33回:Double "Darling" Woman vol.3
7.始まりとか
足の裏に付いた砂を落とす。車に乗る前に靴の裏の砂も落とす。水気を含んだ砂がアスファルトに小さなこぶを作る。
「普通に帰るけど、いい?」運転席のナナカさんの問いに私は「うん」と答えた。「はい」と違って「うん」なんてそうそう使わない。親にだって言った記憶がない。
「他の曲聴かない?」
帰りの車内、カーステレオはアルバム最後の曲『浜辺』から始まっていた。私はダッシュボードの中に収まっているCDの束を物色する。
「『Street Story』、ナナカさんHYとか聴くんですね」
「兄の」
「なるほど」
一体何が「なるほど」なのか自分でもよくわからないが、そう言ってCDをしまった。『うつろな愛』は最初に戻る。
陽の沈みきった国道329号線は対向車もまばらで、窓を数センチ開けるとぬるい風と虫の鳴き声というか叫び声みたいなものが聞こえてくる。与那原の交差点に差し掛かったところでダッシュボードの上に置いてあるナナカさんのスマホが光った。
「あっ、取ってみて」
言われるままに手にしたスマホには「金城ユズカ」と表示されている。
「金城ユズカさんからです」
「じゃあ出て」
またしても言われるままに「応答」の部分を人差し指で押す。ついでに「スピーカー」も。
「もしもし、ナナカ?いまどこ?大至急来てほしいんだけど」弱々しい声がスピーカーで拡張されて虫の声をかき消す。
「なんかヤバそうですけど」私はナナカさんの耳元でささやく。
「聞こえてる」ナナカさんは吐き捨てるように言った。私に対してか電話に向かってかはわからないが。
「何か必要なものはある?」
「水とゼリー」
「わかった。切るわよ。切って」
私は言われるままに電話を切った。車は心なしか速度が上がった気がした。それ以上に鼓動は速まっていた。嫌な予感もした。今日の余韻をぶち壊してしまいそうな。
「誰ですか?金城ユズカさんって」
「困ったお姫様よ」
車は途中で与那原のサンエーに寄った後はひたすら北上していった。ユズカは宜野湾に住んでいた。字は志真志で近くに大学があるから安いアパートも多い。329号線から入り組んだ坂道を抜けて、コンクリート打ちっ放しのこじんまりとしたアパートに着いた。
「ごめんね、変なことに付き合わせちゃって」車を降りる前にナナカさんは何故か謝った。
「別に構いませんよ。今日暇ですし」私たちはアパートの錆びた手すりを掴みながら階を上がる。205号室。表札はなく、郵便桶にも特にチラシが詰まっている訳でもない。変哲もない鉄の扉。
ナナカさんはチャイムを押す。薄っすらと鈴の音が扉の向こうから聞こえる。もう一度鳴らす。反応はない。軽くノックする。やはり音沙汰はない。ナナカさんはドアノブに手を掛け、ゆっくりと回す。施錠はされていなかった。
「入るわよ」ナナカさんはそう言って自分の部屋のように上がり込む。
「お邪魔します」私も続く。
薄暗い部屋だった。目を凝らすと女が横たわっているのが見えた。ナナカさんはその女をぞんざいに擦っている。「あぁ」とか「うぅ」とか力ない唸りが部屋に浮かんでは消える。
「そこにある照明つけて」私は命ぜられるままに照明のスイッチを探す。雑然としていた。薄暗くともわかるレベルで。携帯のランプを頼りになんとか花を模した照明を点けることが出来た。赤い光が部屋に広がる。雑然、というか自分は今あまり趣味の合わない空間にいる。黒と赤を基調にして、小物とか何やらが部屋中所狭しと並んでいる。その真ん中に横たわっている女は上裸だった。胸の下に黒い蝶が彫られていて、二の腕には切り傷が目立つ。私は失礼ながらため息をついてしまった。
「スプーン取って」ナナカさんは背中を向けたまま私に命ずる。早速ゼリー食べるのかよ、と思いつつ生活感が隠しきれない台所を探す。その台所のシンクには吐瀉物がぶちまけられていた。赤黒いが血ではない。「色々と大げさだな」と私は不謹慎にも思ってしまった。表情に出ないように顔を必死で強張らせる。引き出しから銀のスプーンを抜き出して、女の顔の前に差し出す。ナナカと女、2人揃ってキョトンとした表情で私を見てきた。
