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テレパシーの使い手

 わたしたちが普段会話や文章を書くとき、どれだけ無意識に英語変換をおこなっているだろう。
「テレパシー」ということばも、まるで日本語のように普通に使いすぎて何の違和感もない。ただ、英語の響きはその本質を包み隠してしまうような気がして、日本語で表現するとしたら。と考えてみた。適切な言葉が思う浮かばず、ウィキペディアを調べてみた。「超感覚的知覚」とか、「精神感応」とかいう言葉が表記されていた。
正に表記。であった。

そこでわたしが思いついたのは、「非言語交流」。凄いフツウ・・・・。だって、超感覚でもなく単純な精神感応でもないと思ったから。言語化するのならことばを発すればそれでよい。でも、非言語領域は脳の機能を遥か超えて認識の外にまで及ぶといっても過言ではないと思う。(以下、テレパシーを「非言語交流」という)だから当然、自分の身体と繋がっていなくて頭だけでものを考えているのではこれは使えない。

なんでそんなことを書き始めたかというと、この「非言語交流」を得意として普通に使っている人はそこいらじゅうに存在している。ってことに最近あらためて気づいたから。


「言わなくてもわかるでしょう」とはまた次元のちがうはなし


会社の近所にちょっとした和食屋さんがある。以前は会社が入っているビルの1階にあり、そこでお惣菜や、お弁当を売っていた。今は少し離れた別のビルに移転したが、20年来の常連でお弁当のない日はよくお世話になっている。

化学調味料は使わない。余計な味付けはなく、素材に愛を注いでいる店主さんの気がいっぱい感じられる。お出汁で炊いた煮物や旬のおかずを毎日たくさんショーウィンドウにならべられ、店主さんの娘さんがひとりひとり接客してくれる。とても小さなスペースなので人一人しか入れない。対面で「これとこれとこれ・・・」とおかずを選ぶ。何気ない会話を交わしながら。

娘さんは私より少し年下なのだが、「非言語交流」が超得意だと感じる。おかずがありすぎて選べないときは「おまかせするー。」と完全委任。するとお姉さんは満面の笑みで「了解ー!」と請け合ってくれる。

選んだお弁当のおかずの数々がまあそれはそれは適正チョイスなのだ。「そうそうこれ食べたかった」「この組み合わせ大好き」とか。。。自分で気づいていない欲求を目の前に、披露された感じ。そのくらい自身の事はわかってない。私用にカスタマイズされたお弁当なのだ。

娘さんは多分、わたしの顔を見て、耳を澄ませて声を聴き、なんらかの情報を非言語領域で感じ取って、胃の不調を感じてくれたりするから、ある日は消化の良いものだったり、また、力が必要ならお肉多めメニューだったりする。そして最後に、笑顔全開で「〇〇ちゃん、お仕事頑張ってきてねー。」と送り出してくれる。この気も十分にいただけると午後から本当に元気になってしまたりする。

思い起こせば、そんな「非言語交流」を得意とする人は周りに本当にたくさん居る。美容師さん然り。スーパーのレジ担当の人然り。そう思うと何故か嬉しくなる。

ことばの領域はとても狭い。言葉にした瞬間限定され、表現にもそれぞれの主観による解釈がはいってありのままを受取るのは難しい。だけど、その奥に、言語化されない無限の領域が広がっている。だから「次元のちがうはなし」なのだ。

そして「非言語交流」はおこなえばおこなうほど、その使い手となる。じぶんがそうかというと、ほぼこの領域を使っていない。といっていい。

ただ、1年半ほど前から、気功の先生と出会い、毎朝気功体操をおこなうようになってから、身体感覚というものが頭で考える所謂カラダとは全く別ものなのだということにやっと気づいた。この感覚こそ「非言語交流」の鍵だと思っている。
頭で考えるからだは、プッツリ神経が切れてしまっているので本当のからだとは繋がっていないのだ。そしてこれについては折に触れて探求していきたいと考えているのでまた別の機会にお送りしようと思います。



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