鉢形城主 北条氏邦 埼玉県立歴史と民俗の博物館【前川國男4】 さいたま市大宮区
現在の東京都と埼玉県と神奈川県の一部は、かつて武蔵の国と呼ばれていました。室町初期は京都から遣わされた鎌倉公方と補佐関東管領が国衆を統治しましたが、中期以降は公方や関東管領が分裂して、伊豆から勃興し小田原を拠点にした後北条氏の勢力圏に。北条氏は5世代をかけて現在の千葉県、栃木県、群馬県までその勢力を広げていきますが、豊臣秀吉(1537-1598)という大きな壁に阻まれ没落。関東一円は秀吉により送り込まれた徳川家康(1543-1616)による支配が始まります。
戦国時代に北条家当主の先兵となり武蔵の国を統治した戦国武将のお話を現在の北武蔵の中心から。
埼玉県立歴史と民俗の博物館はさいたま市大宮区にあります。政令指定都市で埼玉県の県庁所在地、さいたま市の人口は134.8万人(大宮区は12.5万人)。小学校で習った頃の県庁所在地は浦和市。同規模の大宮市に与野市も加え、2001年さいたま市に。少し遅れて岩槻市も吸収し現在のカタチに。首都圏の100万人都市ですが、市内をバイクで走ってみると周辺には思いのほか田畑が広がっています。
埼玉県立歴史と民俗の博物館
埼玉県さいたま市大宮区高鼻町4-219
歴史と民俗の博物館は県立博物館を前身に、2006年に総合博物館として開館。設計はミュージアム建築を多く手掛けた前川國男で、建物は1971年の竣工。武蔵の国の一宮氷川神社や多くのスポーツ施設が集まる大宮公園の一角にあります。緑豊かで水辺もあってのんびり落ち着けるトコロ。
正門から前川ワールド全開です。
内部も前川さんの方程式に則った空間が広がります。
特別展の前に常設展示を
聖護院門跡から公方さん(足利氏:鎌倉から古河へと拠点を移す)の重臣宛への書状。当時公方さんの権威は衰退しつつありましたが、京都の門跡(皇室や高級公家出身者が住職を務める格の高いお寺)が面会を望むレベルの権威は保持していたようです。
太田氏は公方を補佐した関東管領上杉氏の重臣(家宰)の家系。連歌師宗祇を城に呼んで歌会を催すレベルの文化度を持っていました。一族で知名度の高いのが太田道灌(資長:1432-1486)。才能豊かな人でしたが、その才を主君に疎まれ謀殺されてしまいす。江戸城を築いた人。
太田氏房(1565-1592)は岩付城主。実は北条氏政(1538-1590)の子で、武蔵支配のため太田家へ養子として送り込まれています。
岩松氏は足利氏の庶流で新田岩松氏とも呼ばれます。江戸時代には禄高は低いものの家格は高かった家(給料は低いけど一目置かれた)。格式のアピールには絵の才能も必要?
太平洋戦争時にアメリカ軍が空襲で投下した爆弾類。左下は焼夷弾といって町中に火災を起こすためのモノ。よくもこういうモノを考えついたと思う。
埼玉には軍需工場(航空機エンジンの製造)や飛行場等の軍施設があったので空襲の目標にされたようです。
おそろしく昭和なデザインの掃除機とPC。PCは1980年のシャープ製(約20万円)。今や台湾企業に買収されたシャープが、PCを生産開発していた時代のモノ。メディアはUSBメモリーなど当然なくて、今や化石のフロッピーよりさらに前のカセットテープ世代(笑) 解説には「カセットテープは最近再び人気が出てきた!」と(爆笑) NECの88とか98シリーズがあれば、さらに引き立つのに(博物館の倉庫にありそうだけど)。
前川建築に板碑群、シュール過ぎる空間!
