25回:Double "Darling" Woman vol.2
4.連絡とか
メールというのはどうにも慣れない。顔見知り以上友人未満の状況下では言葉選びに慎重になりすぎる。リスクヘッジに越したことはないが、そもそも危険性を感じる時点で良い人間関係に発展するとも思えなくなってくる。
「今度お暇な時にどこかお出かけてしませんか?」下書きその一。未だにドラフトフォルダに残っている。
「今度一緒にお茶しませんか?」結局は素っ気ない文面に落ち着いた。これに「この間はどうも」とか適当な肉付けをする。送信マークに触れると紙ヒコーキがどこかに飛んでいった。瞬時にどこかしらのサーバーを経由して、相手方に届いてしまう。差し戻しは滅多にない。
「いいですよ。いつにしますか?」10分後、更にシンプルな返事が来た。
「お返事ありがとう」日時などを書き込み、こちらも10分要して送り返す。
そして私たちは大学から程近い喫茶店で向かい合いながら紅茶とコーヒーを飲んでいる。お互いに砂糖もミルクも足さずにチビチビと飲んでいる。半分飲むまでにわかったこととしてナナカさんも同じ大学に通っていたらしい、年齢は二つ上、出身は隣町、これぐらいだろうか、目ぼしい情報は。
「就職活動は順調?」ナナカさんが私の顔を見て、しかし目は合わさずに訊いてきた。
「順調とは言い難いです」
「なんか悪いことしちゃったね」しかし悪気はまったくない口振り。
「いえ、元々熱心な就活生ではなかったですし」これは本心。特に希望の職種もない。説明会も冷やかしと大差ない。
「そう。なんとなく就活してた感じ?」
「まぁ、少なくとも人生を賭けるとか情熱を注ぐとかそういう感じではないです」
「なにに対してなら熱心になれるの?」
「うーん、なんだろう」カップを口元に運んで一息置いく。
「生き抜くことかなぁ。生きることに熱心じゃないと生き抜けないし」
「面白い人ね」ナナカさんの発した「面白い」が肯定なのか蔑みなのかこの時はわからなかった。
「ありがとうございます。初めて言われました」そもそも自分がなにに熱心かなんて訊かれたことがなかった。
「それじゃあ卒業後は具体的にどう生き抜くの?」
「具体的なことはあんまり気にしなくて。季節でもなんでも食い扶持は確保してやる、っていう気概だけはあるんですけど」
「どう生きるかは重要じゃないんだ」
「どう生きるか、ですか」
難しい質問だ。私は、ただ生きていたい。なにが幸せでなにが不幸なのかもイマイチよくわからないし。だから「生き抜く」ことが最優先になるのだが、どうにもこの考えは伝わりにくい。とかく世間は具体的な目的や手段、あるいは嗜好なんかを聞きがちだけれど意味がわからない。
「なるべく豊かに生きたいですね」とりあえず答えてみた。
「誰だってそうよ」ナナカさんがどこまで汲んでくれたかはわからないがそれ以上はなにも訊いてこなかった。その後は大した話題もなく飲み物は平らげられて、お勘定も済ませた。
「海でも行かない?」店を出たところでナナカさんが言った。
5.ドライブとか
私たちは南に向かった。運転はナナカさんで私は灰色の軽4の助手席に座り、ナビも出来ないので世間話をし続けた。いや、正確には世間話が出来ないことを話題にしていた。
「やっぱり面白いわよね」
「そうでしょうか」ここに来てこの「面白い」には僅かな棘があることに気付いた。21にもなって世間話もロクにできない人間は、珍しいのだろう。
「だってほとんど初対面の人間と話すことなんて普通なにもないじゃないですか」
「そうね。けど私には会話をしようと頑張るのね」
「こっちから誘いましたから」
整然とした車内にはやはりきちんと纏められたCDが数十枚置いてあった。このドライブでは五輪真弓のアルバム『うつろな愛』が流れている。
「そういえばあの会社のパワハラとかセクハラって」
「新人を追い込んで、入ったばかりなんだから何もわからなくて当たり前なのに。そこで弱ったところに上役がセクハラを重ねて。自殺未遂したところで事情が明るみになって。まだ何も解決していないのに、のうのうと会社説明会にブースを出すなんて、どういうつもりなのかしらね」何時になく饒舌だった。細やかな批判や悪口めいたものが次々と発せられる。
「説明受けてる人結構いましたよ」
「哀しいけどそれも現実なのよね。その会社を潰すのが目的ではないし。どういうつもりかはわからないけど、そういう会社でも働きたいっていう人を止める権利は誰にもない」
「食べなきゃいけませんからね。けど食べるために働くのに死んだら元も子もないけどなぁ」
「本当、面白いわね」今度は少し感心めいた口調だった。
「ナナカさんはどうやって食べてるんですか?」
「バイトとか」
私は思わず笑ってしまった。失礼な話だが。
「どんなバイトですか」
「昼の仕事もあれば夜の仕事も」
「逞しいですね」
「どこが」
「昼夜問わず働くのが」ナナカさんは面白いとは言わずに呆れた、という顔をしていた。
車は国道329号線を下りきって、331号線に切り替わった。交通量が減り、緑が増える。クバ笠を被った年寄りが漕ぐ空き缶満載の自転車を追い越す。
「そろそろね」
「そうですね」
左にウィンカーを出しながら車は減速していく。
6.浜辺とか
夕暮れでもビーチは夏だった。もう少し早く着いていたら汗まみれになったに違いない。砂はほんのり湿気を孕んで、海は陽の赤を受けて紫がかっている。私は裸足になる。私たちはゆっくりとビーチを歩く。足の裏に砂の細やかな感触が伝わる。私だけ少しずつ波打ち際に近づいていく。
「タオル、ないわよ」ナナカさんがつぶやく。
「そんなこと気にしないでこっち歩きましょうよ」
「人の車だと思って」そう言いつつもナナカさんも降りてくる。
「ああ、こういう時に草履が無いのが悔しい」
「小学生みたいにはしゃぐのね」
「小学校の頃とか海に来た事自体無いから、それで」
「海が嫌いだったの?」
「そういうわけじゃ。来る習慣がなくて」
「私も頻繁には来ないけれど」
ビーチには私たち以外には釣りをする中学生ぐらいしかいなかった。私たちは浜辺に不似合いな格好でうろついていた。ここへは本来短パンのジャージやジーパンで来なければならない。ろうけつ染めのボトムスも花柄のシャツも何故か観光客っぽく思えた。
「この後どうします。もしかしてバイトですか?」
「今日は休み、っていうかいまは夜のバイトはしてない」
「じゃあ長居しましょうよ」
「あと1時間」ナナカさんは時計を見ながら答えた。
「せっかく南部まで来たのに」
「帰って読みたい本があるのよ」
読書は大事だ。仕方がない。この調子なら次の機会もあるだろう。無いならないでも構わない。私はくるぶしまで海に浸かって沖を見る。
「あっ、久高島」
「リーコさん、目が良いのね」
「小さい頃から遠くばかり見てましたから」
「島から出たい?」
「たまには」
「そりゃ、誰だってたまには出たくなるわよ」
「ナナカさんは?」
「近いうちに。大学院」
「へぇ、すごい」
私たちは既に膝まで浸かって、太陽に至ってはてっぺんまで沈んでいた。
↓次回↓
7.始まりとか
帰りの車内、カーステレオはアルバム最後の曲『浜辺』から始まった。
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