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体力がもっとあったら良かったのに
■過去記事のご紹介
2024年1月1日に石川県能登半島で発生した地震から約8ヶ月。
普段は東京に住んでいる私自身も帰省のタイミングで地震を経験することとなりました。
発災から能登に行きたい気持ちがモヤモヤ、2024年8月16〜19日にかけてようやく震源地である珠洲市に赴き、現地に住む方と時間を過ごすことができました!!!!
このnoteはその現地でのありのままを金沢弁丸出しの心の声全開でnoteにまとめていく、そんな企画です・・・!
▽2024年1月1日(月)〜4日(木) 地震直後の様子(in金沢・内灘)
▽Day1:2024年8月16日(金) 珠洲市飯田町編
▽Day2:2024年8月17日(土) 珠洲市高屋町 後編
(前編だけでも内容が濃く3000字を超えてしまいました。なるべく読みやすく、ありのままをお伝えする事を心がけ筆を進めて参ります!!!)
前編はコチラ↓
高屋の海と山、住人のお姉さま方に初めて触れたところで、区長さんの家に戻ってきた。
そしたら学生さんのような女子が2人座敷で話していて・・・白熱した議論をしているではないかい・・・!
▼PM5:00頃 2人の若者の声
みやびちゃん(さっきのお姉さま方の井戸端会議の話題にもあがっていたので、この子なのね〜〜)としほちゃん(仏壇の前の布団で寝ていたピンク色の髪の毛の子)でめっちゃ元気な子たち。
夜に珠洲市飯田町の方で他の友人にヨバレているが、少々時間もあったのでみんなで雑談を始める・・・
徐々に悟る・・・ここが日本の最先端ってこと
のかと思いきや、内容は雑談のレベルではなく復興に向けたこれからのアクションや課題、自身も地震の被害を受けながらも未来に向けて動こうとする若者の逼迫した思いを聞くことになる。
元々ここ高屋にいる20〜30代はみやびちゃん・華子・高木くん(滞在中にお会いできなかったのですが、色んな方と情報連携し二次避難の道を切り開いてくれたそう)が中心で、高屋が地震直後に道路やインフラが寸断された時に孤立状態となった集落にガソリンを持っていき、石川県南部の加賀市の宿泊所に高齢の住民を二次避難する話も聞かせてもらった。
目の前にいるみやびちゃんから聞かされる被災直後(それは数週間というレベルのコミットではなく数ヶ月単位での支援)に行ったアクションを聞き、この2人が経験したことはすべからく誰の身にも降りかかる可能性のあることだと悟る。
そしてみやびちゃん、華子の話を側で聞くしほちゃん。
和歌山大学観光学部の大学院に在籍し、修論を書くために滞在しているらしい。
「こんな分野があるんです」と教えてくれた災害人類学というキーワードについて教えてくれた。
![](https://assets.st-note.com/img/1724888944175-66X7PhrIYo.jpg?width=1200)
個人の感じ方、経験したことを次のステップにどう繋げるかは、それぞれ異なり、向かう先が少しずつ違うのだろうけど、今ここで共に話すことがすごく大切だと感じた。
そして高屋でアクションを起こし続ける事だけで相当に大変だ、とも思った。
高屋はスマホがなくても色んなことが起こるし刺激に溢れている。
壊れたインフラを少しずつ自分たちで直すこと、海や山の資源を自分たちの生活に取り込むこと、相互に学び合うこと。
色んな場所に移動し、営みを続ける、それだけで時間が過ぎる。
目の前に起こることがリアル
そういえば私は高屋に行ってからあんまりスマホを見てなかった。
(現場の打合せの結果などを電話で聞く以外、それどころじゃなかった。。(笑))
そんな自分の変化もあって気づいたのは、高屋は集落全体がSNSのようだなということ。
![](https://assets.st-note.com/img/1724891154274-8GwJlIxtAY.jpg?width=1200)
車が人の家に停まっていれば良くも悪くも目立つ。
「あの人の車があそこにあるからおるんやわ!ちょっと顔出そ」って感じのノリでどんどん人が集まってきて、人間模様が繰り広げられる。(笑)
さながらここはネットではなく、道がX(旧:twitter)みたいや・・・と思ってしまうほどに(笑)
みやびちゃんが二次避難を誘導する中で感じたことを話してくれた。