北条氏邦とは
それでは特別展へ。
北条氏邦(1548-1597)は、後北条氏3代氏康(1515-1571)の子で、4代氏政の弟。氏房同様に武蔵支配を進めるため、北部の有力国衆藤田氏に婿養子として送り込まれます。現在の埼玉西部(秩父地方あたり)を所領として越後上杉氏や甲斐武田氏と対峙し、時に矛を交え時に同盟したりと活躍した人。拠点として鉢形城(埼玉県寄居町)を拡幅・整備しています。
寄居には鉢形城歴史館があり、常設的に氏邦さん関連の展示を行っています。今回は県立の博物館へ出張しての展示です。
旧鉢形城は荒川と深沢川に挟まれた断崖上にある天然の要害で、後北条氏の上野攻略(群馬方面)の拠点。鉢形城跡は関東における戦国時代の遺構が残り、土塁や門が復元され鉢形城公園となっています。歴史館は外曲輪(深沢川の外側)に建っていて、荒川の流れる北側はまさに断崖絶壁。現在も対岸の寄居町の中心部から鉢形城へのアプローチは橋一本です。
埼玉県大里郡寄居町鉢形2496-2
話をさいたま市へ戻します。
特別展の展示室は一部撮影可能。展示品は書状類が主体。
やけにユルいカンジの登場キャラクターたち。
北条氏は本拠地・小田原から寄居へみかんを導入。
本養寺薬師堂(埼玉県小鹿野町)の本尊薬師如来像の脇を固める菩薩2体。薬師堂は甲斐武田氏の秩父侵攻時に焼失しますが、氏邦さんが再興。
氏邦さんとその家臣たちが本養寺に奉納した立像。令和の修理が終了したので、ココに揃い踏み。
辰年なので辰神を。兜には龍、弓矢で武装してます。
大規模ではありませんでしたが、氏邦にフォーカスしたややオタク度の高い展示でした。
小田原開城後の北条氏は、氏邦の兄・氏政と氏照は秀吉の命により切腹。弟の氏規と北条5代当主氏直は高野山に蟄居(後に2人は赦免)。氏邦本人は鉢形城に籠城していましたが、城を囲んでいた前田利家に投降し、そのまま金沢の前田家にお預けの身に。そして金沢でその生涯を閉じますが、縁の深かった寄居の正龍寺に葬られています。助命された氏邦の家臣たちは鉢形領に土着。大正時代に氏邦の法要が、家臣の子孫たちにより行なわれています。氏邦の人柄がうかがえます。
ちなみに氏規の血筋が、埼玉の狭山ではなく大阪の狭山で大名北条家として存続しています。
最後にミュージアム設計者にも触れておきます。
前川國男とは
建築家前川國男(1905-1986)は新潟県出身で打ち込みタイルの人。モダニズム建築の三大巨匠の1人ル・コルビュジェ(1887-1965)やアントニン・レーモンド(1888-1976)に師事。日本各地に多くの公共ミュージアム建築を残しています。個人的には美術館のイメージが強い人で、博物館はココと弘前ぐらいでしょうか。
知らない方には同じに見える前川建築3選
熊本県立美術館(1976年)
福岡市美術館(1978年)
東京都美術館(1975年)
東京都美術館は少しデザインの文脈に違いがあるようなカンジ。ただ前川作品を1度見たコトがある方なら、アレッとなるデザイン(打ち込みタイルとフロアに照明等)。デジャヴ感が漂うのが前川建築。
再びさいたまに戻ります。
打ち込みタイルの解説と前川さんの略歴コーナーもあります。
歴史と民俗の博物館では建築についてのパンフを配布していて、前川さんへのリスペクトを感じます。見所やディテールを細かく解説、建築イラストマップは味がありすぎる手書き!
前川建築のすすめは下記博物館のサイトからpdfでDL可能。
気になったのは博物館正門横の建物。昔のチケット売り場?のようですが、打ち込みタイル風の外壁仕様。目地の経年変化が気になります。
スツールは座面のクッションを外すとテーブルになる仕様。
奥の2階部分がカフェ。カフェと名乗っていますがいわゆる食堂! ミュージアムショップも併設していますが、会計は食堂スタッフさんの担当。メニューも含め、美術館よりカジュアルな雰囲気。
同じミュージアムでも博物館は美術館より気軽に楽しめる気がします。そして前川建築で首都圏という好立地にありながら、ゆったりとその雰囲気を味わえます。
2024年(2023年?)、東京の丸の内にある前川建築が姿を消しています。建物の利用目的もありますが、うまく使って現役のまま残ってほしい埼玉のミュージアムです。