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自分の中の「生きづらさ」を言語化できた

*昨日の夜、寝る前にぐるぐる考えていたことを言語化してみる。*

私は自分が感じる「生きづらさ」的なものは、何なんだろうとずっと考えてきた。よく「自分のことは自分ではよく見えない」というが、その状態が長く続いていた。

しかし、先日寝る前にこれを頭の中で言語化できたっぽいので、ここに書いてみることにする。
(これを言葉にできる直近のきっかけは、東畑開人さんが書いた『なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない』を読んだことだと思う。)

私が日々感じている生きづらさ、というか生活していくうえで「難しい」と感じていること。
それは、言葉にすれば「他人に対して自分を働きかけること」だ。

例えば、人に対して「○○を手伝ってほしい」と自分から要求を伝えたり、人前で自分の気持ちを表したりすること。

それがなぜうまくできていない(と自分では感じる)のか。
まず、そうなるに至った経緯を整理してみると、次のように言語化することができた。

* * * * * * *

私は小さい頃、過干渉気味で「きかねぇ」(方言:気が強くて自分の我を通そうとする、キレやすい)祖母(同居)、同じくらい「きかねぇ」父、そしてそんな家庭環境をなんとか平穏に収めようとする母、この三人から影響を受けていた(と思う)。

どんな状況かというと
私が「料理を手伝ってみたい」など家事を手伝おうとすると、祖母がすかさず「お母さん(母)、○○(私)がなんかやろうとしてるよ」とか
「お母さんどごさ行ったんだ、○○にやらせて…(ブツブツ)」と言う。

私がテレビに出たおいしそうなものをふと見て「これ美味しそうだね」といった素直な感想を言おうものなら、
祖母は母に「○○が食べたそうにしてたよ」など言う。

母は、祖母から私に関するさまざまな要求や、祖母の不機嫌さを受け止める羽目になる。
その結果、母から私に対して、「~してみたい」という自発的な行動や素直な感想を言うことを祖母の前で抑制するように求められることになった。

祖母は、家族が家の中で過ごす時間が最も長い居間にいることがほとんどだった。そのため、その抑制は小さいころの私にとってほぼすべての時間におよぶこととなった。

小さいころの私にとって、母は最もほめられたい、甘えたい存在。そこで私は、母に認められたいと思い、言いつけを必死に遵守していた。
それを破ると、「おばあちゃんがいる前で手伝ったりしないで」とか「おばあちゃんがいるから、そういうこと言わないで」と制止され、怒られるからだ。
(言いつけを破ると、高確率で祖母の機嫌が悪くなり、それが父に影響したりして、空気がギスギスになる。最悪どちらもキレて悲惨な空気になることも。)

自分の「~してみたい」や「率直な想いを口にすること」を制限することが、かつての私にとって、うまく家庭環境に適応し生き抜くための方法だったんだと思う。

しかし進学するにつれて、さらには社会人になって働くようになってからは、それは環境不適応を起こす要因になっていった。

勉強していればなんとか切り抜けられる学生時代は、まだましだった。だが社会人になると、自分の意思を他者に伝えてコミュニケーションを取り、仕事をしていなかければならない。

私は学生時代も人間関係でつまづきを感じていたが、就職してからは他者とのコミュニケーションが円滑にとれないことで、大いに悩み苦しむこととなった。

* * * * * * * * *

と、ここまで自分の生きづらさが何なのか言語化できた。言葉にできれば、それを客観視できるようになり、建設的な対策がとれるようになってくる。

それは、単純に
他者に対して「~してほしい」といった、
「人に頼る」「人に協力を求める」こと
そして「自分の思いを他者に対して伝える」

これらを日々の中で少しづつ、泥臭くても意識的に練習していくことだ。

今までは、自分の中の「生きづらさ」がなんとなくでしか把握ができず、対応するすべも「目の前のことをとにかく自分で頑張る」くらししかできていなかった。

でも、上記のように言葉にできたことで、どうすればいいかがクリアに見えるようになった。

まだ、糸口が見えたばかりなので、これをどういうふうに実践していくか、最終的にどうありたいかまでは分かっていない。

けれど、以前よりは一歩、少なくとも半歩は進めてよかった、としみじみ思う。

(ここまで至るまで、10年近くかかったのでは…汗)
(泥臭くても気長に取り組み続けるのは大事ですね)
**終わり**



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