おなじご飯を食べること、映画、流浪の月感想

気分が落ちているし、寝られないので映画をみた。ネトフリの予告が良かったからこれを選んだ。が、いまの時期に見て大正解だった。
(ネタバレあり、垂れ流し)

1回みて好きだったシーンは、一緒にご飯を食べるところ。ハイライトのない目の彼らが、無邪気に笑うようになったシーン。声を出せない水中で最初に捕まった湖でさらさが声を出して泣くシーン。すべての生きづらい姿をみてからのラストシーン。

これは私がつねづね考えていることだけれど、人は想像の範囲外のものをたいてい自分が見たいように消費する。

私は、いつだって犯罪者側に行ってもおかしくないと自分でも思っている。自分が体験した悲しみを外に向けたら、男の人を虐殺できると思う。外力によってたまたま、犯罪をおかす環境にいる人もいる。犯罪をおかすひとに、同情や歩み寄るのにも限りがあるけれど、文が更紗をたすけた理由は絶対に優しい、守りたい気持ちがある。ラストシーンで、文の秘密を知って一緒に背負おうとするさらさの一緒に流れていけばいい、っていう発言にはあったかくなった。ただでさえ周りの想像力がない言葉で傷つきながら生きてきた2人が、お互い傷つけあうかもしれないって、未来を邪魔するかもしれないって会えない時も思い続けていて、お互いが生き甲斐になっていても消費される側にたった2人が、2人でいることを選べて本当に良かった。
昔、親が嫌いで抜け出した先で警察に捕えられたとき、親に謝れって警察の人に言われたことがある。警察の正義は嫌いだった。さらさが逃げ場のない子、と言われて大丈夫?って言われるシーン、後ろ指刺されているような目をされながら職場を辞めるシーン、無責任な言葉や考え方は刃物で、そもそもそれを自覚していない側の人たちを見ているととても歯痒かった。

さらさの幼い頃の性虐待は重なるものがあった。生きていくために男の人の恋愛するのも、性行為に対する、ちょっとすり減らす感覚。
見落としていたらだけど、食事の描写で関係性が現れているのがいい。同じものを食べるってことは、同じ経験をするということ。
アイスを一緒に食べて、目玉焼きの味付けに「引くくらい自由」って文がいうシーンも良かった。1番近い言葉ででこぼこを持っている2人が、歩み寄っていることを隠喩しているのかな、と考えた。亮の好みに合わせているときとは違う。

あと、
主演陣の目の演技が本当に良かった。怒り、不信、悲しみ、絶望した時の周りの景色全てが鉛のように重く見える感覚。
子役の女の子もよく恐怖を目で表せるな、と感じた。また観たい映画。寂しくなったら見たい映画。

2.9

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