポツンととまつている一台の乗用車。何となく近づいて行く宏。ふと立ちどまり、あたりを見廻す。突然車の助手席のドアが開く。若い学生ふうの男女が中で言い争っているらしい。平岡と由美子である
ドアはバタンと閉められる。様子を窺っていた宏、そつと車に接近する。窓から覗いて見ようとする。
ガラスが曇っていてよく見えない。
前へ剣つて覗きこむ宏。その眼の前へオートアンテナがシュルシュルと伸びる。びつくりする宏。
腹をたて、ガムをペツと吐き出す。
ボンネットをバーンと叩く。
宏 「おい開けろ!」
ドアを何度も蹴とばす。
たまりかねてドアを開ける平岡。
平岡「何だこの野郎」
にやにやと覗きこむ宏。
宏 「へええ、い女じゃんか」
青ざめた顔をそむける由美子。
平岡「ふざけるな」
ドアを閉めようとする。その手を押えてひきずり出そうとする宏。
平宏 「おりなよ」
平岡「何でおりなきゃならないんだ」
宏 「お前学生だろ――」
平岡「それがどうした」
「車も女もお前にはもったいないつていつてるんだよ」
その瞬間、力いっぱいドアを開ける平岡。はずみを食ってひつくり返る宏。
車からとび出して来る平岡。
宏に躍りかいる。はね起きて応戦する宏。
宏 「くそツ」
平岡の体当り。
平岡「貴様!」
パンチが宏の顔面に炸裂する。
宏 「うツ」
シーン2デパート・屋上
家族連れで賑わっている遊園地。その片隅の小犬売場の無心にじゃれつく小犬のポーズにふつと顔をほころばせているのは宏である。目のまわりに紫色のアザがある。
階段口から現れたのは平岡。
キョロキョロしながらやって来る。
宏をみつけて近づく。
ポンと肩を叩く。
シーン2A  陽の当らないコーナー。
宏「たった二万かよ」
二万円を何度も数えて不満そうに顔をあげる宏。
傲然とタバコをふかす平岡。
平岡「文句あんのか」
宏「約束は五万だぜ」
平岡「車蹴とばして傷つけただろう。あんなことは頼んでないんだ」
宏「だつてあれは・・・・・・リアルに芝居しろつていうから・・・・・・お前だつて本気で殴ったじゃねえか。みろこのアザ――」
平岡「要らないなら返せよ」
本気で殴ったじゃねえか。みろこのアザ――」
宏 「冗談いうな。お前、俺のおかげでい思いしたんだろう?・・・・・・・・あと三万だしな」
平岡「いやだね」歩き出す。
その腕を掴む宏。
宏 「おい――」
宏の手を払いのける平岡。
平岡「のぼせんなよ」。
平岡「うちのオヤジは弁護士なんだ。てめえみたいなチンピラにたかられて
たまるか」
宏 「ふざけんな!」
眼にもとまらぬ早業で、ボデイにバンチを叩きこむ。
平岡「げツ」
身を屈める。
その顔面に鮮やかなアツパーカットを見舞う宏。
脆くもひつくり返る平岡。
驚いて振向く家族連れ。
女客が声をあげる。
係員が駆けて来る。
宏、一目散に逃げ出す。
人ごみを縫い、身のこなしも軽く脱兎のごとく駆けぬける。
やらせの喧嘩を5万円で請負、揉め事になる、こんな始まりで物語は進む
STORY
南条宏(郷ひろみ)と野呂文平(川口厚)
愛とは愛する愛される。ではない。愛することに悲劇があり、愛されることに哀しみがある。男と女の愛は不完全

キヤラクターまで書いてある台本はあまりない

南条宏と野呂文平は、アルバイト捜しで立ち寄ったハンバーガー・ショップで、美しい女店員・戸田京子を一目見た時から、二人とも心うばわれるものを感じた。しかし、この恋の競争は、行動的で調子のよい宏が、内向的で真面目な野呂をリードした。その店に宏だけが採用されたからだ。宏と野呂は性格も考え方も違うのだが、なぜかウマが合い、ひとつ年下の宏は、大学浪人の野呂の下宿に居候している。現代っ子でどこか憎めない感じの宏は、働きながら京子の心を次第に捉えていった。そんなある日、宏は京子とのデートをすっぽかしたために、野呂が代役をつとめた。生まれて初めて女の子とデートした野呂は、たちまち京子に熱をあげてしまった。そんな野呂の熱情にうたれた宏は、無器用な彼のために、デートのチャンスをつくってやったり、口説き文句を教えてやったり、京子との橋渡しを買ってでるのだった。宏を愛し始めていた京子だが、悩んだすえ、宏の行動に反発するかのように、野呂の愛を受け入れ、同棲生活に入った。二人を祝福した宏だったが、その時、初めて自分も京子を愛している事を知った。そんなある日、京子が店の支配人に犯されそうになった。怒った宏と野呂が、支配人を詰問している時、はずみで野呂が支配人に重傷を負わせてしまった。宏は、京子が野呂の子供を身ごもっており、未成年の自分の方が罪が軽いと野呂を説得し、身代りに自首した。やがて、野呂は希望の大学に合格したのだが、警察の調べで全てが明るみになり、逮捕された。釈放された宏は、生まれてくる京子の子供のためにも、獄中で喘息で苦しむ野呂のためにも、保釈金を用意しようと奔走した。だが、若い宏にとって二百万円の保釈金は手にあまり、思いあまった末、かつて幼い自分を捨てた父・藤倉に借金を申し込んだ。突然の申し出に驚いた藤倉だが、金を用意した。宏は早速保釈金を持って拘置所に行くが、野呂は喘息のために急死した後だった……。葬式の後、宏は京子に結婚して野呂の子を育てようと告げた。だが、京子は、自分が愛してたのは野呂で、子供は郷里で生む、とプロポーズを断った。そして、郷里へ帰る京子を見送った宏は、野呂が可愛がっていた十姉妹を放してやった。冬空の彼方に飛びさる小鳥に、宏は別れの微笑を送った。
ラスト前シーン109
妊娠した京子。二百万入りの封筒と新幹線で田舎へ帰る。シートにうもれてじつと窓の外を眺めている京子。
ラストシーン110
マンション・屋上
十姉妹の籠を手に持つ南條宏。
ひかり号がトンネルに吸いこまれて行くのが見える。ジュウシマツを二羽とも放つ宏。はばたきながら街へとび出して行く十姉妹。じつと眼で追う宏。
       END

