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米中首脳会談@旧金山

アメリカ・バイデン大統領と中国・習近平国家主席の首脳会談が11月15日にサンフランシスコ近郊で行われます。
米中による「新冷戦」の時代になったという認識は、世界的に定着しています。それだけに、今回の首脳会談は両大国の関係がさらに冷たいものとなるのか、それとも多少なりとも暖かい風が吹くのか、大いに注目されます。

で、なんでタイトルに「旧金山」なのかと?

会談の結果が出てくるのに先立ち、少しばかり、その舞台に注目するのも悪くないかなと思ったのです。San Franciscoは中国語で「旧金山」と表記されるのが一般的です。中国の標準語である「普通話」での発音はJiùjīnshān。ほかの表記としては発音が似ているのを優先した当て字の「三藩市」や「圣弗朗西斯科」というのもありますが、「名は体を表す」でいくと「旧金山」です。
というのは、サンフランシスコはアメリカで最初にチャイナタウンが誕生した都市であり、それはゴールドラッシュと結びついているためです。


Gold Rush

ゴールドラッシュは、1848年1月、サンフランシスコから北東に170キロほど離れたカリフォルニア州の山中で金が発見されたことから始まりました。一攫千金を夢見て全米から一路カリフォルニアへと人々が押しかけます。その人の波は、アメリカ国内にとどまりませんでした。「金が出た」という知らせは、1年もたたないうちにイギリス領の香港にまで伝わります。「金山」を目指せと中国(主に現在の広東省)からも大勢の人が海を渡ったのです。そうした人々がサンフランシスコにチャイナタウンを形成しました。

金を求めて渡米したのが広東の人たちであったため、サンフランシスコのチャイナタウンはLittle Cantongとも呼ばれたとか。そして、街角や食堂で飛び交う言葉は、昔も今も、「普通話」ではなく、もっぱら広東語だそうです。

1851年にオーストラリアのメルボルンで金が発見されると、そちらが中国では「新金山」と呼ばれ、サンフランシスコは「旧金山」に落ち着きました。

中国人排斥の先頭に立ったのはアイルランド系

さて、サンフランシスコでの中国人コミュニティが拡大し続けるにつれて、白人社会との摩擦も激しくなりました。「中国人たちに職を奪われる」という危機感、あるいは人種に基づく偏見からです。これは現在のアメリカ社会で中南米から合法・不法の移民たちが流入してくることへの強い警戒感と同じ類だったのでしょう。

1867年、大規模な暴動が発生します。数百人規模の白人労働者たちが建設工事現場で働いていた中国人を襲い、さらに中国人が雇われていた紡績工場を破壊して回り、負傷者が続出。暴徒の多くはアイルランド系の労働者たちだったそうです。勤勉で、しかも自分たちより低賃金で働く中国人たちへの憎悪が募っていました。

この事態を受けて、サンフランシスコ市当局はどう対応したか。中国人たちを守ろうとはしませんでした。逆に、差別的な条例を制定したのです。天秤棒を担いで道を通ることを禁止するものや、男性囚人に断髪を義務付ける「弁髪条例」といったもの。
今の価値観では考えにくいことですが、いかんせん帝国主義の時代。人権という概念は希薄だったのでしょう。

その後も在米中国人たちの受難は続きました。しかし、近現代に入って人権意識が高まるにしたがって中国系住民への差別的な制度は撤廃されていき、サンフランシスコのチャイナタウンは今も健在です。

バイデン大統領のルーツ

ここらで話を今回の首脳会談に戻しましょう。
バイデン大統領は、アイルランド系です。

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