自由獲得の努力の成果としての基本的人権【憲法学】
基本的人権のあらましについて、義務教育で習う内容は非常に限られている。そのため勘違いや混乱がよくみられる。
本記事では基本的な理解を書いておく。
1 基本的人権
基本的人権の思想は、一つの世界観である。
基本的人権は、
・人間が生まれながらにして平等に有する。
・時代と場所を問わない普遍的権利である。
これは自然権の思想と一致する。基本的人権とは自然権であり、国家に承認されるまでもなく存在する。そういう世界観なのである。
基本的人権=自然権の思想を受けいれることは、現実にそれが守られていると受けいれることではない。周知の通り、基本的人権は、全体主義・軍国主義・神権主義・ファシズムなどによって、常に脅かされてきたし、今後もそうである。しかし、この思想があるからこそ、古今東西の現実は、〈基本的人権が侵害されてきたもの〉として捉え返される。
基本的人権は観念上の存在に留まる限りでは法としての効力はない。しかし実定法に組み込まれる場合もある。
日本国憲法は、基本的人権の思想を取り入れた実定法である。1947年5月3日に施行されて以降、日本の領域内において現実に法的効力を有する。
日本国憲法の基底に基本的人権の思想があることは第11条からも窺える。
基本的人権は前国家的な権利であるから、それに由来する憲法上の権利は日本国民ではない者にも認められる。最高裁判所も、次のように述べ、不法入国者も実定法としての権利を有するとしている。
用語の混乱と「基本権」の導入
基本的人権と言う場合に、〈自然権としての基本的人権〉を指すのか、それが日本国憲法に組み込まれた結果の〈実定法化された基本的人権〉を指すのかわかりにくくては不便である。よって、用語を使い分けることがある。例えば実定法に取り込まれた基本的人権を「基本権」と呼ぶ場合がある。
2 由来
日本国憲法の「第十章 最高法規」には、憲法が保障する基本的人権の由来について規定がある。この条文は、憲法が最高法規に値することの実質的な根拠ともされている。
先に見た11条の後段と内容の重複がみられるが、ここにはGHQとのちょっとしたごたごたがあったらしい。
それはともかく、97条の中には、基本的人権は「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」とある。ここでいう努力は基本的に西欧人の努力をさす。
世界史的に有名な「自由獲得の努力の成果」としては、イギリスのマグナ・カルタ(1215年)、権利請願(1628年)、人身保護法(1679年)、権利章典(1689年)などがある。とはいえ、これらは封建領主の対君主的な自由、イギリス人のイギリス法における自由を保障するものに過ぎない。一所懸命に勝ち取られたものだが、既得権的自由だった。
「人間が生まれながらに有する基本的人権」が登場するものの中では、ヴァージニアの権利章典(1776年6月)、アメリカ独立宣言(1776年7月)、人および市民の権利の宣言(1789年)が特に重要である。
ヴァージニアの権利章典(1776年6月)
アメリカはイギリスの植民地であったが、本国による圧制への不満が高まり人々は独立を決意する。独立戦争が進行する中、ヴァージニアは他の植民地に先駆けて権利章典を発布する。
起草にあたっては本国イギリスの「権利請願」「権利章典」が意識されていた。しかしこちらでは、すべての人に対して、生来の自由と権利が肯定されている。
アメリカ独立宣言(1776年7月)
ヴァージニアの権利章典に引き続き、アメリカ独立宣言が全国に公表される。
すべての人の生命・自由および幸福追求の権利が肯定され、政府はこれらの権利のために組織されていると説明される。
人および市民の権利の宣言(フランス人権宣言)(1789年)
フランス人の中には、アメリカ独立戦争に関心をもち、義勇兵に参加する者もいた。アメリカ独立宣言はフランスに持ち帰られ人々を魅了する。
その影響もありつつ、フランス革命勃発直後には「人および市民の権利の宣言(フランス人権宣言)」が国民議会により制定された。
人は生まれながらにして平等な自由・権利をもつこと、この権利は消滅しないこと、権利を保全するために政府があることを宣言している。
もちろん、こうした人権宣言の字面通りにことは運ばない。その後の努力も含めて、基本的人権は戦い取られてきた。
日本国憲法は、こうした自由・権利獲得の系譜に連なる決意を表明している。基本的人権は権利を戦いとった先人たちから「信託されたもの」である。
