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書いていて良い意味で疲れる

■前回までのお話し

珠洲に行けることになった理由

高専の同級生・華子を頼って現地に行けた。
10年ぶりの同級生である華子とたくさんゆっくり話したかったけど、その余裕がないくらい4日間珠洲で色々な人たちと出会うことが出来た。
話したこと、一緒にやったこと、思い出す限り書いてみようと思う。

(珠洲に行くまでの経緯はこちら!!)

2024年8月15日(木)

ちょうどお盆に合わせてなるべく長く時間を取るつもりで約1ヶ月前から予定を決めていた。
15日の夕方に金沢着。祖母宅に一瞬挨拶し、祖父の墓参り。夜は幼馴染と2人のお子さま、幼馴染母、従兄弟などが会いに来てくれてお盆感満載。
(面白いんやけど、変わるがわる色んな人と話散らかす。だから実家に帰るのはエネルギーがいるんです・・・!!!!!

2024年8月16日(金)

16日は買い出しに行き、珠洲での滞在はどのくらいのものが必要になるか見当もつかなかったので、母がシャカリキになり荷造りをする
(長靴と捨ててもいい靴、普通の靴、サンダルとか靴だけで4足。死ぬほど重いんやけど・・・。冷凍の昆布締め持っていくか?と聞かれるが、「ナマモノはいらんやろ」とか色々
午後14時すぎに金沢方面から奥能登まで行く大型バス(輪島までなら1日に数本、珠洲は1日一便しかない。。。)に乗った。実家近くの医科大のバス停から高速バスが出る。
(ちなみに医科大めっちゃ進化しとって驚き。能登方面からの患者さんの受け入れ拠点なんやな・・・とか分からないなりに思う。)

今回珠洲に行けるにあたって、もう1人声をかけた友人・沼田(VUILD株式会社所属/彼女も高専の同級生であります)も途中のSAから合流した。
彼女の羽咋の実家も被災して、この8ヶ月ほど再建計画を実現するために活動中。
実家だけでなく、発災直後からずっと現地でアクションを起こし続けその中心人物となっている。

↑10月〜12月からnestingで再建するとのこと!!!
再建の手伝いをこれから募集するらしいので興味ある方はDMしてみてね。

【おまけ・2024年5月某日の写真】
つんちくん(こやつも高専同期)の吉祥寺にある素敵ハウスで
新・沼田家のプランなどについて色々話したりする。ど平日にはらドーナッツ買って・・・楽しげ

バスで合流し、前の席の怖面のおじさんに怒られまいと小さい声で話しながら(新・沼田家の近況諸々。着工前なんに一緒に来てくれた。感謝)とりあえず乗り継ぎののと里山空港まで向かう。

黒い塊よ

記憶が曖昧やけど、のと里山街道で七尾の手前くらいまで行ったかな、そこから下道。バスでは走行が難しいとか。
途中幼馴染母の実家近くの中島駅前など通り、ようやく空港へ。
空港からは普通のバスで珠洲市内に向かう。

@numada
こんなローカルなバスしか珠洲に行く方法ないんかい
能登町らへんかな。海きれいすぎて動揺。
そして地元のおっちゃんたち
帽子に書いてある文字 <安全は船と心の整備から> にもグッとくる
めっちゃ田んぼやってある

ローカルバスで内浦をぐねぐねと走りまくり、里山里海の様相に逐一驚く。確かにローカルバスに乗ってからは、レジャーシートに覆われた屋根とか壁の家は増えたけど、里山里海の様子は見た感じ昔来た時とあんまり変わってない。
私の中での被災地のイメージとちょっと違うなと思った瞬間で、人間が活動している様子が風景の中にちゃんとあるやんけ・・・と。
(真っ先に福島県大熊町のことが頭に浮かんだ。当たり前に状況は全く違うけど。人がいる、出入りしていることに安堵。)

「ヨバレ」る

バスは酔いそうになりながらも、無事珠洲市役所前に到着。
華子とも合流でき、実家のお手洗いなどをお借りする。
場所は珠洲市飯田町という珠洲の中の都会。
通りに行ったら曳山が出ていて、人がわらわら。
すごいすごい!と見ていたら、「車に積んだ寿司を家の中に入れてくれ!」とのご要望を受けて、気づいたら人の家の台所で作業することに(笑)