シングルレコード34枚

原作は遠藤周作の「さらば夏の光よ」遠藤の小説では死ぬのは野呂ではなく南條だ。事故死してしまう。子供は南條の子供だ。野呂との結婚へて、京子は自殺してしまう。脚本もここまで変わると作品自体違うんじゃないかと思うんだが、46年前は普通に許されたちゃうんだね。
原作を読んで
京子の場合
あの人らしい金釘流の文字で、封筒に私の名を殿づけで書いてあるんです。戸田京子殿。こんな呼び方をされたのは始めてでした。舌打ちをしながら、封を切りました。夕暮で豆腐屋の ラッパの音がかすかに聞えていました。
「突然、こんな手紙で、こんなこと書くのを許して下さい。この間、おたずねした時、まだ、 南条の死から間もなかったので、どう君を慰めていいか、わからず、かえってお邪魔だけする ような結果になってしまいました。
戸田さん。今後、どういうように生きていかれるのですか。赤ちゃんを生んで、それを一人で育てるのですか。それを考えると、僕はどんなに君が大変だろうと心配でなりません。何 か、君の力になれればいいと思うのですが、どうしてよいのかもわかりません。具体的なお話 したいと思うので一度御気分のよろしい時、お話したいと考えているのですが、どうしたらよ いでしょうか」その手紙を封筒に入れなおして私は、紙屑籠に放りこみました。他人から憐憫をうけること ほど、心をたまらなくするものはありません。野呂の親切さや善意はよくわかりました。

野呂との結婚を決める京子
「京子、野呂さんと結婚しますわ」
そう私が低い声で言いきると、腕組みをした父は、顔を強張らせたまま大きくうなずきました。母はやはり女として私の気持もわかってくれたのでしょう。眼にいっぱい涙を溜めて、じっとこちらを見つめました。私は部屋に戻って思いきり声をあげて泣きましたが、涙が流れつくすと、今日からは二度と 泣くまいと自分の心に固く言いきかせました。こうして野呂と婚約しました。人生とは残酷にみちた変転をするものだとは理窟の上では知 っていました。しかし半年前、いいえ一週間前までは興味も関心もなかった男と、生涯を共に しなければならぬと私は一度も考えたことはなかったんです。興味も関心もないならまだ 良い私は野呂の人の好さを百も承知していながら、その人の好さ、善良さが耐えられなかった。

野呂の場合
その頃、彼女はぼくと一緒に住むことによって、少なくとも多少の慰めをえたのでしょうか。ぼくは少なくとも彼女のあの心の支えになっていたのでしょうか。でも今になってみると 漠とした哀しみが次第に形をとってぼくをたまらない不安に陥れるんです。先生。京子はぼくと一緒に住んだため、かえって孤独を味わったのではないのでしょうか。孤独とは一人でいることではなく、他人や群集の中にまじっている時、感ずるものではないの でしょうか。とすれば京子は、ぼくやぼくの母親の前で「幸福な妻」という演技を懸命に演ずる ことによって、その孤独を更に深めていったのではなかったのでしょうか。そう思うとぼくの胸はしめつけられるように苦しくなります。ぼくは彼女を幸福にするつもりだったのに、かえって不幸にしていったのです。 男と女との愛がこれほど矛盾しているとは 考えてもいませんでした。人間と人間との交わりは善意や愛情だけではどうにもならぬことを、これほど思い知らされたこともありませんでした。先生。ぼくは今、どこにいるとお思いですか。ぼくはまた軽井沢に来ているのです。あのMホテルの、京子が泊った部屋にいます。
野呂は南條の死を、受け入れ、愛する京子と南條の子供を愛すると決めたのだが、京子の方は、憐みを野呂から受けるのは屈辱だと感じながらも結婚してしまう。そのことが悲劇を生んでしまうのだ。愛しても愛されるとは限らないのだ。愛はしたりされたりするものではないと野呂はホテルで気づいたのではなかろうか。野呂は赦されるのだろうか。
縁結び遠藤周作という先生の場合
私はその教室、この廊下の中に南条や戸田京子、そして野呂がまだあの頃と同じように歩きまわっているような気持でじっと立っていた。なぜなら、これら三人が送った人生、それを 今、この学校にいる学生たちもやがて繰りかえすだろう。彼等のなかには、次の南条、次の京子、次の野呂がそれぞれ、「青春の哀しみ」をもって存在しているのだから・・・・・.°さらば夏の光よ。

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