以上が97条の趣旨だが、なかなか含蓄深い規定である。ここでは書き残した論点に触れておく。
① 前述の通り自由と権利獲得の成果をあげてきたのは主に西洋人である。しかし、「人が生まれながらに平等に有する権利」を支持する立場からすれば、人種・民族・国籍はもとより問題ではない。なすべき闘いをしてきた人々から、後継の人々へと権利が託されたのである。
② 97条の「信託」という言葉にはキリスト教的ニュアンスがみえる。だが、日本国憲法は自然権としての基本的人権は取り込んでいるが、キリスト教に依拠しているわけではない。
③ 一口に自由と権利を獲得してきたといっても、戦いの歴史の中では一元化できないさまざまな思想が登場してきた。戦い取られた権利の内容や根拠は自明ではない。この点は解釈史に開かれている。
3 公務員・国民・憲法の敵
3-1 公務員に対する憲法尊重擁護義務
憲法99条は、公務員の憲法尊重擁護義務を規定する。
つまり公務員は基本的人権をも尊重しなければならない。
条文中に国民がいないことは重要である。原則的に憲法は公務員を縛るものであって、国民を縛るものではない。憲法は権利ばかり規定してけしからんという者もいるが、誰もが知っている通り、国民は法律で存分に縛られるので問題はない。国民を縛る公務員を、憲法が縛っている。
憲法99条の話に戻る。
内閣や国会議員に対しては、政治的責任追及の場合によく持ち出される条文である。倫理的な意味をもつにとどまるので、人々がそんなものはどうでもいいと考えれば、政治的な効力を発揮することはできない。
人事官については法的効力をもつ場合がある。
国家公務員法によれば、人事官には宣誓・服務義務があり、その宣誓の内容には日本国憲法への服従・擁護義務が含まれる。
国民には思想・良心の自由(憲法第19条)があるわけだが、公務員には憲法尊重擁護義務があるためにこうした「宣誓義務」が許容・要請されている。
また、職務上の義務違反は、懲戒原因にもなりうる。
一般職員や地方公務員にも同様の規定がある(それぞれ国家公務員法97条、地方公務員法31条)。
裁判官については、裁判官弾劾法2条の「職務上の義務」の一つとして憲法尊重擁護義務があると解釈できる。
3-2 国民に対する倫理指針規定
国民に憲法尊重擁護義務はないはずだが、憲法12条では、自由と権利につき、国民の責任に言及している。
これは倫理指針を示している。
抑圧と闘わず、眠っているだけでは自由と権利を保持することはできない。国民には権利のために闘争する道義的責任がある。
また、自由や人権を濫用し、公共の福祉を害するようではならない。むしろ自由は公共の福祉を促進するように用いるべきである。
しかしこの規定を倫理指針以上のものと解釈すると、憲法による権利保障は骨抜きにされてしまう。法的義務ととるのは妥当ではないとされる。
3-3 「自由の敵」「憲法の敵」の人権
国民に憲法尊重擁護義務がないとする日本国憲法のやり方は当然の摂理ではない。ドイツ憲法の場合は、国民にも憲法忠誠義務が課されている。
その種の規定は複数みられるが、特に印象的なのは第18条。憲法的秩序に敵対するために自由を濫用するものは、基本権を喪失する。
また、21条2項も重要で、憲法秩序を侵害するような政党は違憲とされる。
自由と権利の敵に、憲法秩序を蹂躙される可能性があるため、ドイツ憲法はたたかう民主制を採用した。対して、このやり方は、表現を委縮させ、新たな可能性を摘んだり、反動を引き起こす恐れもある。
ここには自由の価値をめぐる原理的な問題がある。
補足:異説について
本記事の内容には私見も入り込んでいるが、教科書などを色々読んだ限りでは、憲法学の通説に沿っている思う。
なお、憲法学も学問なので、当然に非通説的見解も出てくる。
例えば、自然法の考え方は今日著しく説得力を欠いており、日本国憲法が保障する基本権も超実定法的な自然権に由来するものではないとする立場もある。その立場からの教科書として以下のものがあげられる。
松井茂記『日本国憲法〔第4版〕』有斐閣 2022年
主要参考文献
・高木八尺、末延三次、宮沢俊義編『人権宣言集』岩波書店 1957年
・高橋和之編『[新版]世界憲法集』岩波書店 2007年
・芦部信喜著 高橋和之補訂『憲法 第七版』岩波書店 2019年
・伊藤正己著『憲法 第三版』弘文堂 1995年
・樋口陽一著『憲法 第四版』勁草書房 2021年
・渡辺康行、 宍戸常寿、松本和彦、工藤達朗著『憲法Ⅰ 基本権 第2版』日本評論社 2023年
・『別冊法学セミナー No.210 新基本法コンメンタール 憲法』日本評論社 2011年