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虚数って本当に「偽りの数」?

高校1年生の二次方程式で突如出てくる「虚数$${i}$$」。
どんな数かと言うと、2乗するとマイナスになる数です。
つまり、

$$
i^2 = -1
$$

となる数です。

これをいきなり導入されて当時私は、「?」となりました。

当然ですよね。
二乗したらマイナスになるなんて現実世界で考えられないし、挙句の果てに「虚数」っていう名前の時点でもうウソの数のように思えますからね。

多くの高校生もこの疑問は絶対に抱くはずです。イメージできないものを受け入れろというのは無理がありますからね。

というわけでこの虚数について少し深堀していきましょう。

なぜ虚数が生まれたのか?

まず、なぜ虚数というものが生まれたのか?
これは不都合なことをなくそうという試みです。

二次方程式$${ax^2 + bx + c = 0}$$の解は以下のように表せます。

$$
x = \dfrac{-b \pm \sqrt{b^2 - 4ac}}{2a}
$$

実数の範囲では、二次方程式は重解を含め、2つの解を持ちます。
実数の範囲で考えるとこのルートの中がマイナスになることが認められませんので、その場合は解なしとなります。
しかし、もしルートの中身がマイナスになるような数の存在を認めれば、どんな場合でも2つの解をもつことになり、何かと都合がよくなります。

そんな流れで、虚数が生まれました。

。。。なんかほんとうに当てつけな感じですよね。

ですが、数、なんなら数学はそういう下地の上で成り立っているんです。

あらゆる数は方程式の解を考えることから始まる

これは虚数に限らず、無理数、有理数、負の数なども同じです。

数学は自然数(1,2,3…)という数から始まりました。ものを数えるというところがスタートです。

数は基本的にもの「数える手段」です。
物体の個数、距離、時間、お金、実態があるにない関係なく何かを数えるために使われました。

そして、当然こんな考えも生まれます。

「ある数を知りたいときはどう考えればいいんだろう?」
例えば、14人の村の食料を7日間で得るには1日平均何人分の食料を得るべきか?
もちろん答えは2です。
これを式にするならば、

$$
7日間 \times (1日に必要な食料) = 14人分\\
(1日に必要な食料 )= 2人分
$$

これはまさに方程式ですね。昔から方程式という概念はすでに存在していました。

3世紀のエジプトの数学者ディオファントスが方程式を記号化し、代数学という学問が発展しました。方程式があることで様々な数の存在が認識できます。

$$
x + 1 = 0
$$

この方程式は自然数の範囲では答えがないです。そこで、これを満たすようなxを認めることでこの方程式は常に解をもつことになります。

$$
x=-1
$$

これが負の数です。これを導入することで整数というのが生まれました。
最初は「代数学では存在するなぁ」という認識ですが、後からこの数が「基準より低い」や「戻る、逆」という意味で世界を記述できるようになりました。
実際に7世紀ごろのインドでは売上の上下、借金などでこの負の数が使われていました。

$$
3x - 2 = 0
$$

この方程式は整数の範囲では答えがないです。そこで、これを満たすようなxを認めることでこの方程式は常に解をもつことになります。

$$
x = \dfrac{2}{3}
$$

これは分数です。これを導入することで有理数というのがうまれました。
最初は「代数学では存在するなぁ」という認識ですが、後からこの数が「比率」という意味で世界を記述できるようになりました。
この数もかの有名なピタゴラスさんも認識しており、当時は「世界は整数のの比で記述できる」という教えのピタゴラス教団を設立しています。

$$
x^2 - 2 = 0
$$

この方程式は有理数の範囲では答えがないです。これを満たすようなxを認めることでこの方程式は常に解をもつことになります。

$$
x=\sqrt{2}
$$

これは平方根です。これを導入することで無理数というのがうまれ、数は実数まで広がりました。
最初は「代数学では存在するなぁ」という認識ですが、後からこの数が「無限」や「極限」という意味で世界を記述できるようになりました。
ピタゴラスさんも有名な定理$${a^2 + b^2 = c^2}$$を見つけて、これが無理数の存在を示してしまったため、ピタゴラス教団が崩壊したというのは皮肉な話ですね。

虚数も世界を記述する力がある

さて、この流れをみて何かに気づきませんか?