「大丈夫ですか?」私の声にはこれっぽっちも他人を案じるような感じがない。
毛布に包まれた不健康そうな女が震えながらゼリーを食べている。それをソファに腰掛けながら見ている。ナナカは女の横で「今日は何があったの?ユズカ」と甲斐甲斐しく接している。「ああ、やっぱりこの女がさっきの金城ユズカで間違いないんだ」と納得する。困った姫というより壊れた姫という感じがする。内装も本棚の中身も、耽美だか破滅願望だか知らないがそれっぽいものに満たされていた。何を食べればこういう趣味になるのか少しだけ好奇心がそそられた。おそらく私がゼリーばっかり食べてもこうはなるまい。
「リーコです。よろしく、ユズカさん」私は立ち上がって食べ終わったユズカに握手を求めた。ユズカは私をただ見つめるだけだった。
「よろしく、ユズカさん」私は厭味ったらしく続ける。骨ばった手がようやく毛布から出てきた。ナナカさんはその過程を黙ってみていた。きっとこれからナナカさんが予想した以上に面倒なことが起こる。私は必要以上に強く手を握った。
ユズカの場合
1.素晴らしき家庭
ユズカのお父さんは教員で、お母さんも元教員だった。これだけでも分かる通り両親ともに信じられないぐらい真面目で、というか世間の指し示す規範に対して恐ろしく忠実で、物心ついた時から息苦しさを既に感じていた。習い事は3歳から始まった。ピアノ、スイミングスクール、バレエ、習字、英会話、一通り習ってはそのどれも長続きしなかった。お母さんの熱意に対してユズカはほとんど応えられなかった。お母さんの懸命さに若干引くところさえあった。もともと内地の人で単身沖縄に嫁いできたから不安とか凄かったのかもしれないけどユズカのために自作の教科書作って平仮名の練習させたり、幼稚園で既にABCを覚えさせたりその労力たるや。そんなお母さんだから近所の例えばチーちゃんなんかと遊んで自分が沖縄の言葉を覚えて帰ってくるとそれは苦々しい顔をした。そうなるとお母さんは手こそ上げなかったけど高圧的になって「正しい言葉遣い」をユズカに仕込もうとするのだった。幼稚園児に、ムキになって。
当時、お母さんとお父さんの仲もあまり良くなかったし、ユズカもお母さんも時折2人して泣いていた。お父さんも決して悪い人ではないんだ。仕事熱心でいつも遅くまで学校に残って、悪童どもの面倒まで見て、むしろ周囲の人間から尊敬さえされていたと思う。
だから金城家は傍から見れば色々と「恵まれた」家らしくチーちゃんに「いいよね、お金持ちで」と言われたのは今でも記憶に残っている。「そんなことないよ」これはいつからか口癖になっていた。今でもよく使う。
「チーちゃんに褒められたよ」とお母さんに報告すると笑われた。上手く言えないけれど悲しみを含んだ笑いだった。この悲しみいたいなものを取り除いてあげたいと、せめてもの親孝行をしたかった。
とりあえず小学校に入ったら勉強は頑張った。九九の覚えも早かったし、住所もすぐに漢字で書けるようになった。お母さん元教員というだけわからないことを訊くと嬉々として教えれくれた。その時の生き生きとした表情や声色にずっと触れていたかった。
けどユズカは根が器用には出来ていないから徐々に単なる「頑張り」だけではどうしようもなくなってしまった。そりゃあ九九ならなんとかなるよ、けど分数なんて、画数10以上の字なんて、ユズカのちょっとした努力ではどうしようもなかった。
悲しい顔をされるぐらいなら殴られたほうがマシだと思った。他人の感情機微なんて難しいもの、ユズカには到底わかりやしない。もっと単純に喜んだり、仲良くなったりする関係だけがユズカに必要なものだった。必要なものはいつだって手に入らないもののことを指すんだ。
↓次回↓
2.色のない教室
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