細川さんと前川さん 熊本県立美術館【前川國男1】 熊本市中央区
前回は永青文庫というやや特殊なカテゴリーのミュージアムを取り上げました。春画展や刀剣関係の展示ではあり得ないぐらいの行列もありましたが、以前は平日だったら貸し切り状態がそう珍しくありませんでした。コレクションは幅広く、長い歴史(約700年)を持つ家に伝わってきた品々。伝来のエピソードも多く、財力だけで成り立つ訳ではないトコロが他のミュージアムとは一線を画しています。
肥後細川家の旧領国は、ほぼ肥後一国。つまり現在のほぼ熊本県。18代当主細川護熙(1938 - )さんは、政治家として熊本県知事そして総理大臣を務められましたが、世が世なら熊本城の城主だった人。熊本県立美術館本館はそんな熊本城二の丸の一角にあります。
熊本県立美術館(本館)
熊本県熊本市中央区二の丸2
美術館のある熊本市は九州の真ん中に位置しています。人口は738,000人(2023年)とかなり大きな都市ですが、それでも福岡市の半分ほど。
熊本県立美術館はル・コルビュジェに師事した前川國男(1905-1986)による設計、くまもとアートポリス選定既存建造物。くまもとアートポリスとは細川護煕さんが熊本県知事時代の1988年「環境デザインに対する関心を高め、都市環境並びに建築文化等の向上を図るとともに、後世に残る文化的資産を創造する」という目的でスタートした事業です。公共建築も単に機能性のみを追求したものから、生活の質やデザインにも配慮したものへという実験的な試み(モダニズムへの反省からポストモダンへという流れ?)で、現在も進行形。初期のプロジェクトには現在では大御所のような建築家が名を連ねています。伊東豊雄(八代市立博物館)、安藤忠雄(熊本県立装飾古墳館)、妹島和世(再春館レディースレジデンス:女子寮)、藤本照信(熊本県立農業大学寮)、レンゾ・ピアノ(牛深ハイヤ大橋)等々。初代コミッショナーは2022年に亡くなられた磯崎新。プロジェクトスタート以前の県内の重要な建築物についても、県立美術館のように選定既存建造物として認定されています。
開館は1976年。美術館には肥後細川家の大名道具や美術品を展示する細川コレクション永青文庫展示室が別棟と本館内に設けられています。展示は年間を通じて特別展・コレクション展と非常に充実。城外東側には熊本県立美術館分館もあります。
ちなみに永青文庫の年パスを持っていると入場無料(そんなヤツは少ないと思うけど)。
スタッフの方と話をしてみると、2016年の地震では美術館にはあまり被害がなかったらしい。お向かいさんの熊本城は現在でもヒドイ状況なのでその落差に驚く。また美術館の敷地は特別史跡内なので、現状から大きな改修は難しいと。まあいずれ重要文化財になる建物。ちなみにスタッフさんのお住まいは古民家だそうで建築時代に新旧部分があり、古い部分のほうが地震では壊れなかったと。熊本城でも最も古い年代の宇土櫓は踏ん張った(とはいえ解体復旧の予定)。
前川國男とは
前川國男さんは打ち込みタイルの人。日本各地にミュージアム建築を残しています。いずれも打ち込みタイルの壁や網代張りのフロアが前川的雰囲気。よく見ると照明のデザインにも共通性が。ちなみに網代編みは伝統的な日本家屋の天井に見られます。
以下 前川作品ミュージアム系 4選+1
もうすぐ無くなってしまう東京海上ビルディング本館(東京都千代田区)はビル建築だけど、やっぱり打ち込みタイル。丸の内の大家さんが、どういう風に前川さんの遺産(記憶や建築)を残すのかに興味があります。
館内で入手したコチラの建物パンフは非常によくできています。最近はミュージアムを設計した建築家のパンフを作成・配布している所があります(気合の入った自治体制作モノ)。ただコチラはよーく見ると公式パンフではなさそう。前川國男建築事務所と明記されているので設計事務所発行?と思いきや、発行は熊本ビル部(最近になって気が付く)。誰? 謎のパンフ! でもイイぞ!
肥後細川家とは
細川氏は室町幕府将軍家となった足利氏の庶流(嫡流家は京兆家と呼ばれ、幕府ナンバー2のポジション「管領」になれた3家の1つ)。
肥後細川家の祖藤孝(幽斎:1534-1610)はその細川氏庶流で和泉上守護家の人。
幽斎の孫忠利(1586-1641)が江戸時代に徳川幕府から肥後54万石を拝領し、肥後細川家と呼ばれるようになる。
東京の永青文庫より県立美術館の方が、歴史系の企画はオタク好みのモノが見られます。「細川一門」とか熊本じゃないと成立しないでしょう。
日本絵画系では御用絵師・矢野派の作品を見られるのも地元ならでは。
熊本城
美術館のある二の丸公園は熊本市民の広大な憩いの場です。お弁当食べたりのんびりできて、小さな子供連れを見かけます。ココならチビッ子は大声出そうが走り回ろうがやりたい放題。トップ画像は美術館側から熊本城を望むよくあるアングル。左から宇土櫓・小天守・大天守と並び素晴らしい眺めが広がります。2023年の撮影ですが2016年の地震で左端の石垣が崩れています。お城の完全復旧は2050年ごろだと切符売り場にいた足軽姿のスタッフにお聞きしました。クラクラします。
火の国熊本編はつづく。