いずれも方程式で解がないから新しい数の存在を認め、数の概念を広げよう。そして、結果日常でも意味をもった使える概念として出てきたね。

という流れになっていませんか?

おそらく当時の人たちも最初は負の数や、無理数の存在は受け入れられなかったでしょう。教団が作られたくらいですから。
そうです。今の私たちと同じです。

最初は虚数を方程式の解といてまず出てきて、「代数学では存在るんだなぁ」と認識します。

そして、府に落ちていないのはその先の、「では日常でどう使われてるの?」がないからですね。

もちろん、この虚数のおかげで世界は支えられています。

虚数の面白いところは、数でありながらベクトル的な意味ももつというところです。

実軸と虚軸からできた複素数平面を用いると、座標を表すことができます。


実数範囲のxy平面だと、座標は(x , y)のように記述し、ベクトル$${\vec{a} = (x_1, y_1), \vec{b} = (x_2, y_2)}$$の足し算は各座標と足して、
$${\vec{a} + \vec{b} = (x_1 + x_2, y_1 + y_2)}$$となります。

しかし複素数平面は、シンプルで、座標をそのまま$${3+2i}$$と表すことができます。複素数同士の足し算、引き算も簡単で、実数同士と虚数同士を足し引きするだけです。

驚くべきは座標の回転で、xy平面だと三角関数を使って加法定理を使って。。。と非常に面倒な作業が必要です。
しかし、複素数平面だと非常に簡単になります。
複素数平面上の点を$${z = r(cos\theta + isin\theta)}$$と書き表し、ある複素数$${w = cos\alpha + isin\alpha}$$とすると、その二つを掛けたもの

$$
zw = r(\cos(\theta + \alpha) + i\sin(\theta + \alpha))
$$

これはzをαだけ回転させたものを表します。

tryit 5分でわかる!原点を中心とする回転移動(1)より

ただの掛け算で回転を表せるのは虚数の力なんですね。

そしてもっとも恩恵を受けているのが意外にも電子工学です。
特に交流回路の記述、解析がとても簡潔になることが分かっています。

交流電圧、交流電流は以下のように表せます。

$$
V = \sqrt{2}V_e\cos(\omega t + \theta_0)\\
I = \sqrt{2}I_e\cos(\omega t + \theta_0)\\
$$

ここで、この性質を崩さないように複素数を用いた記述(複素電圧)を以下のように定義してみます。

$$
\bm{V} = V_e[\cos \theta_0 + i\sin\theta_0]
$$

そしてオイラーの公式

$$
e^{i\theta} = \cos\theta + i\sin\theta
$$

を用いると

$$
\bm{V} = V_ee^{i\theta}\\
\bm{I} = I_ee^{i\theta}
$$

非常にシンプルな形になりましたね。

また解析と言えば微積ですね。計算過程は電圧を微分・積分してみると

$$
\dfrac{d}{dt}\bm{V} = i\omega\bm{V}\\
\int\bm{V}dt = \dfrac{1}{i\omega}\bm{V}
$$

非常に簡単な形になっています。
これを三角関数のままだと式が長くなったり複雑になったりと面倒になります。

こんな感じで電子工学で非常に恩恵を受けているのです。

最後に。そもそも数は「概念」

最初、虚数は偽りの数のように私たちは思っていました。
逆に、自然数や負の数、分数は目に見えていると思っています。

これは本当にそうでしょうか?

私たちは常に数字と単位がセットになった「量」として見ています。
指を折って数えるのも「1本、2本」という量を表しているにすぎません。
$${\sqrt{2}}$$は二等辺直角三角形の斜辺に現れると言ってますが、これも$${\sqrt{2} cm}$$という風に、長さという量を見ているにすぎません。

私たちは量を見たり、感じたりできても、真に数字を見ることはできません。
たとえ量 = 数としたとしても自然数は1,2,…と無数に存在する数であるが、現実世界はあらゆるモノをかき集めて、原子レベルで見ても必ず有限になってしまいます。

なので、自然数、整数、有理数というものも虚数と同じで本当はただの「イメージ」でしかないと考えると虚数も何ら特別ではないふうに思えませんか?

それでも虚数だけ神秘的に思えるのが人間の感性というものだったりするのかもしれませんね。

以上です。お疲れ様でした。


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