青木おばあちゃんのきゃらぶきに感動。
細切りの昆布と山椒が効いてオリジナリティを感じる。
美味。
華子がめっちゃ笑ってます。
いきなりおじさまたちに座れ座れと言われる(笑)
きゃらぶきを食べながら色々話す。
旅館とか集会所じゃなくて人ん家!!
玄関入ってすぐ座敷がある。

おじさまたちとはちょこちょこと生活の再建に関する話もしていたような。
とにかくみんなにぎやかしい。
座敷は二つあって建具で繋がっとる。
玄関近くの手前の座敷は若者(高校生たち)、over30は奥のおじさまゾーンに(笑)

その後、まさかの展開で高専の同級生&先輩夫婦が現れる。
「え?最後にあったの8年前、秋葉原の居酒屋やよね?(笑)」って感じで。

玄関の大きさが普通の家の大きさじゃない。

5年前に横浜から珠洲にUターンしたらしい。
そして次の日まさかの2人の家におヨバレするという・・・

ヨバレ:招待風習の意。各家庭で親戚や知人、仕事でお世話になっている人などを招いて、この日のために特別に用意した祭り料理「ごっつぉ(ご馳走)」でもてなすこと。

「能登のキリコ祭り」より抜粋

座敷でわちゃわちゃも意外とそんなに長時間ではなく、1時間も経たずに曳山を引き出した。
海とつながる通りをゆっくり山のほうに向かって、「ヤッサーヤッサー」と掛け声を永遠に言う。そして変わるがわる老若男女が歌う。

(地元の新聞社によるニュース記事にも↓)

約50年ぶりに新調したいみたい。工芸品。
右側のところから上に上がれる仕組み。
子供に混じって上がらせてもらう
もれなくこの回し飲みスタイルで飲まされる
シンプルに曳山引っ張って練り歩く
みんなお互いの様子とか子供たちの成長とか
元気なのか確認しとるような感じ
ちょっと山の方行くと倒壊した家屋が

この日は21時前にお祭り終了。華子の住む高屋に、沼田と私を含めた3人で車で向かう。

区長さんのお家へ

飯田町は内浦で、高屋は外浦。飯田から約30分で着く。
発災時この赤線のところが途中土砂崩れで寸断され内浦からのアクセスができなかったらしい。
後々華子から土砂で崩れた山を自転車抱えて高屋にガソリン持っていく話を聞かせてもらう。。
(↑信じ難い話)

高屋に着いた時には外は真っ暗で多分海の目の前の民家だろうの認識で伺う。
座敷に上がってびっくり、仏壇の前に敷き布団とTOEICの本が散らかっている。(笑)
誰かここで寝泊まりしているらしい。
とりあえず3人で座敷で冷蔵庫にある豆腐と納豆を食べつつ色々話す。

寝る時は華子は7月から入り始めた仮設住宅に戻り、私は沼田と同じ部屋で座敷の横の本棚がある部屋にベッドが二つあるのでそこで寝た。
どうしても気になったのは区長さんのお家は玄関からいきなり地域の人が突然入ってくること(笑)
(翌朝近所のおっちゃんが「男手はおらんか〜〜〜」って、急に入ってきてびっくり。何もわからんけど「男手はいませ〜〜ん!!!」って言っておいた。
地域の人同士で人ん家の中にズンズン入っていくのが当たり前の感じ
この日寝付けたのは多分夜中の3時くらい。
途中4時くらいに先約の子が帰ってきてあの仏壇の前の布団に入って行ったのを見て「よかった〜女の子や〜」って思ったりして(笑)
寝たか寝てないんかわからんまま、朝を迎える。

次回高屋での日中編!

【おまけ・筆者のご紹介】

ここまで読んでいただきありがとうございます!

筆者は普段建築の設計活動を中心に色々やっております。

ですが、個人的な興味関心として、その土地ならではの暮らしや生業の記録を行うことを学生の頃から取り組んできました。

(学生に戻ったような気分で)「能登に学びにきて!」と言ってもらったので、そんな感じで楽しく面白おかしく今の能登について発信してみます。

引き続き目まぐるしい珠洲滞在の日々を振り返りつつ、明日の自分の行動に活かしていきたい!と思っているので、読み手の皆様にもぜひ楽しんでいただけると嬉しいです*

instagram中心にストーリーズで活動の近況をお知らせをしておりますのでぜひぜひ覗いてみてください〜〜〜!



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