仙堺異聞
天狗にまつわる話は、多々耳にしたことがある。
昔話にも、古神道の伝説にも、よくある天狗のはなしは、人に災いを起こす。或いは天狗に助けられた。連れ去られた。などという不思議伝説が数多い。
ふと・・・。。。
天狗の顔って結局、先住民族以外の大陸や海から渡ってきた鼻の高ーい、堀の深ーい人たちを表現したら「天狗」像ができたのではないか。またはそういった人たちはそもそも歴史の表舞台からは追いやられた人として、山奥に住まざるを得ず、時として人に災いをおこす。ということにされてしまったとか。「猿田彦」ご存じでしょうか。どう見ても神に祀られる前は人間ですけど大陸に人だよね。。。
もしかしたら宇宙人👽かもしれないし。と想像は膨らむばかり。
そこで最近私の中では「平田篤胤」がとても熱い!
江戸時代の国学者、神道家、医者である篤胤が書いた、「仙境異聞」を読んで、ああ。江戸時代にも本当にぶっ飛んだ人が居たのだとこころが震えた。この書物はフィクションではなく実録なのだ。
8歳の頃から寅吉は度々老人(天狗、或いは仙人)に異世界へと連れられ、ありとあらゆる呪術や体術、修行、口伝を直接授けられ身につけた。1820年頃、その寅吉という少年が「天狗小僧」と江戸で噂となり、国学者の中でも、あれはインチキだ、本物だ。と物議を醸したが、興味をもった篤胤は、直々に寅吉から聞き取り調査を始める。驚いたことに幕府の役人から高僧や庶民にいたるあらゆる人々が話を聞きたがり、度々寅吉は招かれ、今でいう「インタビュー」を受けまくるのだ。しまいには篤胤が自分の養子として寅吉を家に住まわせ、彼から聞いたはなしをまとめあげ、「仙境異聞」の中におさめられた。
寅吉は小さなころから江戸の火事や家族の危険を予見する能力あったという。8歳の頃、上野で占卜をしていた老人に興味を持ち、何とか自分に占卜を教えて欲しいと請うたところ笑って断られる。
それでも寅吉はあきらめず、毎日通ううち、何と、占卜を終えた老人が壺の中にすうっと消えてしまうところを目撃する。
飽きずにやって来る寅吉に、または壺に消えた姿を見られたことを知ってか、老人は占卜は使いようによっては、あまりよくないものもあるからそれ以外の事ならいろいろと教えよう。と言い、寅吉を背負って、あっという間に山々を超え、気が付くと筑波山の山中に居た。山で聞いた話には親兄弟ににも、他言無用と言われていたため、家族は誰も知らなかった。
そこから数年にわたり、寅吉は、江戸と異世界(山)、時には中国の秘境へと行き来しながら、あらゆる修行や自然の理、術や儀式などの教えを受ける日が続く。
面白いのは、幼かった寅吉は夜になるとどうしても家に帰りたいと泣く。
老人は毎日、寅吉をおぶってあちらの世界で教えを説き、夜になると再び家へ送り届けてくれたという。また、昼間のうち、寅吉は○〇と遊びに行くと言っては家を空け、夜になると家に戻るが、家族の誰も仙人に連れられて異世界へと姿を消しているなどとは夢にも知らず、長時間の不在に何の疑いを抱いていないらしい。どうやら時間の流れもあちらとこちらは違うのかも。
更に面白いのは、寅吉が天狗の種類、山の妖怪、術の使い方の他、食事、祀り方、儀式の方法、薬の作り方といった日常、非日常を問わず、どんな質問に対しても驚くほどの記憶力と明瞭なことばで答える。
一方、自由奔放で、無邪気でいたずらは絶えず、すもうを始めたら延々大人に相手を迫るなど、普通のこどもと変わらず騒がしかったりする(笑)
自分の気持ちに正直で嘘や名分に騙されず、仏道は大嫌いだと言い放ったり、偉ぶる高僧に面と向かって真の徳を説いたり、仕方なく寺の修行僧となったときには予言や悩みの相談ごとで寅吉を尋ねる者が後を絶たず、住職に家に帰される始末となるなど、その顛末が笑える。
多分に民俗学の要素を含んだ「仙堺異聞」は実録だけあって、会話からその時代にどんな人間がどんな生活を送っていたのか、マスの人々がどんな宗教観や観念をもっていたのかも垣間見れる。
少なくとも、見える世界と、見えない世界の境目が現代より薄かったということは間違いないのだろう。
(つづく)