「住民がただ移動すれば良いってわけじゃなくて、生態系ごと移動しないとだめだと思う」と言ったことが印象に残っている。
単なる田舎の暮らし、濃い人間関係や共同体の意識がそこにあるのだろうという荒い解像度から少し視界がくっきりした感じがした。
「そうか、だからみやびちゃんも華子もここにいるんやな〜」と。
高屋を色んな角度から語る
そんなことを目の当たりにしながら、時に巻き込まれながら、自分の生業をしながら、この現状を・この場所を、知らない人に伝えるのは難しい。
ありのままをアーカイブする
いつの間にかしほちゃんと話していてこんな面白いことが起きるところ、何らかの方法でアーカイブしていきたいね、っていう共通の思いがじんわり湧いてきたのであった。
そして各々がそれぞれの拠点に戻り高屋を一時的に離れていても、着実に高屋の美しさ、どうしようもなさも含めて経験したこと、見聞したことをnoteにしていっている。
気づいたら数時間話していたので、飯田でのおヨバレに向かうためとりあえず区長さんの家から出かけることになった。
▼PM7:00頃 友人宅・令和版ヨバレ
予期せず1日目に高専の同級生とパイセン夫婦(敬称・いししょー(以下、私は苗字で呼んでいるので、石田とここでは表記させていただきます。)とけいさん)と再会し、お家に呼んでいただいた。
そしてごめんなさい。
(めちゃくちゃ美味しいご飯と快適なお家で嬉しすぎた・・・(ヒーン))
高屋のドタバタからの安心感を感じずにはいられなかった。(笑)
こっちは完全に同窓会で、石田は嬉しすぎたのかお酒が進んで、リビングでずっこけるなど意味がわからんくらい盛り上がる(笑)
学生の頃、石田の実家に何回もお泊まりさせてもらったし、そのノリで「今日うちに泊まってけば〜」と言ってもらえて心が揺らぐ(笑)
いや、華子と高屋に帰ります・・・!!!(明日は泊めて(ヒーン))
沼田は泊めさせてもらって次の日の早朝のバスで羽咋に戻ることに。
華子には「怖いから区長さんの家の同じ部屋で寝て・・・」と頼みこむ情けなさ・・・ごめん(笑)
![](https://assets.st-note.com/img/1724917308699-52FVGroFDB.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1724918580984-SmQZaFfz23.jpg?width=1200)
多分深夜12時くらいまでずっとお家で楽しく過ごし、話は尽きなかった。。
(シンプルに言うと、”相当”話した。)
そして次の日もちゃんとお世話になりますのでお楽しみに。
沼田とお別れし(全壊となった自宅の再建のため羽咋市に移動)、華子と高屋に戻る。
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▼AM0:00頃 高屋の区長さんの家に戻る
はい、ここで終わらないのが、高屋なんです。
区長さんの家に帰ったら若者2人が引き続き議論している(笑)
(激アツなの、この2人は・・・)
なんとなく座り始めて話し込み気づいたら数時間。
▼AM3:00頃 やっと寝る準備をする
驚くことに華子は疲れているように見えなかった。(体力が桁違いなのだろう。)
そして明日の朝も近所のおっちゃんの声で起きることがありませんように。。。と考えながら(盛ってます。)、寝たか寝てないかわからない状態で再び朝を迎える・・・
次回は飯田町〜狼煙〜内浦の集落編!
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【おまけ・筆者のご紹介】
ここまで読んでいただきありがとうございます!
筆者は普段建築の設計活動を中心に色々やっております。
ですが、個人的な興味関心として、その土地ならではの暮らしや生業の記録を行うことを学生の頃から取り組んできました。
(学生に戻ったような気分で)「能登に学びにきて!」と言ってもらったので、そんな感じで楽しく面白おかしく今の能登について発信してみます。
引き続き目まぐるしい珠洲滞在の日々を振り返りつつ、明日の自分の行動に活かしていきたい!と思っているので、読み手の皆様にもぜひ楽しんでいただけると嬉しいです*
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