見出し画像

7月

海の見える部屋で、aftersunを観た。視聴するのはこれで2回目だった。
窓の外から遠く聞こえる波の音と、画面の中の水面が波打つ音が共鳴する。父親が時折覗かせた悲しげな表情が脳裏に焼きついて離れないまま、夜を迎えて朝の海を見に行っていた。
朝日が水面に映って光の道ができていた。その向こうにいけたらよかったと思う。逃避願望を抱きながら海へ近づいた。浜辺には既に遊んでいる人が複数いて、波の音に混じって誰かのはしゃぐ声が聞こえる。その姿に子どもの頃の自分を重ねた。気を抜くと浮かんできそうな父親のことを、意識して逃すようにシャッターを切った。その音に記憶を切断してもらうように、繰り返しボタンを押した。
生活していると、なんどもこれが最後の景色のような気がしてくる。車窓の窓から蝉が鳴く林を眺めるのも、遠くに広がる海を眺めるのも、今後はないような気がしてくる。でも、本当は気づいていた。自分がそうであることを心のどこかで望んでいること。永遠に続くものが途切れてしまう瞬間を恐れている。だから、いっそのこと途切れてしまってほしいと願ってしまう。諦めさせてほしい。永遠に続くかもしれないなんて期待をしたくない。
ライフセーバーの人達が砂浜に集まり始めたのを尻目に、砂浜を後にした。砂浜を踏みしめる感覚が、ここ数年はずっと靴を履いていたから薄れているけれど、でも確かに記憶と結びついて想像できた。熱い砂浜の上を飛び跳ねながら掛けていって海に足を踏み入れた夏休み、その水温の冷たさに目を細めた記憶をたぐり寄せる。もうあんな風にはしゃぐ瞬間は戻ってこないかもしれないし、もしかしたら誰かと笑っているかもしれない。そのどちらだったとしても、私はあの日々を思い出す。それだけでいいんじゃないかと思った。


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集