「他人の悲しみ」を消費する人たち
こういう時代だからでしょうか。涙活(るいかつ)が静かな再ブームを迎えているようです。
涙活。泣くことによって心をデトックスし、ストレス解消に繋げる活動です。玉葱を刻んで流れる涙では心のデトックスにならないので、泣けるドラマ(映画や小説など)を鑑賞する必要があります。
涙活が最初のブームを迎えた約10年前、各社が競うようにして「泣ける」系のキャッチコピーを付けていたのを覚えています。「一般受けしないので売るのが難しい」と版元さんを困らせることの多い拙著にも、同様のキャッチコピーが付けられたものです。
ただ流行りのジャンルは過当競争になりがちで、「泣かせ」を狙って書いたわけではない拙著は、すぐに市場の片隅に埋もれてしまったのですが。
┐(´д`)┌
過当競争でモノが溢れかえると選ぶほうも大変になるわけで、涙活ソムリエなる人々が登場し、選りすぐりの「絶対に泣ける作品」を紹介するようになりました。いっぽうの「涙活する人々」のハードル設定も高くなっていき、もはや『フランダースの犬』や「泣けるケータイ小説」では「満足な泣き」ができなくなっていました。
『フランダースの犬』は定番すぎて見飽きてしまったし、泣けるケータイ小説は設定や展開が極端すぎてシラケるというのが、主な原因だったそうです。
「もっと泣けるものを、もっと!」と涙活ジャンキー化していく人々に私が違和感を抱くようになったのは、次のような作品たちが「泣くための材料」として使われ始めたからでした。
作者である野坂昭如さんの実体験を基にした物語です。そういう物語が持つ「悲しさ」は、作りものではなく本物です。だからこそ涙活に最適とされるのでしょう。
次の作品も「絶対に号泣できます!」と、涙活ソムリエの多くが太鼓判を押しているのだとか。特攻隊をはじめとする戦没学生の手記(遺言)集です。
遺していく弟妹たちに親を、特に母親を託す言葉や母親への詫びをしたためたものが多く収録されています。
日航機123便墜落事故のノンフィクション本や、東日本大震災のドキュメント本までが涙活でオススメされていると、某涙活サークルの元会員さんから聞きました。
「他人の悲しみ」を自分の癒やしのために消費したり、どれだけ泣けたかでその「悲しみ」を評価したりする人は、いくら「泣ける~」な体験をしても本物の涙を持つことはなく、心がデトックスされることもないのだろうな……と思ったりします。
私は仕事として本を書いています。「他人の悲しみ」を題材にした話を書くことのある私は、上記の人たちの同類なのだと思うことがあります。「他人の悲しみ」を自分の収入源とし、その「悲しみ」の市場需要度を版元さんと分析したり評価したりするのですから。
そういう書き手はどれだけ「泣ける~」な物語のコツをつかんでも本物の涙を知ることはなく、読者さんの心をデトックスさせることもないのだろうな、と思っています。
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