見出し画像

立ち止まっているだけのこと。

少し。行き詰まっている。と感じる。
息が詰まっているの方が分かりやすいのかな。
とにかく10月はあまり調子が上がらない。最近色々あったのもあり、謎の自己否定が始まる。普段はそこまでネガティヴになることもないのだけれど、ここ数日はなぜあの時こうしなかったのかという後悔だけが悶々と湧き上がり、何度も同じことを繰り返すなよ自分。と言った感じだ。とはいえ大したことではないのですぐに治るとは思うけれど。と同時に最近はお店がゆったりしている。7:00にオープンするのは良いものの、15:00くらいまで誰も来ない日が続く。今日は今12:40分。まだお客さんは0だ。

まあそんなことは仕方がないことで、とにかくお店に居続けていれば、誰かがお店の中に入ってきてくれることは間違いない。珈琲が売れなくても差し入れを持ってきてくれる人が来たり、おすすめの飲食店を教えてくれる人もいる。売り上げが0だとしてもお客さんは0ではない。と書いてあったのはアアルトコーヒー庄野さんの本だ。

まあとにかく寂しい。というのがようやくわかってきたというか、寂しさだけがずっと消えない気がする。それが何に対する寂しさなのかはわからないが、ポケモンを死ぬほどやっても、沢山お客さんが来ても、友達と飯を食べてもとにかくずっと寂しさだけが奥深くに眠っている気がする。むずい。

お店をやるということは、茨の道を突き進んでいるようなもので、とにかく毎日がゴワゴワしている。日々の売り上げが自分の生活を作ることになるので、売り上げがなかったら悲しい。売り上げがない。というのは毎月のお給料のようにお金が入ってこないため、とにかく厳しい現実に向かっていくことになる。家賃さえ払えれば店は続けられると始める前には言っていたけれど、家賃が払えたとしても珈琲豆も買わないといけないし、水道光熱費も支払いがある。そして自分自身が生きるために生きなければいけない。

本当にやりたいことはなんなのか。という問いにも素直に珈琲屋がやりたいと言えるかどうかはよくわからない。ただ珈琲は楽しいのでお店として生きるためにできているけれど。楽しい日々ではある。本当にそうです。マジで楽しい。自分が好きなことにお客様が対価を払ってくれて、珈琲をプレゼントする。その繰り返しになる。美味しいと言ってもらえるのはとても嬉しいことですし、何度も通ってくれる人もいます。一度だとしてもきてくれる人がいるということは、珈琲いいかげんを知ってもらえたことになるので、ちゃんとお店を続けていればまたきてくれるかもしれません。5年後にふらっと立ち寄ってくれる人がいたらそれはそれで5年間やって良かったな。こうなると思う。

まだ始まって5ヶ月目だ。来月は半年か。早すぎるね。気づいたら年を越して、2025年が始まるのか。来年も楽しみだな。少しずつ成長と止まるを繰り返しながら店は続く。後退ではないよ。あくまで止まる。止まり続けることもあるだろう。それでも一歩ずつ前へ進んでいくことができるはずなので、信じてやっていくしかない。僕には頼ることができる人が沢山いる。数えきれないほど頼ることができる人がいる。その人達が何度も来てくれるということは、僕はここでゆったりとマイペースを維持しつつも珈琲屋をやる。ということだね。

いまは止まっている時と考えてみて、
一旦深呼吸。のんびりまた再開しよう。
あ、店はいつも通りやってますので。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?